1章 2話 オリヴィア
追手に見つかることはなく、女の子を自宅に運ぶことに成功した。
うちは二階建ての一軒家だ。
女の子を家に入れるのは抵抗があるが、緊急事態だし、警察と病院以外で連れて行く場所が思いつかなかった。
リビングのソファに横たえる。
相当苦しいらしく、童顔に不釣り合いな大きな胸が上下に動いている。
どう処置していいか分からないし、寝かせて様子を見るくらいしかできない。
自宅に帰ったことで冷静さが戻ってくると、女の子を抱えたときの手や腕に残る柔らかい感触や、その軽さに驚いたことを思い出す。
親密な関係にない、それどころか初対面の女性の体に触れてしまった。
それに、緊急事態だったとしても、女の子を家に上げるなんて有り得ない。
よく考えれば、助けを求められたとは言え今の俺は、幼気な少女を家に連れ込んだ最低男だ。
もしこの状況が世間様に知られたら、情報が氾濫する現代のネット社会では、すぐに既成メディアによって流布されてしまうだろう。
俺の主張を誰が信じる?
冤罪という文字が脳裏に過ぎる。
ニュースの見出しに「高校一年生の男子生徒」「自宅に連れ込み」「乱れる性」といった言葉が踊るだろう。
インタビューに答えるクラスメートたち。
「そんな風には見えなかったですけどねー。見た目は不良っぽい感じで、あ、でも小学生って言葉に異常に反応をすることがありましたー」
してねーよ! 誰だよ、今の。
「放課後は近隣の小学校を巡って、校庭で遊ぶ小学生を遠巻きに眺めるのが日課だったそうですよー」
だからてめぇ誰だよ! あることないこと言うんじゃねぇ。
そして、フラッシュに囲まれる俺。み、見るな、俺を撮るな!
……って、俺は一人で何を考えてるんだ。
突然、庭の方から大きな音がした。見ると、庭に面したガラス戸が真二つになっていた。
ものすごく切れ味の良い包丁で豆腐を切るように、いとも簡単に切断されている。
銀髪をサイドポニーにしている長身の女性が現れた。
険しい表情で、俺を睨みつけている。
端正な顔立ちで、切れ長の瞳が印象的だ。
可愛いというより綺麗で、その美貌は現実離れしている。
より現実離れしているのは、彼女の格好だ。
プレートアーマーと呼ばれるものだと思うが、やたらと露出が多い。
褐色の肌がほとんど露わになっている。防具として機能してるのか?
その分動きやすそうではあるが。
そして、その手には彼女の身の丈ほどある大剣が握られている。
黄金の柄と鍔に、鈍色の刀身。
不思議なことだが、その大剣が彼女の魅力を引き立たせている。
彼女と大剣は、まるで一つのものであるように、収まりよく存在している。
彼女にもさっきの子と同様、角と黒い翼、尻尾が付いている。
明らかに敵意を持っているし、物騒な格好をしているから、結構危険な状況だろう。
隙きを見て逃げようとするが、
「動くな。貴様には聞かなければならないことがある」
剣を孕んだ声で、長身の少女が言った。
そして、ソファに横たわっている女の子の元へ駆け寄り、
「リズ様、ご無事ですか」
状態を見てから、俺を睥睨した。
それから距離を詰め、剣先を突き付けてくる。
……何だ、この状況は。
この馬鹿デカイ剣は本物だよな。
だってガラス戸真二つだし。
この場から逃げたいけど、足が竦んで一歩も動けない。
「貴様、リズ様に何をした?」
ソファの子はリズというらしい。
おそらくだが、この長身の女は、俺がソファの子をさらったと勘違いしているのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は何もしてない」
「家に連れ込んでおいて、白を切るつもりか」
俺は矢継ぎ早に弁明をする。
「苦しそうにしてたその子が、助けてくれって言ったんだ」
「そんなはずないだろう」
長身の女は、まったく聞く耳を持たない。
「いや、ホントだって。その子が助けてって言ったから、どこか安全な場所で休ませなきゃと思ったんだよ」
「百歩譲ってそうだとして、男の部屋のどこが安全なんだ?」
「他にどこも思い浮かばなかったんだから、しかたないだろう」
何でこんな一方的に、目の敵にされなきゃいけないんだ。
俺は語気を強め、
「そもそもあんた誰なんだよ。ガラス壊して、勝手に入ってきやがって」
「貴様に話す必要はない」
「は? 何だよそれ」
女が剣先をぐっと近づけてきて、
「あ?」
「す、すんません」
巨大な刃物の、鋭利な先端を突きつけられると、反射的に謝ってしまう。
「今回のことは、リズ様を見失った私にも責任の一端がある。だから貴様をどうするかは、リズ様に真実を聞いてから決める。その如何によっては、貴様をあのガラスと同じようにしなければならない。私個人としては、気が進まないがな」
そう言いながら、大剣をぶんぶん振り回す。
「やる気満々じゃねーかよ」
無惨に切断されたガラス戸を眺め、背筋が凍る。
あれと一緒? 冗談じゃない。
そのとき、ソファの子が目を覚ました。
それに気づいた長身の女が、素早く駆け寄った。
「リズ様、お体は大丈夫ですか」
声を掛けられた女の子は、茫然と辺りを眺め、
「ここは?」
長身の女は俺を見やり、
「あの男の家です」
ソファの子は、ゆっくりと俺に視線を移すと、長身の女が顔をしかめ、
「あの男はリズ様に助けを求められ、ここに運んだらしいのですが、それは本当ですか」
女の子は俺をじっと見つめるだけで、何も答えない。
「やはり、あの男に何かされたのですか?」
長身の女が、剣を構える。大丈夫、俺は何もしていないし、悪くない。
口を噤んだままのソファの子の瞳から、突然涙が溢れた。
あれぇえ?
これじゃまるで俺が何かしたみたいじゃないか。
「分かりました。リズ様、私としても非常に遺憾ではありますが、リズ様がそこまでおっしゃるなら、あの男を叩き切りましょう」
「待て、待て! その子まだ何も言ってねーだろ。お前の私情が先行してるよ」
「この涙を見れば、一目瞭然だろう」
長身の女はソファの子に向き直り、
「この男に何をされたのですか。たどたどしく罵れと言われたのですか」
「何だよ、その特殊な趣向は」
「言われたのですね」
「おい、捏造しようとすんな」
抗議すると、剣先を突き出される。
「ひゃあ、すんません」
ダメだ。
考える前に体が怖がっちゃう。
ソファの子に、
「この凶暴な女に、ちゃんと説明してくれよ」
そう言うと、訥々と喋り始める。
「……暗い、路地裏に隠れていたら、足音がして……その人が現れたの……私、意識がなくなって、……気づいたら知らない部屋で寝かされていて、二人が言い争っていたの」
断片的な記憶を繋ぎ合わせると、何故か俺が変質者になった!
長身の女はゆっくりと大剣を構え、
「お任せください。今すぐこの男を微塵切りに致します」
「違うの」
ソファの子が大剣を振り上げた女を制し、涙を指で拭いながら、
「泣いているのは、悲しいからじゃなくて、安心して……その方が私を助けてくれたのは、おそらく本当です。その方と出会ったとき、私を見ても自我を失わなかったから」
「信じられません。それではこの男は忘我することなく、リズ様を助けたと?」
長身の女がそう言ったので、俺は思わず口を挟む。
「おいおい、どれだけ俺は色欲が強いんだよ」
いくらソファの子が可愛いからって、我を忘れて襲いかかったりしない。
「別に貴様だからというわけではない」
誰であろうと、ただ可愛いと思った子を追いかけ回したりはしないだろう。
確かに男たちに追われていたけど、それが原因だとは考えにくい。
ソファの子が俺に向き直り、
「助けて頂いてありがとうございます。それにオリヴィアが何か思い違いをしていたようで、失礼しました」
オリヴィアと呼ばれた少女は、不承不承といった様子で、
「すまなかった」
「謝罪の前にそれしまってくれ。剣先が俺に向くだけで反射的に目閉じちゃうから」
一向に大剣を下げないので、謝られても信用できない。
長身の少女がソファの子に寄り添う。
「お体の具合はいかがですか」
「そんなに心配しなくても大丈夫。少し休めば動けるようになると思う」
「そうですか。では、あの男を追い出して、ここを拠点にしましょう」
「そんなのダメです。この方は助けていただいた恩人です」
今物騒な話し合いがあった気がするけど。
「あんたら一体……?」
「貴様には関係ない」
長身の女が一蹴したが、ソファの子がすぐに、
「ここまで巻き込んでおいて、何の説明もしないのは不義理でしょう」
長身の女は難しそうな顔をした後、
「私から話そう。リズ様に余計な体力を使わせたくないからな」