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空の器  作者: 夏みかんZ
7/7

外の世界

 立ち入り禁止と書かれたシャッターの横に、人間用の小さな出入口がある。

そこには、鍵がかかっていない。人間のいない場所なので、鍵をかける意味などないからだ。

箕輪はドアを開け、シャッターの内側に入った。シャッターの奥にある、もう一枚のシャッターの横にも、同じように人間用の扉が設置されている。

そこから中に入り、排出用のシャッターの前に立つ。全身を包む防護服のおかげで、昨日よりは楽に呼吸をすることができた。

排出口のシャッターの横には、手動の開閉ボタンが設置されていた。箕輪は意を決して、開閉ボタンを押し、外へと続くシャッターを開く。

 シャッターを開くと、その奥には、昨日見たのと同じ、鈍色の空が広がっていた。

空気全体が埃っぽく、目に見えるほどの細かい粉が、空中を漂っている。さすがに、防護服を着ていても、先ほどより呼吸がしづらくなった。

 箕輪は開いたシャッターから少し身を乗り出し、下を覗き込んだ。

下は谷底になっているようだが、大気全体が粒子状浮遊物質などの微粒子で曇っており、下の方ほど、よく見えない。ただでさえ、視界が悪いのに、谷の底は空気が淀んでいるため、下へ行くほど灰白色に曇って見えた。

「どこか、下へ降りられるような所はないかな?」

『排出口の横に、下へ続く非常階段があります。万一、ロボットが落下した際、自力で戻ってこられるようにするために設置された物です』

 見ると、確かに、排出口の横に谷底へ続く鉄製の非常階段が設置されていた。非常階段は、崖壁に沿うようにして設置されており、下に行くほど見えなくなった。

 箕輪は排出口から外に出て、非常階段に降り立ち、ゆっくりと階段を下り始めた。

階段には足場しかなく、左右には手すりも、転落防止用の柵もない。

ロボットが登れるように設計されているのだから、強度は問題ないのだろうが、いかんせん、階段自体が古いため、歩を進めるたびに、階段がギシギシ音を立てた。

『箕輪。心拍数が上昇しています。基地に戻ってください』

「体の異常じゃないよ。こんな状況下でドキドキしない方がおかしいだろう。それよりも、この階段は本当に下まで続いているのか?」

『基地設立当時の設計図によれば、そのはずです』

 つまり、現時点では、どこかで崩れ落ちている可能性もあるということだ。

箕輪は苦笑いした。

「まったく、ありがたいね」

 周囲の視界がどんどん悪くなっていく。大気中の微粒子濃度が増しているせいだ。


――くそ、よく見えない。


 呼吸が荒くなっていく。

空気が淀んでいるせいか、疲労のせいか、おそらく、その両方のせいなのだろう。

箕輪はふらつく足でさらに一歩足を踏み出した。

次の瞬間、ステップから足を踏み外し、箕輪の体は非常階段の横から谷底に向かって空中に投げ出された。

箕輪は悲鳴をあげながら谷底に落下した。

 

 気が付くと、箕輪は得体の知れないドロドロの山の上で、仰向けになって倒れていた。

たんぱく質が腐乱したようなひどい匂いが辺りに充満していた。

箕輪はこみ上げる吐き気を必死に堪え、体を起こした。


――なんだ、ここは。


 箕輪の下には、大量の腐った肉片が、山となっていた。それらの上に落下したおかげで、どうやら無傷だったようだ。

『気が付きましたか?』

 リサの声に、箕輪はハッとした。

「リサ?」

『目が覚めて何よりです』

「ああ。まだ基地からの電気信号の届く距離でよかった」

 箕輪はホッと胸をなで下ろす。

「俺はどのくらい気を失っていたんだ?」

『この場所に落下してから、18分23秒です。落下した衝撃で、気を失ったようです。スキャンしましたが、身体に異常はありません』

「よく無事だったな……」

『それほど高い場所から落下したわけではないので。足元の肉片も、緩衝材の役割を果たしたのでしょう』

 箕輪は改めて、足元に積み上げられた肉片の山を見た。よく見ると、所々に人体の一部が見え隠れしている。

「なあ、これ……」

『それらは、排出口から廃棄処分された個体です。長い年月をかけて、そこまで積み上げられたのでしょう』

 箕輪はゴクリと息を飲んだ。

これらが全て、人間の肉体。

腹の底から突き上げられるような不快感が箕輪を襲った。

しかし、防毒マスクを装着した状態で嘔吐するわけにはいかない。

箕輪は冷や汗を流しながら必死に堪えた。

 ふと、下の方から何か物音が聞こえた。

 箕輪は息を飲み、ロッククライミングのような要領で腐乱した肉体の山を下りた。

下まで降りると、より一層、臭気が強くなった。

空中を漂う微粒子の濃度も濃くなり、数メートル先も見えない状態だった。


――こんな場所で人が生き残れるはずがない。


 しかし、そう思う一方で、あれは間違いなく人間の声だったと確信している自分もいた。

それに、先ほどから、白い景色の奥から、生き物の気配のようなものを感じる気がする。

箕輪は注意深く、白い靄の中を進んだ。

 ふと、白い靄の奥に、人の形をした何かの姿を捉えたような気がした。

目を凝らして、それを見つめる。

近づくと、白い靄の中に、ハッキリと人間の姿が見えてきた。

「これ……」 

 それは、椅子のようなものに座った子供の肉体だった。

椅子のように見えるそれは、辺りからかき集め、形を整えただけの肉片の塊である。

その上に、人形のように腰かけているその裸体の子供に、箕輪は見覚えがあった。

 それは、昨日、箕輪の目の前で廃棄処分され、この谷底に遺棄された、死んだ子供の肉体だった。

12歳を迎える前に肉体が死亡してしまったため、頭部にはまだ大脳が残っているはずである。


――どうして、こんな所に。


 まるで、何者かが、この子供の死体を大切に守っているようではないか。

 子供の頬に手を伸ばそうとしたその時、耳元のスピーカーからアラートの音が聞こえた。

『箕輪。生体反応を感知しました。周囲に警戒してください』

 リサの言葉に、箕輪はギョッとして辺りを見回した。

「動物か?」

『分かりません。こんな反応は記録にありません』

 箕輪は息を殺して、周囲を警戒した。

ほとんどの野生動物は、環境汚染のせいで既に絶滅しているはずである。しかし、確かに白い靄の中に、箕輪にもハッキリと分かるほど、何者かが蠢いている気配がある。

やがて、白い靄の奥から、それが姿を現した。

 それを見た瞬間、箕輪は思わず言葉を失った。

 それは、普通車くらいの大きさの、巨大な肉の塊だった。

複数の腐乱した人間の肉体が歪に重なり合い、一つの巨大な塊になっている。

下の方からは無数の手足が付きだし、それらがムカデの足のように蠢いていた。

よく見ると、周囲の肉塊の中にも、何やら蠢いているものがいる。

「……リサ、リサ。聞こえるか。これは一体何なんだ」 

 リサは少しの間を置いた後、質問に答えた。

『スキャンした結果、これは人間のようです』

「人間? これが?」

 箕輪は唖然とする。

『おそらく、ここに廃棄された大量の肉体が、汚染された環境に適応するために、突然変異を起こしたのでしょう』

「でも、ここに廃棄された肉体は、皆、廃棄される時点で死んでいるはずじゃ……」

『大脳を摘出しただけの肉体は、その時点では生きています。生命維持に必要な器官は、正常なまま、肉体に残っているので。ただ、そうだとしても、この状況下で生き残っているのは、人間の言葉を借りるなら、奇跡としか言えません』

「そんな……」

 目の前のグロテスクな肉塊が、人間だというのか。

『おめでとうございます、箕輪』

「は? 何がおめでたいんだ、この状況で」

『お忘れですか? 人類にとって良い成果を持ち帰ることができたなら、その報酬として、あなたは管理者権限の一部を使用することができるようになります。目の前の個体は、この汚染された環境下で生存することができる貴重なサンプルです。これは、人類が新たなステージに進化するための足掛かりになるかもしれません』


――進化? これが進化だっていうのか?


 目の前の腐乱した肉の塊が、人類の進化した姿だというのか。

 肉塊は体の至る所から引きつったような声をあげていた。箕輪が聞いたのは、この声だったのだ。

あまりのおぞましさに、箕輪の全身が震えた。

 その肉塊は、箕輪に対して何の反応も示さなかった。

ただ、大きな体を引きずるように動かし、ある場所へ移動した。人形のように座らされた、子供の死体がある場所だ。

その巨大な肉塊は、体から突き出た腐った手を伸ばし、子供の死体を慈しむように撫でた。その様子から、子供の死体をそこに座らせたのが、この肉塊だということは見て取れた。

そのグロテスクな肉塊は、子供の死体の膝の上に、そっと何かを乗せた。

それは、しなびた小さな一本の花だった。


――まさか、供えたのか?


 その様子に、箕輪は衝撃を受け、棒立ちになった。

『生花とは珍しい。この環境下で生き延びるとは新種かもしれません。それも持ち帰って成分分析しましょう』

「黙れ」

 箕輪は押し殺した声で言った。

 箕輪は恐る恐る肉塊の隣に立ち、子供の死体に向かって手を合わせた。

過去の記録で、死者に対しては、このように手を合わせるのだと読んだことがある。

肉塊と箕輪は、しばらくの間、子供の前で並んで立っていた。

「あ……と……」

 肉塊から声が聞こえ、箕輪は驚いて肉塊の方を見た。

しかし、肉塊からは何の意思も感情も読み取ることができなかった。


――何を考えているんだ、俺は。


 こいつに心があるはずがない。もし、こいつに心があるというのなら、あるというのなら。

 それ以上は考えてはいけないことだ。

 箕輪はふと、肉塊のある部分に、何か模様のようなものが薄く浮き出ていることに気付いた。

その場所は、よく見ると、肉塊に埋まった人間の首筋のようにも見えた。

箕輪は顔を近づけて、その模様を見た。それは数字のようだった。


 7963。


 その数字を見た瞬間、箕輪は喉の奥から引きつるような叫び声をあげた。


 その後、どうやってあの場所から基地に戻ってきたのか、よく覚えていない。

ただ、必死になって非常階段を駆け上がったせいで何度も転倒したらしく、体中のあちこちに痣ができていた。

『お疲れ様でした。大変な成果でしたね』

 箕輪は返事もせず、防護服を廊下に脱ぎ捨てた。防護服のあちこちに、腐った肉片がこびりついている。

 箕輪はフラフラした足取りで、人々の大脳が保管されている部屋へ向かった。

『照合したところ、箕輪が基地内で目撃した生き物と、先ほど、谷底にいた人間とで、生体反応が共通していました。おそらく、あれの小型のものが、ダクトか何かから基地内に潜り込んでいたのでしょう』


――そんなことは、どうでもいい。


 大事なのは、そういうことじゃない。

 箕輪は、大脳の保管室に入り、自身の大脳が収められた容器の前に立った。

「リサ、答えてくれ」

『はい』

「俺の心は、魂は、本当にこの中にあるのか?」

『あなたの大脳は、その容器に保管されています』

「そうじゃない。そうじゃないんだ……」

 箕輪は狂ったように頭をかきむしった。


――あの肉塊に意思が、魂があるのだとすれば。


 今、ここにいる俺は、一体、何者なんだ。

箕輪は容器の中に収められた大脳を見つめた。

『心拍数が上昇しています。休息をおすすめします』

 リサの声が、遠くから聞こえる気がする。

 箕輪は部屋の隅に備え付けられていた、緊急用の手斧を手に取った。

今ならば、透馬がなぜあんな凶行に及んだのか、分かる気がする。

 箕輪は自身の大脳が入った容器の前に立ち、静かに斧を振り上げた。


                                              了

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