凶行
箕輪は人々の大脳が保管されている部屋で、何かを探していた。
自身の大脳の周囲にある容器のIDナンバーを、一つ一つ確認する。
「……ない」
『何かお探しですか』
「リサ。透馬の大脳はどこにある?」
『IDナンバー7959。透馬ですか?』
「そうだ。透馬と俺はIDが近いから近くにあるはずなんだが」
箕輪はぐるっと周囲を見渡した。
丹念に部屋中の大脳を確認したが、ついに透馬のIDナンバーの付いた大脳を見つけることはできなかった。
「千歳のは近くにあった。でも、透馬の大脳がない。これはどういうことだ?」
『その質問に答える義務は負っておりません』
――また、それか。
箕輪は舌打ちした。
「それなら、要求を変える。透馬が調査員としてここにいた時の記録映像を見せてくれ」
箕輪には、運営の言い分がどうしても信じられなかった。ここにいた時に、透馬の身に何かあったに違いない。
少し待つと、部屋の壁に映像が映し出された。
画面の右上に日時が表示されており、それによると、透馬がここに派遣されていた日と同じ日だった。
大量の大脳が保管されたこの部屋に、長い棒を持った男が取り乱した様子で駆けこんでくる。その男は、ひどく混乱しているようで、正気には見えなかった。
男はフラフラした足取りで一つの容器に近付き、次の瞬間、その容器に向かって棒を振り下ろした。ガラス容器は割れ、中から培養液が溢れだした。
中には大脳が入っている。
「……やめろ」
箕輪は思わず映像に向かって言った。
当然、映像の中の男が暴挙をやめるはずもなく、男は狂ったように棒を振り下ろしている。
「リサ。あれは、誰の大脳だ?」
男はなおも棒を振り下ろしている。割れた容器の中にあった大脳は、滅茶苦茶に破壊されていく。
「リサ、答えろ! あれは誰の脳だ?」
『あれはIDナンバー7959。透馬の大脳です』
リサの答えに、箕輪は呆然とした。
「……透馬は、自分で自分の脳を破壊したのか?」
映像の中で、男は執拗に大脳を破壊し続け、最後に、自身も倒れて動かなくなった。
『本体が破壊されたため、本体から送られる電気信号が受信できなくなり、使用していた肉体も活動を停止しました』
「透馬はどうしてこんなことを……」
『分かりかねます。ただ、血圧や心拍数から鑑みると、この時の彼はひどく興奮しており、錯乱状態にあったと思われます』
――気が狂って、凶行に及んだというのか?
「どうして、運営は嘘を吐いたんだ? 透馬は別サーバーに移ったなんて」
『分かりかねます。しかし、おそらくは、住人達の精神衛生を保つためだと思われます。知らない方が幸せなこともあります』
「そんな……」
箕輪は混乱した。
どうして、透馬はこんなことを? 突然狂った理由はなんだ?
「この直前、透馬はどこで何をしていた? 記録映像を見せてくれ」
『不可能です』
「どういうことだ?」
『この最後の映像の直前の数時間、基地内の監視カメラに、透馬の姿は映っておりません』
「そんな馬鹿な」
基地の中は、監視カメラだらけだ。基地の中にいる限り、必ず、どこかで監視カメラの映像に残るはずである。
そう、基地の中にいる限りは。
「……外に出たんだ」
透馬は何らかの理由で、基地の外に出た。それしか、考えられない。
「リサ。透馬と会話した時の音声記録は残っていないのか?」
『記録されております。全て再生しますか?』
「いや、透馬の血圧と心拍数が異常な数値をはじき出している時の会話だけでいい。つまり、何らかの理由で取り乱している時」
『了解しました』
リサは少し間を置いた後、音声を再生し始めた。
『……リサ、答えてくれ。俺はおかしくなったのか?』
聞こえてきたのは、男の声だった。
おそらく、これが透馬の意識がインストールされた肉体の声なのだろう。
『血圧、心拍数、共に平常値を超えております。休息をおすすめします』
『そういうことじゃない。ここに来てから、俺は変なモノばかりを見る。おかしいんだ。本当に俺の他には誰もいないのか?』
『活動している肉体は、あなただけです』
『嘘だ。だって、俺は見たんだ。でも、あれは……あれは……』
『心拍数が上昇しております。鎮静剤を使用しますか?』
『あれは、人なのか? でも、そんなはずはない……あれが人なわけが……』
音声はそこで途切れた。
『別の会話を再生しますか?』
リサの問いかけに、箕輪は答えなかった。考えをまとめたかったからだ。
透馬は基地の中で、何かを見たのだ。そして、おそらく、それが原因で基地の外に出た。
箕輪は、ここに来た日に目撃した、子供の影を思い出した。透馬も、自分と同じものを見たのではないか。
箕輪は改めて壁に映し出された映像を見る。映像は、男が棒を振りあげている所で停止している。
凶行に走った男の顔には、苦悶の表情が浮かんでいた。
箕輪は資材室から、オレンジ色の全身化学防護服を取り出し、装着した。装着の仕方は、事前講習で教わっていた。使う機会はないだろうが、念のため、一通りの知識は叩き込まれていた。
『何をするつもりですか?』
リサは尋ねた。
箕輪は防毒マスクを装着しながら答えた。
「外に出る」
『外は危険です。推奨できません』
「全身化学防護服を着れば大丈夫だろう。この防護服の中には、コンピューターとスピーカーが内蔵されているから、これを着ていれば、基地の外に出ても、リサと通信ができるだろう?」
箕輪は頭からすっぽりとフードを被る。
全身を防護服に包まれた状態でも、防護服に内蔵されたスピーカーから、リサの声が明瞭に聞こえてきた。
『電気信号の届く範囲であれば可能です。しかし、危険なことには変わりありません』
「そんなに遠くには行かないよ。俺はただ、透馬が何を見たのか、谷の底には何があるのか、知りたいだけなんだ」
谷底から聞こえた人のような声。あの声が頭から離れない。
箕輪は防護服をまとい、排出口のある区画へ向かった。