廃棄処分
翌朝、箕輪は重い頭を持ち上げ、だるい体を起こした。
昨晩、あの奇妙な生き物を見た後、ひとまず、寝室に戻ったが、気分が昂ぶって、ろくに眠ることができなかった。結局、ほとんど寝ないまま、朝になってしまった。
『おはようございます、箕輪。よく眠れましたか?』
リサの事務的な問いかけすら、白々しく聞こえてくる。箕輪は思わず舌打ちした。
壁の一部が開き、中からパックになった食料が出てくる。吸い口から液状の栄養食を吸い出すタイプである。
箕輪はそのパックを取り、吸い口に口をつけ、一口飲んだ。生ぬるく、味がない。
箕輪はすぐにウンザリして、食べるのを止めた。
『パックの食料は全て摂取してください。体に障ります』
リサの目ざとい(目などないが)指摘に、箕輪は苛立った。
「もっとマシな食べ物はないのか? 何も味がしないんだが」
『それは完全栄養食です。それだけで一日の半分の栄養が摂取できます』
「そういう話をしているんじゃないんだよ。って言っても、お前には分からないか」
箕輪は不承不承、パックに口をつけ、残りを飲み干した。
朝食を終え、朝の健康状態の記録を付けると、もう何もすることがなくなった。
箕輪はベッドに横になり、天井を見ながらあくびをした。
――昨日の、あの生き物は一体何だったんだろう。
慣れない環境におけるストレスで、幻覚でも見たのだろうか。
今更ながら、自分の記憶が怪しく思えてきた。
「リサ。昨日の夜に見た生き物のことなんだけど」
『あの個体の情報は、私のデータベースには登録されておりません』
「ああ、うん……そう」
どうやら、昨日の出来事は夢ではなさそうだ。
箕輪は少し考えた末、ベッドから体を起こした。ベッドから降りて靴を履き、寝室を出る。
『どちらへ? 排泄ですか?』
「違うよ。ただの散歩。基地内なら、歩き回るのは自由だろ?」
『有酸素運動は体に良い影響をもたらします。ですが、肉体の急な酷使は推奨されません』
「そんな大げさなもんじゃないよ」
箕輪は廊下に出て、あてどなく基地内を彷徨った。
途中、何回か作業用のロボットとすれ違ったが、ロボット達は箕輪に干渉することなく通り過ぎて行った。
「ここのロボットは、よく働くな。誰がメンテナンスしているんだ?」
『メンテナンス用のロボットがおります』
「じゃあ、そのメンテナンス用のロボットをメンテナンスするのは?」
『メンテナンス用のロボットをメンテナンスするためのロボットがおります』
「じゃあ、メンテナンス用のロボットをメンテナンスするためのロボットをメンテナンスするのは……いいや、やめとこう」
不毛な会話になりそうな気がしたので、早々に打ち切った。
その時、廊下の向こうからキュラキュラキュラと床を擦るような音が聞こえてきた。
音の方を見ると、廊下の向こうから下部に戦車のキャタピラのような履帯を付けた大型のロボットが、ゆっくりとこちらに移動してくるのが見えた。
そのロボットは荷台のような造りになっており、上には大きな円筒形のガラス容器が積まれていた。その容器の中には、培養液に浮かんだ子供が入っていた。
ロボットは箕輪の傍を通りすぎ、廊下の奥へ進んでいく。
「リサ。あれは」
『12歳になる前に肉体が死亡した個体です』
箕輪は遠いおぼろげな記憶の中の光景を思い出した。
「あの子供の体はどうなるんだ?」
『データベースから登録データは削除され、肉体は基地の外へ廃棄処分されます』
「廃棄……」
箕輪は少し考えた末、ロボットの後を追いかけた。
『どうするつもりです?』
「見届ける」
『なぜ?』
「こうすることが仕方ないのは分かるけど、それでも、誰にも看取られないのは気の毒だ」
『分かりかねます』
「だろうね」
箕輪はロボットに追いつき、その後ろを参列するように付いて歩いた。
『そのロボットに付いて行くのは、推奨できません。危険です』
「どうして?」
『死亡した個体は基地外に廃棄されます。個体の排出口がある区画は、外気に汚染されており、ロボットしか立ち入ることができません』
「防毒マスクを付ければいいだろう」
『それでも、長時間滞在するのは危険です』
「そんなに長いこと居やしないよ」
箕輪は廊下の至る所に備え付けられている防毒マスクを手に取った。
しばらくロボットの後を付いて行くと、やがて、大きなシャッターの前に辿り付いた。シャッターには赤い文字で立ち入り禁止と書かれている。
箕輪は防毒マスクを自身の頭部に装着した。
ロボットがシャッターの前に来ると、ロボットを認識したのか、シャッターが自動的に上に開いた。箕輪はロボットと一緒に、開いたシャッターの奥へ入って行く。
シャッターの奥には、すぐにもう一枚のシャッターがあり、入ってきたシャッターが閉まると、すぐに奥のシャッターが上に開いた。
二枚目のシャッターが開くと、明らかに空気が変わった。
防毒マスクを付けていても分かるほど、空気の匂いが淀んでいる。箕輪は思わず吐き気を催した。
子どもの入った容器を積んだロボットは、部屋の奥へ進んだ。
部屋の奥にはシャッターがあり、ロボットがその前に行くと、シャッターは自動的に上に開いていった。一気に流れ込んでくる臭気に、箕輪は思わず顔をしかめる。
開いたシャッターの向こうには、淀んだ鈍色の空があった。生まれて初めて目にする、本物の空だった。
――あれが、本当の空。
箕輪が今まで見てきた、どんな空の色とも違う。
箕輪は吐き気を堪えながら、開いたシャッターの近くまで来た。開いたシャッター口から、恐る恐る外を覗き込む。
そこは、断崖の縁に突き出したような場所だった。下方は谷のようになっている。
身を乗り出して下を覗き込もうとする箕輪を、リサが制した。
『それ以上、身を乗り出すと危険です』
「もう少しだけ」
その時、ロボットが、子供の体が入った容器の上蓋を開け、その容器を外に向かって傾けた。子供の体は培養液ごと、谷底へ落ちていった。
箕輪は一連の様子を呆然と見つめた。
――本当に捨てた。ゴミみたいに。
箕輪の足元がぐらつく。何か、自身の根幹から揺らぐような音が聞こえた気がした。
ロボットが作業を終えると、外に通じるシャッターがゆっくりと閉じていく。
その最中、外から人の声のようなものが聞こえた気がして、箕輪は思わず閉まっていくシャッターに飛びついた。
「今、外から人の声が」
箕輪は激しく咳き込んだ。
『箕輪。今すぐそこから避難してください。これ以上、その場所に留まるのは危険です』
「でも、確かに聞こえたんだ。谷底から何か」
『再度、警告します。これ以上、その場に留まった場合は、肉体の保証はできかねます』
――絶対に聞こえたんだ。
あの後、排出口のある部屋から出た箕輪は、盛大に嘔吐し、すぐさま倒れこんだ。
リサに手配してもらったロボットに寝室まで運んでもらい、寝台に横になると、そのまま気を失った。
次に目を覚ました時には、数時間も経過していた。
箕輪は寝台の上で、ゆっくりと体を起こした。起き上がると、激しい頭痛に見舞われ、箕輪は額を抑える。
『気分はどうですか?』
頭痛と吐き気がひどく、リサの問いかけに箕輪はしばらく返答できないでいた。
「……あまり良くないね」
『防毒マスクを着用していたとはいえ、直に外気に触れたせいです。自業自得というやつです』
「言うね。AIのくせに」
『これに懲りたら、二度とあんな無謀な真似は慎んでください。あなたには、その肉体を最低3日は維持する義務があります』
「分かってるよ」
少しずつ頭痛と吐き気が収まってきた。箕輪は顔を上げる。
「リサ。基地の外で人間が生存できる可能性はどのくらいある?」
『限りなくゼロに近いです』
「近いということは、ゼロではないんだ?」
『従来の情報から分析した限りでは、現時点で、基地の外で人間が生存するのは不可能です。しかし、もし突然変異か何かで、環境に適応できる個体が生まれた場合、その限りではないということです』
「突然変異……」
箕輪は谷底から聞こえた声を思い出した。あれは、確かに人の声のように聞こえた。
「リサ。大脳を摘出した後の肉体も、あの場所から廃棄されているのか?」
『はい。同じ場所から廃棄されます』
「そう……」
箕輪は少し考え込んだ。