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空の器  作者: 夏みかんZ
3/7

ログアウト


 外界調査の当日。

 箕輪は指定された座標の場所に赴いた。周囲には誰もいない。

箕輪は指定された場所で、空中を指でタップする。すると、何もなかった空間に、パスワードの入力画面が表示された。

箕輪は依頼に記されていたパスワードを、入力画面に入力した。

パスワードが確認されると、再度、『本当にログアウトしますか?』という確認画面が表示される。

箕輪は少しためらった末、『はい』を選択する。生まれて初めてのログアウトだ。

少し待つと、目の前の景色が糸のようにほどけ、何もない真っ白な空間に移動した。

『IDナンバー7963。箕輪』

 何もない空間に、女性の声が響き渡る。

『はじめまして。私は、これから、あなたのサポートをさせていただきます、AIのリサと申します。3日間、どうぞよろしくお願いいたします』

「こちらこそよろしく」

『さっそくですが、説明を始めさせていただきます。これから、私はあなたの脳を現サーバーから切断し、外界調査用の肉体にインストールします。再度確認しますが、本当によろしいですね?』

「3日後、僕の意識は、ちゃんと元のサーバーに戻れるんだろうね?」

『はい』

「本当に? 不具合が起こって、別のサーバーに移動させられるなんてことは?」

『その質問に答える義務は負っておりません』

 箕輪は舌打ちした。

しかし、ここまで来て拒否権などない。

「分かったよ。OKだ」

『了解いたしました。それでは、作業を開始いたします。心を静めてください』

 箕輪は目を閉じ、できるだけ何も考えないように努めた。

体が周囲の世界から少しずつ切り離されていくような奇妙な感覚。

次の瞬間、頭の中でブツンと音がし、完全な無音になった。


――どうしたんだ。うまくいったのか?


 目を開こうとしたが、うまくいかない。動かすべき体がなく、自分の精神が何もない暗闇の中を浮遊している。

これまでに感じたことのない感覚に、箕輪はとてつもない恐怖を感じた。

 しかし、その暗闇は、そう長くは続かなかった。

頭の中でピッと電子音が鳴り、次第に脳が体の感覚を認識し始めた。

先ほどまで完全な暗闇だった視界が、うっすらと色味を帯びる。ふいに、それが瞼の裏だということに気付き、箕輪はゆっくりと目を開こうとした。

しかし、体の神経と脳がまだうまくリンクしていないらしく、瞼を動かすことですら、長い時間を要した。

ようやく、うっすらと目を開くと、目の前の視界が揺れていることに気付いた。それは、肉体を保管するための培養液であると、事前講習で教わっていた。

この光景を、箕輪は見たことがある。遠い記憶の中で、過去に、同じような環境に身を置いたことがあった。


――成功したのか?


 口はどうやら呼吸器でふさがれているようだった。

しばらくすると、箕輪の体が入ったガラス容器の下から、培養液が排出され始めた。肉体を支えていた液体を失い、箕輪は慌てて体をばたつかせる。

やがて、すっかり容器から培養液が排出されると、箕輪は容器の底にぐったりと倒れこんた。

呼吸器が口から外れ、口から体内に空気が流れ込む。初めての感覚に、箕輪は激しく咳き込んだ。

 少しすると、円筒形のガラス容器が底の部分だけを残して、ロボットによって上に持ち上げられた。

箕輪はどうにか体を起こし、体中に繋がれているチューブを一本ずつ外す。やがて全て外し終わる頃には、まだふらつくものの、自由に体を動かせるようになっていた。

 箕輪は濡れた体で、容器があった場所から外に出た。機械だらけの無機質な部屋だった。人間の肉体が入った円筒形の容器がたくさん並べられている。

腹の底から湧き上がる経験したことのない不快感に、箕輪は体を震わせた。

『IDナンバー7963。箕輪。気分はどうですか?』

 どこからか、リサの声が聞こえた。

箕輪は声を出そうと試みたが、なかなかうまくいかなかった。喉の奥からヒューヒュー、風のような音がする。しばらくすると、ようやく小さな声を出すことができた。

「……か、体が、おかしい」

『肉体に異常はありません。インストールも正常に行われています』

「震えが、止まらないんだ。肌の色も白すぎるし、表面に変なブツブツが浮いてる。すごく不快だ。この体、欠陥品なんじゃないのか」

『それは寒さによる身体反応です。体温の低下を視床下部が感知すると、これ以上の体温低下を防ぐため、皮膚表面近くの血管が収縮し血流を低下させます。肌の白さはそのためです。また、放熱を抑えるために体毛を立たせるので、そのせいで、肌に湿疹のようなものが浮きます。これを鳥肌と言います。体が震えるのは、筋肉の温度を上げるためです。これらは、交感神経が正常に働いているゆえに起こる現象であり、異常ではありません』

「これが寒さ……」

 歯の根がかみ合わなくなるほど、震えが止まらない。

寒いという感覚は知識でしか知らなかった。

「これは、このままでいいのか? すごく辛いんだが」

『体温が下がり続ければ、低体温症になり、最悪の場合、肉体は死亡します』

「バカ。それなら悠長に説明してないで、どうにかしてくれ」

 箕輪はイライラとAIを罵倒した。

『コンピューターの操作盤の横に、衣服の入った箱が置いてあります。タオルで体の水分を拭きとってから着用してください』

 箕輪は言われた通り、操作盤の横に置いてある箱を開いた。中には上下に分かれた白い病衣とタオル、それに、靴が入っていた。

箕輪はタオルで体に付いた水分をふき取り、病衣を身にまとった。

衣服を着用したのは初めてだったが、濡れた体を拭いて衣服を着ると、確かに体の震えは収まった。白いシンプルな履物を履くと、よりいっそう、心が落ち着いた。

『着心地はどうですか?』

「悪くないと思う。それにしても、肉体というのは、意外と単純なものだね。もう震えが収まった」

『室内温度は、それほど低くありませんから。肉体の操作に関して、不具合はありませんか?』

 箕輪は手を閉じたり開いたりした。

「問題ないよ……驚いたな。どうして、こんなにすぐに動かせるんだろう」

 正直、しばらくは立ち上がることすら、ままならないと覚悟していた。

『短期睡眠学習プログラムを、脳に送り込んでいたためです。せっかく外界に出ても、寝たきりでは意味がありませんから』

「脳に……」

 箕輪は改めて周囲を見回した。

部屋の中に並べられている、人間の肉体が入ったたくさんの容器。箕輪はその中で少年の体が入った容器に近付いた。

「これは、まだ子供だね」

『肉体年齢は12歳です』

「それじゃあ、まだ大脳を取り出したばかり?」

『はい。健康体だったため、今後も培養液の中で肉体を育成します。成長過程で問題が起こらなければ、成体になった後、今、あなたが使用している肉体同様、外界調査用の外付けデバイスとして使用されます』

「そう……」

 箕輪は少し間をおいてから、気になっていたことを口にした。

「僕の大脳も、この基地のどこかにあるんだろう?」

『はい』

「見ることはできる?」

『可能です。希望しますか?』

「頼むよ」

『了解しました。それでは、壁に点灯するランプに沿って進んでください』

 リサがそう言うと、壁の小さなランプが青く点滅した。箕輪がその近くに行くと、そのランプが消え、少し離れた場所のランプが点滅する。

点滅したランプを追うようにして奥に進むと、直径が50センチほどの大きさの、円筒形のガラス容器が大量に並んだ部屋に辿り付いた。

それらのガラス容器は、ちょうど箕輪の意識が入った肉体の身長と同じくらいの高さがあり、中は培養液で満たされていた。そして、その培養液の中には、たくさんのチューブに繋がれた人間の大脳が浮いていた。

 容器の上には銀色のプレートが付いており、ナンバーが刻まれていた。

『上部に記載されたナンバーは、IDナンバーです。IDナンバー7963の容器を点灯させます』

 リサがそう言うと、遠くにある一つの容器に青いランプが点灯した。

箕輪は脳の間を縫うようにして、ランプの灯った容器の前に辿り付いた。


――これが、俺の脳。


 目の前にある、ガラス容器に入った大脳を、箕輪は見つめた。

他の容器の脳と区別がつかない脳を前に、何の感慨も湧かなかった。

『あなたが今、使用している肉体は、そこにある、あなた自身の大脳から送られる電気信号で動いています。基地内のどこにいても、大脳から送られる電気信号は受信することができます』

「もし、基地の外に出た場合は?」

『理論上、ある程度の範囲内であれば、基地外に出た場合でも、電気信号を受信することは可能です。しかし、基地から離れすぎると、電気信号を受信することはできなくなります』

「ふうん……」

 箕輪は自身の大脳の入った容器の表面を軽く撫でた。自身の脳を外側から眺めるというのは、不思議な感覚だった。

この大脳が箕輪の本体で、今、動かしている肉体は、ラジコンのようなものだ。箕輪の思考を受信できるように設定し、自由に動かせるようにした、空っぽの人形。

 この肉体の頭部に、大脳は入っていない。脳の発育は12歳でほぼ完成するため、12歳になると、肉体から大脳が取り出される。そこには、一人の例外もない。

そのため、今、箕輪の意識がインストールされている肉体の頭部には、この肉体の、元々の持ち主の大脳は入っておらず、その代り、大脳が収まっていた場所には、電気信号受信用の機械が埋め込まれている。


 なぜ、人々の人体から大脳を取り出すのか。それは、外界の環境に起因している。

はるか昔、環境破壊が進み、地球の大気汚染が深刻化した。

酸性雨、光化学スモッグなどの原因となる、二酸化炭素、窒素酸化物、粒子状浮遊物質などの有害物質が、高濃度で空気中に蔓延し、地上は人間の住める場所ではなくなってしまった。

外気の中では、防毒マスクの着用を余儀なくされ、人々は空気清浄機の稼働するシェルターなどの施設で生活せざるを得なくなった。

化学工場からの排水、生活排水などによる水質汚染も深刻化し、海も川も汚染された。

土壌汚染のため、地下水も毒水になり、飲料水にすら事欠くようになった。

環境が汚染されれば、当然、食糧が生産できなくなり、食糧不足に陥る。乏しい水と食料しかない状態で、それらを奪い合うため、各地で戦争が起こった。

大量破壊兵器の乱発、それによる人体への悪影響。自棄になっているとしか思えない蛮行の数々が、人類を取り返しのつかない窮地に追い込んだ。

不浄の地と化した地上で、人々が正常に生きていけるはずもない。対処しようもないほどの新たな病が生まれ、地球上の人口は激減した。

空気清浄機の稼働しているシェルターの中にいても、人々が病から逃れる術はなかった。

ほとんどの人間が成人を迎える前に命を落とし、その死にざまは凄惨なものであった。

病に侵され、弱り切った体は、二十歳でも老人のように衰えており、中には、ようやく苦しみから解放されることに泣いて喜びながら死ぬ者もいた。人類が完全に滅ぶまで、そう長い時間は残されていなかった。

 このままでは死を待つだけ。

人類という種を存続させるためにはどうしたらよいか、人々は話し合った。

その中で、一人の人間がある提案をした。

その提案とは、人体から大脳のみを取り出し、大脳を清浄な培養液の中で保管して、残りの肉体を放棄するというものだった。

巨大サーバーを建造し、その中に一つの仮想世界を構築する。

大脳には電極を繋げ、大脳の意識をサーバー内の仮想世界と接続する。そうすることで、人々の意識を仮想世界の中に送るというものだった。

肉体は病の巣であり、肉体さえなければ、そもそも病に侵されることはない。肉体がある以上、人類は病に怯えながら死を待つしかない。

それならばいっそ、病の取りつく島を与えなければいい。

身体機能の維持を司る脳幹、運動や身体のバランスコントロール、動作記憶などを司る小脳は、肉体と一緒に廃棄する。

そもそも、肉体を放棄するので、それらを維持するための機能は残しておく必要がない。

保存する器官を最低限まで削り、残された技術と資源を、大脳保存のために無駄なく有効活用する。

肉体を維持するための食糧、水の確保も不要となり、人々も病の恐怖から解放される。

この案の発案者は、アメリカの哲学者ヒラリー・パトナムの提唱したシミュレーション仮説である、「水槽の中の脳」から影響を受けていた。

この突拍子もない提案は、当初、大多数から支持されなかった。ほとんどの人は失笑し、本気に捉えることはなかった。

しかし、いくら議論を重ねても、全員が納得するような妙案は出てこなかった。

次第に、残された人々の中から、ポツリポツリと、大脳を取り出し、肉体を放棄するという案に賛同を示す者も出始めた。

元より、現状のままでは、そう長くは生きられない。それならば、いっそ仮想世界に活路を見出すことに賭けてみてはどうか。そう思う人々が増え始めた。

そして、ついに人類はその案を実行に移すことを決意した。

技術者達は人々の意識を移すための巨大サーバーを建造し、それと同時に、それらを維持するためのロボットやAIを開発した。

もちろん、脳だけでは新しい命は生まれないため、人工授精のための培養器も建造した。新たに生まれた命は、その培養器の中で脳が完全に発達する12歳になるまで、肉体とそれを包む培養液に包まれて成長する。

その後、無事12歳を迎えた人間は、大脳のみを取り出し、大脳をサーバーに接続して、残りの肉体を破棄する。

もっとも、無事12歳を迎えるまで生き延びられる個体は幸運で、ほとんどが12歳を迎える前に死んでしまう。

大半の肉体は12歳になって大脳を取り出した時点で廃棄されるのだが、健康体の場合は、脳が取り出された後も、培養液の中で保管され続ける。

大脳以外の器官は残っているため、大脳が取り出された後も、高度な医療テクノロジーにより、肉体は成長を続けることができる。この肉体は、あらゆる実験に使用される。

今回の外界調査のように、他者の意識をインストールして、外気が生身の肉体に与える影響を調査したり、肉体のみをシェルターの外に出して、現状の大気が肉体にどの程度の影響を与えるか実験したりするのに使われる。

しかし、調査に使えるほどの健康な肉体はごくわずかで、ほとんどが成長途中で死んでしまう。


――あなたは幸運なのです。


 たしかにそうなのだろう。自分自身の肉体は12歳まで生きながらえ、仮想世界に行くことができた。

「この肉体の元の持ち主は?」

 箕輪はリサに尋ねた。

『その肉体の元の持ち主の大脳は、取り出した直後に機能不全に陥ったため、廃棄されました』

「そう……」

 生きながらえるために大脳を取り出したのに、脳の方が先に死んでしまうとは気の毒な話だ。

『お使いの肉体は、培養液から出た後は、3日間しか使用できません。それ以上の使用は、肉体に悪影響が出ます。そのため、3日後、調査が終了次第、その肉体は廃棄されます』

「たった3日か。なんだかもったいないな。せっかくここまで成長できたのに」

 箕輪はそう言い、ガラス容器に映った顔を軽く撫でた。容器にはうっすら背後の様子が映りこんでいる。たくさんのガラス容器に、一つずつ収められた大量の脳。

ふと、映りこんだ景色の中で、何かが動いたような気がした。箕輪は驚いて振り返る。

しかし、そこには物言わぬ脳が並んでいるだけで、他には何もいなかった。

「リサ。この部屋にはロボットがいるのか?」

『いいえ。今、この部屋に、稼働しているロボットはおりません』

「変だな。今、何か動いたような気がしたんだけど」

 箕輪は首を傾げた。


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