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空の器  作者: 夏みかんZ
2/7

透馬

 あれから5日経った。そろそろ正式に依頼が届いても良い頃だ。


――来るんだったら、早く来てくれ。


まな板の上で捌かれるのを待つ鯉の気分である。箕輪は、今更ながら、外の世界に怯えていた。

「箕輪」

 ふいに声をかけられ、箕輪は空中で振り向いた。

そこには、人と同じくらいの大きさの、巨大な白い魚が浮いていた。

光沢のある大きな半円形のひれを、ドレスのようにたなびかせたその魚は、魚のくせに流ちょうな日本語で箕輪に話しかけてきた。

「聞いたわよ。外に行くんだって?」

「千歳……」

 ぼうっとした箕輪を見て、千歳と呼ばれた魚は、魚のくせにため息を吐いた。

「浮かない顔ね」

「まあね」

 箕輪は不承不承、体を起こした。

「気持ちは分かるけど、元気出しなさいよ。考えようによってはチャンスかもよ? 何か外で功績を挙げれば、将来、欠員が出た時に、運営に格上げしてもらえるかもしれないし」

「魚に励まされても……」

「あら、綺麗でしょ? ショー・ベタっていう種類の熱帯魚なんですって。今日の景色って、なんだか魚が合うような気がしたから、そうしたの。ウェディングドレスみたいで、良いと思わない?」

 そんなことは聞いていない。と言い返そうとしたが、何倍にもなって返ってきそうなので黙っていた。

 この世界では、外見を自由に変えることができる。

人間はもちろんのこと、その気になれば、動物だろうが魚だろうが、その日の気分によって好きな外見になることができる。

そのため、千歳のように、日ごとに変わる風景に合わせて、自身の外見を変える住人も少なくない。

一方で、箕輪のように一つの外見を使い続けている住人も、中にはいる。特別なこだわりを持っている場合もあるが、箕輪の場合は、単に、頻繁に外見を変えるのが面倒なだけだった。

 頻繁に外見が変わるのに、住人を判別することができるのは、住人全員にIDナンバーが登録されているからだ。

IDは目には見えないが、相手と相対した時に自動で把握できるようになっている。

そのため、姿が変わっても、相手が誰だか分からなくなるということはない。この世界において、外見を変えることは、服を着替えるのと同程度の認識なのである。

 ふと、箕輪は思った。

「千歳はさ、自分がもともと、どういう姿をしていたか、知りたいと思う?」

 問われた千歳は魚のくせにキョトンとした顔をした。

「何よ、突然」

「いや、何となく」

 千歳は少し黙り込んだ。

「思わないわね。第一、元の体なんて、とうの昔に処分されているんだから、今更知りようがないじゃないの」

「そうだよな……」

 箕輪はぼうっと空を見つめ、呟いた。

千歳が怪訝そうな声を出す。

「ちょっと、大丈夫? そんなに外に行くのが嫌なの?」

「嫌というか……透馬のことがあったから」

「ああ……」

 千歳の口が途端に重くなる。

透馬は箕輪、千歳と同年代の昔馴染みだった。

しかし、今はもうこの世界にはいない。数年前、外界調査員に選ばれ、外に出た後、二度とこの世界に戻ってくることはなかった。

「おかしいと思わないか? どうして透馬は戻ってこない。他の前任者達は、皆、ちゃんと帰ってきたのに」

「運営から説明があったじゃない。透馬は別のサーバーに移動することになったんだって」

「理由は?」

「システムの不具合でしょ。何らかの故障で、元のサーバーに接続できなくなったんだって、そう説明を受けたじゃないの」

「それを信じるのか?」

「信じる他に、どうしようがあるのよ」

「外で何かあったのかもしれない」

「何かって何?」

「それは分からないけど……」

 千歳は呆れたように首を振った。

「あんたって、昔から透馬にべったりだったものね」

「変な言い方するなよ。千歳だって、おかしいと思うだろ。そもそも、本当に別サーバーがあるのかだって」

「はいはい、この話はこれでおしまい」

 千歳は強引に話を打ち切った。

「ねえ。運営を疑って何になるの? この世界を維持して、私達の生活を快適に守ってくれているのは運営なのよ?」

「でも、彼らだって、本当のことを全部話しているわけじゃないのかもしれない」

「だとしても、それが何? 私達の生活に何か支障でもある?」

 箕輪は口をつぐんだ。

「彼らが何を隠していようが、何を企んでいようが、この生活を維持するのに必要なことなら、目を瞑るしかないわ。私達に、他にどうしようがあるの? 人類が存続している今が、既に奇跡なのに。変わらない明日が来るのなら、世界の裏側で何が起こっていようが、知ったことではないわ」

 千歳はそう言い捨て、ひらりと尾びれをたなびかせて背を向けた。

「透馬だって、きっと今頃、別のサーバーで楽しく暮らしているわよ。じゃあね。健闘を祈るわ」

 そう言って、千歳は青い空を泳いでいった。


 後日、箕輪の元に依頼が届いた。

運営からの連絡は、脳に直接送られてくる。

依頼には、外界調査の日程とパスワード、それに、事前講習のスケジュールが記されていた。実際に外界に行く前に、外界に出るにあたっての心構えなどを学ぶため、講習を受けることが義務付けられていた。


 講習の際、教官は言った。

「不安は大きいでしょうが、ご心配なく。外界に出た後は、サポート役のAIが、あなたを補佐してくれます。基本的には、彼女の指示に従っていれば問題ありません」

「AIですか」

「はい。ここでいくら外の状況について学んでも、情報として知ることと体感することとでは全然違います。大抵の人は初めて知る感覚にパニックを起こし、まともな思考をすることはできなくなります。そのため、調査員には必ずサポートAIが付くことになっているのです。AIは基地全体を統括するコンピューターに内蔵されているため、基地内のどこにいても、サポートを受けることができます」

「じゃあ、基本的には基地の外には出られないということですか」

「はい。基地の外は、未だ汚染状態で、人が生きられる環境にありません。絶対に、基地の外には出ないようにしてください。基地の内部は、浄化機能が働いているため、防護服なしでも活動することが可能です。箕輪さんには、基地で3日間過ごし、日々の健康状態を記録してもらいます。それ以外は、特に何もする必要はありません」

「何もしなくていいんですか?」

「はい。というより、何もできないと思います」

 教官は苦笑いした。

その苦笑いを見て、箕輪は陰鬱な気持になった。

「やはり不安ですね。そんな状況下で、本当に支給された肉体を動かすことができるのでしょうか」

「理論上は可能です。調査に使われる成人男性の肉体は、厳選された健康体ですし、筋肉が衰えないよう、毎日、適切に電気刺激を与えてきたので、活動するのに支障はないはずです」

「でも、生まれてから一度も自分の足で歩いたことのない体でしょう。そんな体を、他人の脳が動かすなんて、本当に可能なんですか?」

「少なくとも、これまでは皆、うまく動かしていましたよ」

 教官は朗らかに笑った。

「要は慣れですよ。自転車に乗るようなものだと思ってください。怖いのは最初だけで、一度乗りこなしてしまえば、どうということはありません」


――そもそも、自転車にすら乗ったことがないのだが。


 どこか他人事のような教官の言葉に、箕輪は複雑な気持ちになった。


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