天地は白に染まりし夜に出会いし君
しゅんしゅんと、白い湯気に包まれたお部屋。お外は、しんしんと何もかもを、降り積もる白で隠して行かはります。
本宅の聡子様が霜月に、婿ぎみを御迎えにならはれました。鐙子様に、新しいお相手と、お子が望める事はこの先あらしません。
大旦那様と旦那様が、稲葉家のお取引先のご次男様と、お話をお付けにならはったのは、うちがここに来て、春の八重桜が咲く頃やった。
ならば、もう節分の夜には来られへんな、そう思うとったのに……何で鐙子様を、そろっとしといてくれへんのやら。
そろそろと、熱い葛湯を口に含む鐙子様を目にしていていたら、せつのおなってくる……
××××
さきゅ、さきゅ、と踏み締め歩く音、息を殺して潜んでるうち達。そして鐙子様のお部屋にお声をかける、昼間の御方……
「ふゆ」
……ふゆ!なんやて!うちは驚いてしもうた。その『名前』をお呼びしはってたんは、亡くなりはった春樹様お一人やった、
ご自身が、春、姉上が夏、秋子がおって、だから鐙子は冬や『とうこ』やからな。変な言葉のお遊びやなと、笑ってはったんや。
その事を知ってはるのは、奥向きのうちと夏樹様と初子様に、ご家族だけや、何でお外のお人が知ってはるんや……
「大旦那様がお知らせにならはったんや、それとここに、雪降る『あの時』と同じ夜景の時刻にな……」
ささやく初子様のお声。姉上であり、春樹様のお身代わりをしてはる、夏樹様が固いお顔でそれを眺めております。
……桜の御方が、その身に白を積もらせながら、もう一度お声をかけはります。お供の書生さんも黙って、それを眺めてはりました。
カタ、と音がたち、鐙子様が白いお寝巻きの間まで、深夜の訪問者に面しました。男のおこえや、春樹様にまちごうてならはった?
お心が何処か遠くへと、逝ってしまったから、仕方あらへん、うちがそう思っていると、夏樹様が、こそと言葉を洩らされました。
「『お名前』をお呼びしなさんな。『鬼さんや』」
鬼さん?それよりも、うちは寒空に薄着で出てはる、鐙子様が心配でたまらへん。お風邪を召したらどぉしまひょう……
その時、そろと夏樹様がうちの口を、手でふさがりはりました。驚いて見上げると、厳しい視線でお外を見てはります。うちもそれにしても習いそのままに目を向けました……
「だあれや、お父様?」
ふわりと頼りなげな鐙子様、それを何処か嫌な絡む様な視線で見る桜の御方。しんしんと降り積もる白。吐息も凍える濃いお色……
うちは夏樹様に、しっかりと後ろから回された腕で体を抑えられながら、身動き一つで来ないままに眺めておりました。何故か……怖い事が起こりそうで、どきどきとしながら……
「……はじめまして『稲原 鐙子様』」
よく通る太い男さんのお声で、夏樹様が案じてはった、お名前をお呼びにならはりました。その瞬間、ぐっと腕に力が入る夏樹様。フラりとお部屋に戻る鐙子様。うちの後ろでは、初子様が嗚咽をこらえはっている。
「鐙子様?せっかく雪夜に参りました。大旦那様のお招きでございます。お話をお聞きして下さい……春樹様の事で……」
桜の御方が寒さに震えながら、忌々しくそう言ってはります。しんしんと降り積もる雪の中、凍る空気の中、このお人さんは、何しに来はったんやろ。
「秋子『時』が戻る……ここからの事はよぅ覚えておいて、直ぐに忘れるんや」
ひそと話された夏樹様。でもうちには、そのお声は何処か違いはりました。もっと低いお声の様な気がしました。そう『春樹様』を思い出させる、例えるなら、春の柔な夜の空気の様なお声……
×××××
――「春樹は、ここにはおらへん!お帰り、無礼者!」
と、鐙子様、元にお戻りにならはれたのか?声に力がおありです。お姿も、しゃんとしてはります。そしてそお手には、お部屋にお護りとして、奉ってあった日本刀が抜き身の姿をみせておりました。
「と、鐙子様?一体どうされましたか?」
青白い炎を放つ様な鐙子様の気迫におされ、後ろに後退りする桜の御方、そして書生さんのお後ろには、こちらも、お刀を手にした桔梗様達のお姿が、いつの間にかあらはります。
蛇に睨まれた蛙、そんな言葉が浮かびました。鐙子様は雪の中を、縁側から素足で降りられました。さん、すく、と音が聞こえるよう。
離れて見てても、それととれる様にガタガタと震えてはる、桜の御方。それをしかと目に留めながら、鐙子様は近づきにならはります。
「お前、何用でここに、は、春樹を、春樹を殺めたのはお前か!」
鐙子様は何も無い、白の上を見つめられております。目を見開き、お身体をふるふると、ふるふると、寒さではなくお怒りでされてるご様子や。それを目にした夏樹様が
「あそこで、倒れてた、血まみれでな」
ご自身の事の様に言わはるのに対して、うちは何やら思う事もあったのやけど、不思議に恐ろしゅうは無かった。もしかしたら、春樹様が降りられてるのかもしれん……巫女さんがそれであらはるように……何とは無しに、そう思ったんや。
×××××
綺麗、と不謹慎なんやけどうちは思った。ありがたい事に、口をふさがれてるので悲鳴を上げることなく、それをただ目を見開き眺めていた。
しんしんと、しんしんと細かく軽やかな雪の花弁が、止むこと無く降りしきる節分、鬼追いの夜。
夏樹様が言ってはりました『鬼さん』とは、企みがおありになり、鐙子様に近づかはる、男さん達の事や。
大旦那様は、稲原の家に邪魔な存在の者やと、こうやって御身内のお手で、始末なさっておるんや……桔梗様達も、お役目を担ってるんやわ。
そして今は、あんなにお可愛いがりにならはってた、鐙子様にも、それをさせはっとるんやわ。おそらく明日には、何もかもを忘れていなさるだろうけど、酷い事や……
――へてへたと腰を抜かし座り込む御方に、鐙子様は、濃く白色炎の様に、ほうほうと口から吐息を洩らしつつ、さす、さすと近づいて行かはりますと、
刀を両の手で握りしめ、気迫におされ動けぬ御方に斬りかかります、それを合図に、桔梗様達も動かれはります。
刀が振り下ろされます。逸品のそれはきちんと手入れをされてるので、先ずは一太刀で肩口から、腹へと一閃。恐らく断末魔のお叫び声を、あげはってるのやけど、うちの耳には入って来いへん。
白いお寝巻きに、飛び散る血飛沫、それが当たるとじわりと広がり、紅の牡丹がひらくみたいや。
はたはたと、積もる柔な白に散る鮮烈な赤、飛沫がはらはらと、白に降る花弁をも染めていくよう……
ずさぁ、と倒れその後、死に物狂いで、四つん這いで逃げようとする、鐙子様のお目に映る『鬼』……そのお衣装の襟首を掴まえられると、御自分の方に引き寄せると、再び刀を振り下ろされ、とどめをさしはります。
「お前が、お前が、春樹を殺めたのか!お前が!私の全てを!奪ったのか」
お刀は、お人を斬ると酷お傷むと聞いております。うつ伏せで動かなくならはった、桜の御方に、対して鐙子様は、幾度も、幾度も振り下ろされます。
桔梗様達もそれぞれのお役目を終えても、鐙子様をお止めすることは、できしません。
「さあ、出ようか、秋子はそこで静かにしてな『あの夜』も、いまわの力を振り絞り、鐙子を私は止めたんだ……」
ふと、お手を離されて春樹様が、そう、うちは春樹様と思いました。お身体もお心もそうだと思いました。カラリと障子をあけて、お庭へとさくりと、素足で降りられ、屍を前に血まみれで立ち尽くしている、鐙子様に近づいていかはります。
「ほら、ふゆ、私はここにいる」
何も目に入っておらない風の、鐙子様の後ろにまわりはり、そろりと抱き締められました。
辺りに倒れる骸からは、もあもあと生きていた証の温もりが立ち上ぼり、白いお庭にてぼてぼと、赤い血潮が花を咲かしてはる。
血まみれの鐙子様のお手に、固おに、握りしめてはる刀の柄をそろりと手を添えられはります。春樹様の白いお寝巻きも、赤いお色が移り染まっていかはってます。
「ほら、私はここにいるやろ、心配せんでええんや」
優しく耳元でささやく春樹様、ずるりと、体のお力がお抜けにならはる鐙子様をしっかりと、支えはります。それでもお手の物は握りしめたままやった。
お二人に、倒れる骸に、しんしんと、しんしんとと雪が降り積もります。地に赤く花咲く、それを静かに隠して元のましろのお庭へと戻っていかはります。
うちは、みぃんな、みんな隠すようにと願いました。
「春樹は……ここにいる、死んでなんかいぃへん……」
鐙子様が、春樹様にお気づきにならされ、お顔を確認しはると、ぽつりと言わはった後、お手からお刀をようやく、お離しにならはりました。
「うん、何時も側にいるから……離れないから、少し……休みなさい」
優しく声をかける春樹様。そのお言葉をうけて、ましろい濃い吐息を一つはかれますと、そのまま眠ってしまわりはった、鐙子様。
お雛様の様にお綺麗なお二人様。天から、白が途切れなく降り注ぎ、地をそれに染め上げていかはります。
白いお寝巻きに、印された赤く花咲く牡丹、血潮のお色の鮮烈な赤いお色……うちはとても綺麗やと、思いました。お人さんが、おなくなりになってるのに、とても綺麗だと……
鐙子様を抱き締め、降る雪の中をたたずむ春樹様。このお人は……亡者なのやと、思います。このお庭に留まってはるんや。こうした時にお姿を見せはるのか、普段は、鐙子様だけにみえはるのやろか。
時折、楽しそうにくすくすと、一人お笑いになられる鐙子さま。本当にずぅっと、お側にいはるのやも、しれへん。だあれにもわからん事やし……
そもそも、鐙子様は、わかっておられるのやろか?死んではることを、わかっててお心を閉じてはるのやろか。
何しろお仕えしてわかった。ご飯にしろ何にしろ夏樹様が扮する『春樹様』のお姿があらへんかったら、鐙子様は身動きお一つとられん。
お召し上がりになる事も、何かをお飲みになることも、朝も昼も夜も……なぁにもご興味を持たれへん。ただ、お人形さんの様に座っておられるだけや……
ほんとはわかってて、知らぬ、忘れた事にしてはるのか、どちらにせよ何と酷く、悲し運命や。
うちは、そんな事を考えながら、お二方様をしっかりとお支えせんならん、と思った出来事やった。そして、それは何時まで、続きになるんやろ、大旦那様も、旦那様も、どお、お考えにならはってるんやろ。
本宅のお力と、お偉いさんのお知り合いのお力を借りればこんなことは、無かった事にできはると、桔梗様に教えてもろおたけれど……
毎年来るんやろか、しんしんと降り積もる雪の日に、赤いお花が咲く夜が、続いていくんやろか、このお庭で、お人が逝かれるんやろか
春樹様、春樹さま鐙子様を、はようにお迎えに来てあげて下さりませ。みいんな、おかわいそうや、夏樹様も、初子様も、北のお屋敷のみいんな……うちは、そんな事を降る雪の空に、願いを込めて見上げたんや。
それは、如月の……節分の日、白く染め行く天地に、紅の花咲く夜、うちが冷たい事を願う、悲しいお色の夜やった。
『完』