秋子と名前の少女
うちの名前は『秋子』紅葉が舞い降りとった朝に、稲葉家の大奥様に、拾おて貰いました。
両親に、つけてもおろた、名前もあったと思うのやけど、よう言わへんかったって、
その時、数えの三つやったしな、と大奥様が言っておられました。
それから十二年、私は大奥様の元で育ち、お仕えしている日々を送っております。
……「秋子や、お前を手離すのは惜しいのやが、明日より、彼方に行って貰われへんか」
大旦那様と、大奥様に呼び出され、何かやらかして、しもうたのやろか、と思うていたら別のお話やった。
彼方?『北のお屋敷』の事やろか……とりあえず聞いてみまひょ、とうちは、聞くことにしました。
「はい、大奥様、彼方と言わはりますと『鐙子』様のところで」
そうえ、よう分かっとる。お利口さんや、そうえ、孫の鐙子について貰いたいんや、
秋子に、来てもらわれへんやろかと、北に、仕える皆が言うてるそうなんや、
と大奥様が言うてきはります。でもうちは、この年迄、稲葉の本宅から、大奥様のとこから離れた事が、あらへん。
鐙子様には、ここにおらはる時には、妹のようや、と可愛がってもろおたけど、うちで大丈夫やろか……
うちが返答に困ってると、大旦那様も、頼んできはります。
「心配やろう、鐙子は『気を病んで』おる、北の家は少々決まり事も変わっとおし、お人も少ない、だからお前に来てくれへんか、と『夏樹』が言うておるんや」
「夏樹様が?うちの事、覚えておらはる?」
大旦那様のそれを聞き、うちは急になんや、嬉しゅうなってしもおた。
夏樹様は、先の年冬に亡くなりはった、鐙子様の婿様の『春樹』様の双子の姉様。
稲葉の分家のお人様や、訳あって本宅で、お育ちにならはった御姉弟様。
お二人共にお姿は美しゅうて、何でもお出来になって、お優しゅうて……
春樹様が、本家の跡取り娘の鐙子様に見初められたのも、皆当たり前やって言うとった。
他の分家のお人達には、うるそう言うてはるお人達も、いらはったけれど、
大旦那様のお声かけで、それも大人なしゅうなったわ。
そして霜月の良い日に御二人は祝言をあげられはって、春樹様は、本家のお方入りあそばしたのち、
お二方は北のお屋敷にご新居を、構えはったんや。
……あんな事が、あらはらへんかったら、今もお幸せに過ごされてはるのに、お可哀想に、
そうや、如月の雪が止んだ、月夜の事やった
な。
×××××
『大変でございます!大旦那様!大旦那様!』
夜半に、道に積もりカチに固まっているそれを蹴散らし駆け込んで来た御方が、えらい知らせを運んできた来たんや。
北のお屋敷に、お仕えしてはる御方様や、
うちは大奥様に言われて、旦那様と奥様を離れへとお連れしたのは、丑三つ時を回った頃やったか……
「どうした、何があったのか!鐙子は!春樹の身に、何か起こったか?」
皆が揃うと、大旦那様が使いの御方に聞いたんや、するととんでもない事を言いはった。
『前から春樹様の婿入りに、反対なされていた、木野家の者が、賊を装い襲撃に、そして春樹様を、春樹様を……』
何が!春樹が弑されたと、そういうのか!そして何故に木野とわかる?賊の顔を見たのか!お主は。
何時もは穏やかな大旦那様が、大層厳しゅうに北の御方に、問い詰めはった。
驚いて言葉がでえへん旦那様と奥様、それと大奥様……
『は、はい、はい、み、見たのです、見たのです、木野の、木野家の者達でした……』
それを思い出したのか、ガクガクと震えながら答える北の御方。よほど怖いモノでも、見はったようやった。
「何を、何を見たんや、言うてみい、しっかりせんか!」
大旦那様が、御方に近よりかがんで肩をつかみはった。そして大奥様が、うちに気付けのお酒を酌んで来るよう、言わはりはった。
うちは急いでお湯のみに、一口のそれを用意すると、大旦那様にお伺いを立てたんや。
おお、気が付くな、とそれを震えるお方に手渡すと、それを一息に飲み干しはった、北のお方様。
それからの事は、うちは人払いになった事もあって、何が起きたのかは知らへんのや。
ただ、春樹様が亡くなられて、そのために鐙子様が『気の病』にならはりはって、誰の事も忘れはったと、聞いている……
×××××
「どうや、頼まれてくれへんか、お前にはすまないと思う。北の屋敷に入れば、終身仕えてもらわなあかん。でも、秋子にしか頼めんのや」
あの夜の事を知っとるのは、本宅では秋子だけや、それにお前は口もかたい、利口や、そこを見込んで頼んどるんや、
と大奥様が驚いた事に、うちに頭を下げてきはった!とんでもない事や!
「大奥様、もったいのおございます。うちみたいなもんに、いけません、お上げくださりませ」
慌ててお側に近寄ったうち、ほなら、引き受けてくれるのか、と聞かれたので、
うちはこういう時は、きちんとせなならん、と大奥様に教えてもろおてる、
だから、ちゃんとせなならんのや。でないと今迄教えてもらった事が、もったいのおなる。
先ずは、お二人の前で、姿勢を正して座り、深く一礼。そして、口上や、
「秋子でお役に立つのなら、終生、鐙子様にお仕えする事を、ここに宣します」
顔を上げ、そうのべると、再び深くお辞儀をした、うち、ちゃんと出来たと思う、それが証拠に、
「そうか、よう言ってくれました。さすがは私が育てた秋子や、これからは、北の屋敷にて、忠義を頼みましたよ」
大奥様が優しく、ご返答をくださった。大旦那様も、すまんな、とお声をかけてもろおた。
もったいないことや。捨て子で何にも知らへんかったうちに、食べさせて、着物も、お寝間も下さって、
そして礼儀作法から、読み書き迄教えてくれはったんや。
大奥様に、大旦那様に、稲葉の家に尽くすのは当然や。
――こうして、うちは、北の屋敷にお務めする事に、不可思議な決まりがある、お屋敷に、
あの事で、お心を病んで、風変わりになられている、稲葉の家の一の姫 鐙子様。
そんな彼女のお付きを、終生努める事に相成りました。