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優しさの大安売り

作者: 堀川 忍


妻が息を弾ませて帰ってきた。

「ねぇねぇ、貴方。今日とっても面白いものを買ってきたのよ?」

「またかい?」と私は心の中で呟く。とにかく彼女は実に変な物を買いあさるのが趣味で、超現代的な美術品(?)から、骨董品や民芸品に至るまで実に様々な物を団地の二階の狭い部屋に(彼女にすれば整然と)散りばめているのだ。「今日は何かな?」と思いながら、私は週刊誌から目を離した。

「ねぇねぇ、見てよこれ。何だと思う?」

「さぁ‥?」

 妻は大きな箱をテーブルの上に置いて、私の方を見て「当てて御覧なさい?」と言った。無論、私にはそれが私の興味とするところではないと直感していたが、私はあえて目を丸くして「何かな? 重いのかい?」と彼女にサービスした。すると妻は、待ってましたとばかりに鼻の穴を膨らませながら説明し始めた。

「重い物じゃないの。‥ほら、意外に軽いのよ。あのね? これ『優しさ』なんだって」

「はぁ‥えっ? 優しさぁ?」

 こともあろうに、妻は「優しさ」を買ってきたというのだ。しかも駅前の商店街で‥

「ほら、商店街の外れに空き地があるじゃない? あそこの所に『本日限りの大安売り!』っていう手書きののぼり旗が出てたのよ。それでね? 何かなと思って帰りに覗いてみたのね。そしたら、若い学生さんみたいな人が三人ぐらいで、これを売っていたっていうわけ」

「‥で、それを買ったのかい?」

「うん」

「いくらで買ったんだい?」

「千円よ」

「千円? 千円で『優しさ』を売っていたって言うのかい?」

「そうよ」

「そうよ、って‥ それ、『優しさ』なんだろう?‥『優しさ』が千円だなんて‥」

「だから大安売りなのよ」

「本末転倒、意味不明だね‥」

「そんな言い方は良くないわ。値段なんて問題じゃないわよ」

「それで? 売れ行きはどうだったんだい?」

「‥それが、さっぱりだったの。私が最初のお客さんだって」

「ハハハ‥」(多分最後だと思うよ)

「笑い事じゃないわよ。可哀想よ。あの人たち‥」

「世の中そんなに甘くないってことさ。どうせどこかの大学生か何かが、変な教授のゼミの課題か面白半分で考え出した小遣い稼ぎのつもりでやってたんだろうけど、‥それにしても、君はよくもまぁ、そんなものを買ってきたものだねぇ‥ 軽いってことは、つまり中身が無いってことなんじゃないのかい?」

「あら、そうかしら?」

 妻は、私の言ったことなど、さして気にも留める様子もなく、問題の『優しさ』が入っているという大きな箱の包み紙を解き始めた。

「まったく、君の経済観念というか人間性を疑うよ‥」と私は(もちろん彼女には聞こえないように)呟いて、目を読みかけの週刊誌へと戻した。

「あら‥?」と言う彼女の方へもう一度向き直ると、彼女は中から出てきたもう一回り小さな箱の蓋をじっと見つめていた。

「どうしたの? 何か書いてあるのかい?」

「‥貴方は、この箱を一週間押入れに入れて保管しておいてください‥一週間たつまでは決して箱を開けてはいけません‥モリノセンニン」

「モリノセンニン? 何だいそれ? 森の仙人‥つまり森に住んでいる仙人ってことかい?」

「そうらしいわね。‥全部カタカナで書いてあるわ」

「随分手の込んだ商品なんだね?」

「だってこれ『優しさ』なのよ? そんなに容易く中身が分かるもんですか」

「じゃぁ、君はまさかそれを‥?」

「もちろん、一週間押入れに入れておくわよ」




 本当に、人の迷惑も考えない「優しさ」だった。彼女は忠実に指示に従い、七日間「優しさ」を押入れに入れて、次に出てきた箱を本棚の上に六日間置いて、次は台所に五日間、という具合だった。

「冗談じゃないよ。薄気味悪い。捨ててしまえよ、そんなもの‥」と私が言うと、妻は「あら? 貴方は優しさを信じないの?」と切り返すし、「そんなのインチキだよ」と言っても、「一度やるって決めたことを途中で諦めたくないわ!」と言って、決して譲ろうとはしなかった。ここまでくれば、もう私は妻にかなわないから、放っておくしかなかった。

「故人曰く。信ずる者は救われる‥ 参ったなぁ‥」私は、ふと職場で一人苦笑したものだった。


「ねぇ、貴方? 次の指令は何だと思う?」

「次のって、あの『優しさ』のかい?」

「そうよ。ねぇ、当てて御覧なさい」

「あぁ‥ 四日間枕元に置いて眠れいうのが前の指示だったから‥ あれ? 七・六・五・四か‥ そうすると次は三かな?」

「ピンポ~ン!」

「場所はどこかな? ええと、押入れと本棚と台所と枕元か‥ 次はどこかなぁ? お風呂にでも置いておけって?」

「ブ~ ハズレ! もっと素敵な所よ」

「へぇ‥ 素敵な所ねぇ? ‥分からない。降参だ」

「じゃぁ、よく聞いてよ?『貴方はこの箱を持って三日以内に海が見える所へ行きなさい』‥だって」

「ええっ? 三日以内に海?」

「そう!」

「‥参ったなぁ、もちろん君はそのつもりなんだろう?」

「駄目? 明後日の日曜日、特に予定はないんでしょう?」

「うん‥ 確かに土曜日は用事があるけど‥」

「ねぇ、須磨浦まで行ってみましょうよ。車だったら一時間ぐらいでしょう?」

 いくら子どもがいないからって、妻のこの心理には理解できなかった。しかし、結論を言ってしまうと、私たちは二日後の日曜日に須磨浦の海岸までドライブに行ったのだった。久しぶりの海までのドライブに彼女は嬉しそうに声を上げていた。こうなってくると、もう私もどうでもいいという気持ちから、寧ろ彼女と一緒に「優しさ」楽しむ、と言った方がいいような気持ちになってしまった。




「次は? 次の指令は何だって?」

 須磨浦へのドライブを終え、家に戻ってきた私は、さっそく妻に聞いてみた。

「二日間食卓の上に置いておきなさい、だって」

 箱は少しずつ小さくなって、とうとう筆箱ぐらいの大きさになってしまった。私たちはその箱を食卓の上に置いて、箱の中身をあれこれと想像した。

「ダイヤが入っているかもよ?」と妻は笑顔で言った。

「そんなバカな‥せいぜい玩具の指輪さぁ」と私も笑って言った。


 ‥その時、私ははっと気がついた。

「‥これだ! これがこの『優しさ』の本質なんだ!」

 この妻の笑顔、この私の笑い声‥ これが、この箱のもっている価値なんだ。今の世の中で、たった千円でこんな笑顔が買えるなんて、何と気の利いた商品なんだろう? なんて素晴らしいアイデアなんだろう‥

 だが、私はもちろん黙っていた。妻に、だからこれは「優しさ」という夢を買う宝くじのようなものなんだ、と言ってこの商品の種明かしをしたところで、一体何になるというのだ? 彼女の純粋さを、そんなことで平凡化してしまってはいけない。そんなことは夫である私にだって許されることではない。考えてみれば、異常なのは彼女ではなく、目に映ったもの、あらゆるものに対して、その価値を吟味し、判断する。そして征服してまった後は、他のものへと目を向けようとする私たちの方なのではないだろうか?

 私は、私の傍で目を丸くして「優しさ」を見つめている妻の子どもっぽい横顔を眺めながら、そんなことを考えていた。


 妻は、その「優しさ」の指示に素直に従い、決して期日前に中を見ようとはしなかった。そしてとうとう最後の指示が出た。

『アナタハ コノハコヲ アナタノ タイセツナヒトニ アズケ ツギノヒノヨル ソノヒトニ フタヲ アケテモライナサイ コレガサイゴデス モリノセンニン‥』

 当然のことながら、妻はその箱を私に預け「絶対に見ないで、なんて言わないわ。貴方に任せるから‥」と言った。無論、その時、私は「何言ってんだい。見るつもなんてない。心配するなよ」と真顔で答えた。




 「だが‥」という考えが、私の心を捕らえた。

次の日の朝、職場へと向かい、昼休みにその箱を机の上に置いて、私が妻の笑顔を思い浮かべていた時、突然、ある不吉な考えが私を襲ったのだ。

「だが、もしも、この箱を作った人が最終的に悪意に包まれていたとしたら‥」 例えば箱の中は、やっぱり空っぽだったりして‥ いや、それならばまだ笑ってすませる話で終わるのだが、最後のメッセージが、例えば、

「アナタハ ホントウニ サイゴマデ ワタシヲ シンヨウシテイタンデスネ アナタノヨウナ タンジュンナヒトガ イルカラ コノヨノナカガ イツマデモ シンポシナインデスヨ オロカナ アナタハ エイキュウニ スクワレマセンヨ モリノアクニン」

 ‥なんてことになっていたとしたら‥ 妻はどんなに深く傷つくことだろう? 私は急に不安になってしまった。どうしよう? 私はどうすればいいのだろう? 「蓋を開けてみようか?」‥蓋を開けて、適当なメッセージを入れておけば、笑い話で終われるではないか? ‥でも、それだったら私は妻を裏切ったことになりはしないだろうか?

 私は無意識のうちに、その「優しさ」を手に取って耳元で振っていた。カタカタと音がする。

「何か入っている‥」

 それは一体何だろう? 妻を喜ばせるものなんだろうか? それとも傷つけるものなんだろうか? 一体何だい? 本当に一体何なんだろう‥?

 私は恐かった。その中身が何であれ、それを知ることが恐かった。だが、結局私はその箱を開けないまま、自宅に持って帰ったのだった。


「いよいよだね?」

「本当‥ いよいよね」

 私は、その「優しさ」を手に持って、妻の方へ差し出した。

「あら? 貴方に開けてもらわなきゃ困るのよ」

「で、でも‥」

「さぁ、早く! 私の一番大切な人なんでしょう?」

「一つだけ、約束してくれないか? たとえどんなものが入っていたとしても、これを作った人を恨まないって‥」

「うん。私は『優しさ』を信じるわ」

 私は、妻の瞳をじっと見つめて、それからゆっくりと包み紙を破り、蓋を開けた。

「あら?」

「あっ!」

 私たちは同時に声を上げた。小さな箱の中には、出雲大社のお札が入っていたのだ。そして例によってメッセージが入っていた。私はその紙片の方を取り出して、ゆっくりと読み上げた。

「ヤサシサノ ホンシツハ ソノカテイデアッテ ケッカデハナイ アリガトウ モリノセンニン」

「優しさの本質は、その過程であって、結果ではない。ありがとう‥森の仙人」


 私は妻の瞳がキラキラと輝いていることに感動した。そして、この森の仙人の言葉に感動した。とにかくあらゆるものに感動したのだ。「何て美しいんだ!」私は思わず呟いた。けれど、心の中では、そう叫んでいた。

「貴方‥?」と妻が囁くようにか細い声で言った。「私、こんな素敵な買い物をしたの生まれて初めてよ。もう一度会いたいなぁ、これを売ってくれた人たちに‥ 会って『ありがとう!』って言いたいなぁ‥」

 私は妻の名を呼び、そっと私の方へ抱き寄せた。彼女は出雲大社のお札を握りしめたまま、私の胸に抱かれていた。

「私、貴方が私の一番大切な人でいてくれて、本当に良かった‥」と妻が呟いた。

「最後の最後まで『優しさ』を信じた君は最高に素敵だよ‥」私は彼女の耳元で優しく囁いた。


 ‥でも、そうした長い抱擁の後で、妻は急に顔をあげて、ニコニコと笑いながら私にこう言ったのだ。

「貴方? これからは絶対に、私が買ってきたものに文句を言っちゃぁ駄目よ?」


                                            (了)


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