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来世は石油王




「寝癖……ニワトリみたいになってますよ……」

「流行ってるんだよ……」

 閻魔がベッドを降りる気配で目を覚ました月乃は、布団の中から彼の頭を見上げて弱々しい声で呟いた。

 返事をする閻魔の声も弱々しい。どうやら月乃と同じく朝は弱いようだ。

 よたよたと浴室へ入って行く彼の背中を見送って、ベッドの上で上半身を起こした。結局一晩一度も起きずに爆睡していたらしい。やはり神経が極太なのかもしれない。

 思い切り伸びをして手櫛で髪を整えてベッドから降りる。シャワーを浴びてきたらしい閻魔と交代して洗面所に入り、顔を洗った。

 部屋に戻ると朝食はもう出来上がっていた。

「八時までに仕事場に行くが、お前もついてくるか?」

 焼きたてのロールパンを頬張りながら閻魔がそう聞くので、月乃は驚いてフォークに刺していたソーセージを取り落とした。

「私もついて行っていいんですか?」

「構わない。そんなに楽しくないかもしれないけど」

 この部屋は漫画もあるしテレビもあるし、ネットにつながっているらしいパソコンもある。退屈はしないだろうが、閻魔の仕事を見学できる事なんてそうそうないだろう。好奇心が勝ってしまった。

「じゃあ、行ってみたいです」

「分かった」

 閻魔は頷いて食事を再開した。その口元にはほんの少し笑みが浮かんでいる。まだ長い間そばにいたわけではないが、彼のことが少しだけ分かった気がする。意外といい人だ。多分。

 天国に行けることは確定しているし、来世も良くしてくれるよう計らってくれるらしい。犬は可愛いしご飯は美味しいし、数日貞操を守らなければならないということさえ我慢すれば、これはなかなかどうして閻魔のご機嫌取りに駆り出されたのは運のいい出来事だったのではないだろうか。

 ごちそうさまをして食器を片付ける犬たちの手伝いをする。部屋に帰ってくると、彼は着物のような豪奢な衣装を着ている最中だった。

「閻魔様っぽい」

「ぽいってなんだよ。閻魔そのものだよ」

 複雑そうな紐が何本も垂れ下がっているのを慣れた手つきで結んで、彼はもうすでに疲れたような顔でため息をついた。

「人間の人生の終わりに立ち会うからな。正装じゃないと失礼だろ。お前の服もクローゼットに入ってるぞ」

 思わず見惚れていた視線を慌てて彼からクローゼットに移して、扉を開いた。三分の一ほどに月乃が生前着ていた洋服が入っていた。

 パジャマといいどういう仕組みになっているのだろうと思ったが、やはりあまり深く考えないことにする。

 シンプルなワンピースを手に取って洗面所で着替えて出てくると、閻魔はもう扉の前に立っていた。

「遅い。置いていくぞ」

「ごめんなさい」

 慌てて彼に駆け寄って一緒に部屋を出る。シロとクロが月乃を挟むように横に寄り添う。ポチは部屋に残るようだ。

 廊下を歩く黒いスーツの鬼たちは、閻魔に深々と頭を下げ、そして月乃の姿を見てぎょっとしていた。

 セクハラ嘘つき鬼を探したが見つからない。無理やり連れて来られたのは不問にしてやるが、嘘をついたことと胸を触ったことは許すつもりはない。絶対に一発殴ってやろうと心に決めていた。しかもグーでだ。

 長い廊下をずっと歩いて、突き当りにひときわ大きくて豪華な両開きの扉があった。閻魔はそれを遠慮なく開けて部屋に入っていく。月乃は「失礼します……」と呟きながらビクビクと部屋に入り、そして口をあんぐりと開けた。

 閻魔の仕事場と言えば、格式が高そうな和風の部屋で、少し高いところに座る閻魔が裁かれにくる死人たちに厳かに「天国」「地獄」と言い渡す、そんな想像をしていた。

 しかしこの部屋はどうだろう。どこからどう見ても近未来のSF映画に出てくるようなコンピュータールームだ。

 中央には大きなモニターのついた複雑そうな機械が置いてある。向かいの壁はガラス張りで、隣の部屋がよく見えていた。

「ハイテクですね……」

 モニターの前の椅子に腰を下ろした閻魔に近寄り、月乃はようやく口を開けた。

「そうだろ。最近……五年ほど前に導入されたんだ。その前までは巻物のような物だったから、そりゃもう便利になったが、いかんせん目が疲れる。ドライアイになりそうだ」

 巻物からコンピューターなんてどう考えても時代が飛び過ぎだ。

 一体どこから導入されたのか、考えても無駄なことは分かっている。後ろで鬼が部屋を出たり入ったり機械をいじったり、忙しなく動いていた。

「そこの椅子を持ってきて座ってろ。機械には触れないように」

「こんなの怖くて触れません」

 言われた椅子を持ってきて、閻魔のすぐ隣に置いて腰を下ろした。

 彼がコンピューターを操作する。和風な衣装と余りにも不釣り合いで、そこだけ現実離れしているような浮いているような気がした。

 ガラスの向こうの隣の部屋に明かりがついた。無機質な部屋だ。家具は何一つない。奥と左右にシンプルな扉がひとつずつついているだけだ。

 奥の扉が開いて、そして誰かが入ってきた。随分と疲れ切った顔の老人だった。すぐに悟る。ずっと待たされていた死人だ。

「あの、どれくらいボイコットしていたんですか?」

「……三日」

 さすがに老人のその顔を見て罪悪感を感じているのか、少し気まずそうに閻魔は言った。

 モニターに文字が流れる。小さな文字が、下から上へものすごい勢いで。もちろん月乃には読めない。日本語かどうかすら分からない。しかし閻魔はせわしなく黒目を横に縦に動かし、理解しているようだった。

「……ちょっとオマケしておこう」

 そう呟いて、彼は操作する。ずっと俯いたままだった老人は小さく頭を下げて、そして月乃から見て左に歩いていってドアの向こうに消えた。

「左は天国ですか?」

「そうだ。……便宜上天国と言っているが、分かりやすく言えば生まれ変わり待機部屋、右の地獄は魂消滅部屋だな」

「魂消滅……」

 ぞぞぞと背中が冷たくなって、両腕をさすった。

「天国に行けば、そこで生まれ変わるのを待つ。すぐに生まれ変わる奴もいれば、何十年と待つ奴もいる。地獄は生まれ変わる価値もない奴らを集めて押し込めて、部屋が窮屈になったら全員まとめて押し潰す」

「痛みは感じるんですか……?」

「想像を絶する苦しみだと聞いたが、経験したことはないから分からないな」

 思っていた地獄とは違っていたが、恐ろしいものには変わりない。もう聞くのはやめよう。黙って彼の手元を見つめる。文字が流れ終わり何か操作すると、隣の部屋の中年男性は少しふんぞり返ったまま左に歩いていった。

 閻魔の横顔をじっと見つめる。

「話しかけても大丈夫ですか?」

「もちろん。暇つぶしにお前を連れてきたんだ」

「その文字が流れてるのって、全部読んでるんですか?」

「読んでる。この人間がどんな人生を歩んできたか短くまとめてある」

 短くはない。いや、人の一生を文字にするにはきっと短いのだろう。

「全部読んで、それでその人がどんな人なのか分かるんですか?」

「分かるよ。一瞬だけ、そいつの人生が頭に流れ込んでくる。自分で経験したかのように」

 それは、地獄に落ちて当然の極悪人の人生も、壮絶な死に方を経験した人の人生も、一瞬とは言え全て自分が経験したように感じるということか。

「……聞いてるだけで気が狂いそう」

「最初は、参ってはいたな」

「閻魔様の任期ってどれくらいなんですか?」

「ちょうど百年」

「どうやって決まるんですか?」

「今並んでる死人の中から決める」

 驚く。てっきり、神様的なものがなるのだと思っていた。

「俺もお前と同じ人間だ。第一次世界大戦が終わった頃だったか、二十二歳で病気で死んだ。俺より任期は短いが、鬼も一緒だ。閻魔や鬼の任期の終わりが近付いたら、死人の中から適任者が選ばれる」

「どんな風に……?」

「ふと思うんだ。裁こうとしたら、『あ、こいつ鬼にしよう』って。閻魔も同じようなものだろう。俺もあと数日だ。早かったら明日。遅くてもあと六日程度。適任者が来たら、俺もそいつに裁いてもらって、お終いだ」

 呆然とした。任期が終われば神様的なものになって、地上の人間を見ながらゴミのようだと嘲笑っても許されるのかと思っていた。

「そ、そんな……そんなの、ただ大変なだけじゃないですか……普通の人なのに、百年も、こんなところで、こんな辛いこと」

 涙が溢れて、慌てて拭う。どれだけ辛いことなのか、想像することすらできない。

 閻魔はちらりとだけ月乃を見た。

「それは嘘泣き?」

「……知りません」

 口を尖らせて鼻をすすった。

「別に辛いことばかりじゃない。任期が終わったらほぼ確実に天国に行けるし、その時に色々注文をつけることができる」

「注文?」

「来世は人間で、イケメンで高身長高学歴高収入で、って注文つけられる。石油王の息子になりたい、くらいなら叶えてもらえると思うぞ」

 明治生まれのくせにどうしてイケメンや石油王なんて言葉を知っているのかと思ったが、そう言えばテレビもネットも見放題な事を思い出した。

「それでも……百年は、大変です」

 閻魔は手を止めて月乃を見て、その前髪に手を伸ばす。前髪をかき上げて月乃の目をじっと見てから、彼はまたモニターに向き直った。

「百年人間を裁き続けて、顔を見るだけで天国行きか地獄行きか、何に生まれ変わるのか何となく分かるようになった。お前は来世も人間だ」

「人間か……お金持ちの猫に生まれ変わってのんびりしたかったです」

 急に触れられた恥ずかしさをふてぶてしい言葉で誤魔化すと、閻魔は真面目な顔で言う。

「来世を優遇してやると言ったが、生まれ変わる種族までは俺の独断で決められない」

「なら人間で我慢します」

「そうしてくれ」

 彼は口を動かしながらずっと目と手も動かしている。

 疲れた顔をした死人はどんどん流れていく。数人右の扉へ入っていったが、彼らは絶望の表情を浮かべはしたが、抵抗することはなかった。

 生まれ変わったらどんな人間になりたいか、ふたりでずっと話をしていた。顔も頭も良過ぎたらそれはそれで苦労しそうだ。中の上、上の下くらい。そんな話で盛り上がって、閻魔が文字を読みながら苦しげに息を付いたときは背中をさすってやり、あっという間に時計は十九時少し前を指した。彼は今日初めて時計を見上げた。

「あとひとりにしておこう」

 途中で短い昼休憩と一時間に一回数分の休憩はあったが、それでも朝の八時から十九時まで、彼はほとんどモニターから目を離さずに仕事をしていた。月乃なら今頃、絶対に頭痛に悩まされているはずだ。

 隣の部屋の扉が開いて、今日裁く最後の死人が入ってきた。

「あっ」

 思わず声を漏らす。首吊り自殺のくたびれサラリーマンだった。

「知り合い?」

「いえ、私が鬼に連れ去られた時に助けようと頑張ってくれた人です。私の前に並んでた人」

 ということは、月乃が大人しく列に並んでいたらサラリーマンが最後で月乃は次の日に回されていたようだ。

「ふぅん」

 文字に目を走らせながら閻魔は気のない返事をした。手をパネルの上に置いて「自殺か」と呟く。その手がふらふらとさまよう。何度かあったが、迷っているようだ。

「あの、すごくいい人でした。列を離れてまで私を助けようとしてくれたのは、この人だけだったんです」

 必死にかばう。月乃を少し見下ろしてから、閻魔はまたモニターに目を戻した。

「ずっと人間で生まれ変わっているな」

 もう数秒迷って、閻魔は何か操作をした。サラリーマンは左に歩き出す。何か言おうとして思わず立ち上がった。しかし適切な言葉が思い浮かばない。サラリーマンが振り向く。が、視線は合わない。彼は唇を引き結んで、天国の扉の向こうへ消えた。

 何に生まれ変わるかは分からない。それでも苦しんで死んだ後に苦しんで消え去るよりは、ずっといい、はずだ。多分。いや分からない。でも、来世はもしかすると、素晴らしいものかもしれない。

 息をついて椅子に座る。

「そう言えば、ちゃんとお礼できてなかったな……もし来世で会えたら、お礼がしたい」

 閻魔はコンピュータの電源を落として、月乃を見ずに言った。

「随分あの男を気に入ったんだな」

「気に入ったというか……応援したいだけです」

 少し低い声に彼の横顔を見る。不機嫌に見えた。

 横から口を出した事を怒っているのかもしれない。謝ろうと口を開いたが、扉が開く音が聞こえて閉じた。

「お疲れ様でした、閻魔様」

 鬼が立っていた。几帳面そうに撫で付けてある髪と黒縁眼鏡が特徴的な、三十代後半くらいのひょろりとした鬼だ。

 閻魔の顔が盛大にしかめられたのが分かった。眼鏡の鬼は月乃を見て、馬鹿にするように笑う。

「死人を裁く立場にあるお方が、己の欲のまま死人を連れ回して……さぞやお楽しいことでしょう」

「ああ、貴様らがいい女を用意してくれたおかげで、残り数日楽しく過ごせそうだ」

 皮肉に皮肉を返し、閻魔は立ち上がる。

「でしたら猫を輪廻に戻した私に感謝して頂きませんと」

 何となく予想していたが、やはりこの鬼が閻魔の猫を勝手に連れて行った鬼のようだ。閻魔が激怒しだすのではないかと気が気ではなかったが、彼は一瞬口の端を動かしただけだった。

「この糞ガキが、どうにかして俺を怒らせたいように見えるが、馬鹿なのか? 阿呆なのか? それとも頭が悪いのか?」

 いや、やはりブチ切れているようだ。

「貴様らの評価は次期閻魔に引き継がれる。鬼で初めての地獄行きになっても知らんからな」

「それは脅しですか?」

「事実を述べている」

 月乃の腕を掴んで、閻魔は部屋を出ていった。途中で手を離して、彼はひとりでどんどん進んでいってしまう。迷子になったら部屋にたどり着ける自信がない。

 必死に小走りでついていき、部屋に着く頃には月乃の息は切れていた。ゼーゼーと息をする月乃を閻魔は振り返りもせずに服を脱ぎだす。やはり怒っているようだ。

 ポチが入れてくれた水を礼を言って受け取って、一気に飲み干した。

「先に風呂に入る」

 その声に閻魔を見ると、彼は薄手の長襦袢を肩から滑り落とすところだった。慌てて視線をそらす。恐らくその下は下着一枚だろう。

「行ってらっしゃい……」

 首を変な方向に曲げながら言う。浴室の扉が開いて閉じて、ようやく姿勢を元に戻した。

 床に散乱した閻魔の衣装を拾い集める犬たちを手伝う。彼が出てくるタイミングに合わせて、クロとシロが食器を並べ始めた。

 邪魔をしないようにソファに避難して、適当につけたテレビを見ながら考え事をする。閻魔が怒っている原因だ。

 あの眼鏡の鬼に怒っているのは確実だ。しかし、彼は鬼が来る前から機嫌が悪かった。どう考えても月乃が原因だ。やはり謝っておかなければ。

 シャワーだけ浴びたらしい閻魔が出てきて食卓に座る。一緒に座ってご飯を食べながら、むっすりと黙ったままの閻魔を見た。

「怒ってますか?」

「……怒ってない」

 それはそれは機嫌の悪い声で彼はそう言う。

「さっき、すみませんでした。今日最後の死人を裁くときに、横から余計な口を出して」

「そんなこと怒ってない」

「じゃあ何を怒っているんですか?」

 彼は押し黙って、拗ねたような顔をした。まるで子供だ。結局そこから閻魔は口を開かず食事は終わり、彼はさっさとソファに移動してテレビを見始めた。

 「お風呂をいただきます」とかけた声にも返事はなかった。風呂から出ても彼はソファに座ってテレビを見ている。

 隣に座るわけもいかず、ベッドの端に浅く腰を下ろして俯いた。テレビから聞こえる芸人の騒ぐ声がそら寒い。

 勝手に本棚の漫画を読もうかと思ったが、何が機嫌の悪い彼の逆鱗に触れるか分からない。

 目の前にクロが寄って来たのでその頭を撫でて頭をぎゅっぎゅと抱きしめる。日向ぼっこをした後のような匂いが最高だ。ポチとシロも寄ってきたのでみんな順番に撫でて抱きしめていると、テレビが消えて閻魔が立ち上がった。

「寝る」

 相変わらずムスッとした声で言って、彼は月乃が座るベッドに入った。

「はい」

 その隣に少し離れて寝転ぶ。犬の誰かが電気を消したようで、部屋は暗闇に包まれた。意味もなく息を潜める。閻魔が寝るのを待っていた。しかし何分待っても寝息が聞こえてくる事はなく。

 衣擦れの音が聞こえて、枕元のテーブルランプが突然ついた。目を細めながら見上げると、すぐそこに閻魔の顔があった。

「抱かせろ」

 声も上げられずに近付いてきた顔を思わず押し返した。その手を払われて、伸し掛かられる。手首を掴まれベッドに押し付けられ、オレンジの光に照らされた閻魔の顔を呆然と見上げた。

「……嫌か?」

 返事ができなかった。抵抗もできない強い力に押さえつけられて、恐怖で声が出なかったからだ。

 それを閻魔も感じ取ったらしく、彼は「もういい」と呟いて月乃を離すと、ベッドの端に寝転んで背中を向けた。

 起き上がって、その背中を見下ろす。もうわけが分からない。

 ベッドから降りて、テーブルランプを消す。手探りでソファにたどり着くと、そこで丸くなった。まだ震えている手を握り締め、滲む涙を我慢する。泣くのなんて悔しかった。

 彼の話し相手になって、少しでも楽しく過ごしてほしかった。しかし彼にとって月乃はただの性欲処理でしかないのだろうか。そしてそれが果たされないのなら、ここにいる意味はないのだろうか。

 ギッとベッドが鳴った。まぶたを上げると、暗闇に慣れた目にぼんやり、ソファのそばに立つ閻魔の姿が見えた。

「何でソファで寝るんだ」

「……そばにいないほうがいいと思って」

「来い」

 手を引かれてベッドに逆戻りした。

 ここにいる意味がないわけではないようだ。

 ベッドに寝転んで向かい合って、目を合わせようとしない彼を見る。

「どうして怒ってるんですか?」

「……分からないんだ。どうして怒ってるのか、自分でも分からない」

 暗闇の中、彼は視線を俯けたまま言う。

「お前が、あのサラリーマンの男に来世も会いたいと言って……その時から苛々してしかたがない」

 月乃は彼の顔を覗き込む。

 本気で言っている、ようだ。

 彼の苛立ちの原因を、簡潔な言葉で表現する。

「……焼きもちですか?」

 彼は月乃を見て目を丸くして、そしてその目をフラフラと泳がせた後、睨むように視線を戻した。

「……違う」

 そうだと言っているような態度だ。

 焼きもち、なんて可愛らしい。百年以上も生きてきて、人間の酸いも甘いも見尽くしてきたくせに、どうしてこれが焼きもちだと分からないのか。

 さっきまで心にこびり付いていた不安があっという間に飛んでいった。笑いを耐える。

「可愛いですね」

「うるさいな。年上にそんな風に言うな」

「焼きもちを焼く百二十二歳ですか」

「焼いてない」

「そんなに私の事が好きなんですか?」

「違う」

「もしかして一目惚れですか?」

「お前なんか好きじゃない」

 これは天然物のツンだと感動する。生で見るのは初めてだ。

「じゃあ、嫌いなんですね……」

 少し声を落として呟くと、彼はチラリと月乃を見て、ぶっきらぼうに言った。

「別に、嫌いじゃ、ない」

 デレた。もう我慢できなくて声を出して笑うと、閻魔は憮然と唇を尖らせた。思わず頭を撫でる。

「犬みたいにするなよ」

 そう言いながらも、彼は月乃の手を払うことはなかった。

 この人はすごい人だ。賢くて、強い人だ。そして、とても可愛らしい人だ。あと、きっと寂しがり屋だ。

 犬にしたように胸に抱き寄せ、後頭部の髪の感触を楽しむ。少しの間撫でて、そして顔を上げた彼と目が合った。

 違うんだこれは母性本能なんだと心の中で言い訳をしながら、彼の額に唇をつける。

 今度は閻魔の唇が月乃の額に触れ、頬に触れ、そして唇に触れそうになったのを、両手でバチンと遮った。

「……ここまでさせたのなら最後までさせろよ!」

「それとこれとは別です!」

「なら胸だけでも触らせろ!」

「馬鹿じゃないですか! 馬鹿じゃないですか!」

「馬鹿馬鹿言うなこの馬鹿!」

 伸びてきた手を必死に払う。

「ちょっと、変なもの足に押し付けないでください!」

「あーあ! もう寝よ寝よ!」

 閻魔は不貞腐れたような顔をして、昨日と同じように月乃を後ろから抱きすくめると髪に顔を埋めた。

 しまったまた怒らせたと焦る。だって仕方ない。そんなおつまみ感覚で胸を触られるわけにはいかない。

「……おやすみなさい」

「おやすみ」

 恐る恐るおやすみの挨拶をするとすぐに返事が返ってきて、本気で不貞腐れているわけではないと分かって安心した。

 上着を着ていないので寒いかと思ったが、彼の体がとても温かいので心配はなさそうだ。

 あくびをする。すぐ後ろからもあくびが聞こえて、感染したなと少し笑う。

 まだ太ももの後ろに不穏な気配を感じるが、閻魔を信用することにする。許可がないと胸すら触ってこないなんて、あのセクハラ嘘つき鬼よりよっぽど紳士だ。

 閻魔の寝息が聞こえてくる前に、月乃は夢の世界に飛び込んだ。





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