第八話 大胆アプローチに嫉妬で弱気で自己嫌悪
「はああ……」
紗也香は盛大な溜息を吐いていた。
隣の席に健太の姿はない。
それどころか朝早い所為で教室には誰もいなかった。
紗也香は一人、外を眺めて黄昏ている。
いつもなら健太と一緒に登校するのだが今日はそんな気になれなかった。
その原因は……
そう、昨日の早瀬さんの告白だ。
あの言葉がずっと頭にこびりついていて離れない。
彼女の言葉が信じられなくて何度も聞き間違いだと否定した。
だが、紗也香はそれが現実逃避だと自覚している。
そんなことを考えていると時間はあっという間に過ぎていた。
着いた頃の静けさが嘘のように教室は生徒達で賑わっている。
時計を見ると始業のベルが鳴る三分前だった。
隣の席はまだ空だった。
紗也香が迎えに行かなかったせいで今日、健太は遅刻するかも知れない。
そんなことを思って少し胸が痛んだ。
紗也香はなんとはなしに出入口に視線を送る。
すると健太が入って来た。
どうやら間に合ったみたいだ。
紗也香は軽く安堵した。
しかし、そんな気持ちも健太の隣を見るまでだった。
「あんた達、何やってるのよ!」
その大声にクラスメートの視線が一斉に集まってきた。
いつもの紗也香ならここで顔を真っ赤にして矛先をおさめるのだが、今日はそれどころではなかった。 紗也香の視線は早瀬さんの胸の前で釘づけになっている。
そう、彼女は健太と腕を組んで現れたのだ。
紗也香は我を忘れて怒鳴っていた。
「あんた。なに早瀬さんと腕なんか組んでるのよ!」
紗也香の勢いに気圧されたのか、
それとも早瀬さんと腕を組んでいることが恥ずかしかったのか、
健太は口篭っていた。
そんな紗也香の前に早瀬さんが割って入る。
「なにをそんなに怒ってるんですか? 星野さんが怒る理由がわからないんですけど?」
小首を傾げながら紗也香に尋ねてくる。
彼女の言葉には険がなく自然にこぼれたような感じだった。
紗也香は言い返してやりたかったのだけど、
みんなの視線が気になって、
それ以上は何も言えなくなった。
早瀬さんはそんな紗也香を不思議そうに見ながらその横を通過していく。
当然、健太の腕を離す気はないみたいだ。
それどころか反対に腕に力を込めていた。
健太の腕に押しつけられた胸が形を変えているのが目にとまった。
なに、あれ?
紗也香は驚愕で目を剥いていた。
早瀬さんは着痩せするタイプらしい。
制服姿では自己主張してなかったのに、
健太の腕を組むという行為で視線が集中したとたんにその胸は輝きだした。
いままで黙ってことの成り行きを見ていた男子がそれを目聡く見付けてどよめいている。
「すげえぇ。なに、あの大きさ。いままで気付かなかったよ」
紗也香は自分の胸とは比べ物にならないその存在感に圧倒されて男子を注意することも忘れていた。
早瀬さんはみんなの視線を受けて恥ずかしそうに身をよじるが健太の腕を離そうとしない。
それを見て紗也香の胸はチクリと痛んだ。
みんなの視線が赤くなるくらい恥ずかしいのに離れようとしないなんて……
そこまでして腕を組んでいたいの?
健太はなぜ腕を組まれたままなの?
デレデレしちゃって。
何あの顔……。
小さな胸の痛みはいつの間にか、健太への怒りで塗りつぶされてしまった。
それが紗也香と言う少女なのだ。
「こっ、恋人でもないのにこんな公衆の面前で腕を組むなんて恥ずかしくないの!」
「いや、それはその……」
健太がしどろもどろになっていたがそこに早瀬さんが入ってくる
「別に腕を組むくらい、いいじゃないですか? 健太さんとは友達ですもの。欧米ではこれくらい普通ですよ」
帰国子女の早瀬さんに言われて「そんなものなの?」とみんなが納得しかけていた。
しかし、ここで引き下がってはいられない。
「ここは日本よ。そう言うことは恋人同士がやることで……学校でそう言うことは……」
最初の威勢はどこに行ったのか、どんどん紗也香の声は小さくなっていった。
自分で言ってて恥ずかしくなってきたのだ。
最後の方はもう言葉にすらなっていない。
「星野さん? 申し訳ありませんが何を言いたいのかわからないんですけど、説明してもらえませんか?」
早瀬さんは紗也香に無垢な視線を送ってくる。
それにクラスメートの好奇に輝いた視線が加わって、紗也香はこの羞恥プレイに耐えられなくなった。
「なっ、なんでもないわよ!」
結局、大きな声をあげて足音荒く引き下がった。
早瀬さんは訝しそうに紗也香を見詰めた後、健太に微笑みかけて自分の席に向かう。
クラスメート達は目を丸くして驚いていた。
「おいおい、大人しそうな早瀬さんが、あの凶暴、凶悪な星野さんを撃退しちゃったぞ」
「すげえ、こう言うのを無欲の勝利っていうのかな」
「怒った紗也香が暴れないところなんて初めて見た」
「紗也香ちゃん、何か悪いものでも食べてのかな」
周りでひそひそと、そんなことを言っていた。
だが紗也香には言い返す気力がなかった。
紗也香はそれを聞かないふりして授業の準備を始める。
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今日は時間が進むのが早かった。
ずっと考え事をしていたお陰で授業内容をほとんど覚えていない。
まあ、隣でいちゃつく二人が気になって集中できなかったことも理由なのだが……。
早瀬さんはどんどん大胆になっていく。
欧米風のスキンシップと言う大義名分を得たのをいいことにベタベタ健太にまとわりついていた。
健太も口では嫌がっているものの鼻の下が伸びきっていて、バカップルにしか見えない。
紗也香としては文句の一つも言いたくなるのだが、今朝のことを思い出すとなかなか強気に出られなかった。
でも、口出しできない本当の理由はそこではない。
昨日の出来事が頭を過るとどうしても一歩踏み出すの躊躇してしまう。
そう、早瀬さんの告白。
紗也香はまだその話について訊けないでいた。
聞こえなかったことにして無視出来ればいいのだが、
気になるものはどうしようもないのだ。
その所為で妙に意識をしてしまってあれから健太と全く口を聞いていなかった。
健太はと言うと、今朝の一件で紗也香がまだ怒っていると思っているのか話しかけてもこなかった。
すぐ隣にいるのに健太との間に目に見えない壁があるみたいで紗也香の気持ちはどんどん沈んでいく。
そんな事を考えながら隣を見ると、健太と早瀬さんが仲睦まじく帰り支度をしていた。
……何か面白くない。
勝手な言い分なのはわかっているが面白くないものは面白くないのだ。
だからと言ってはこっちから話しかけることも、怒って文句をつけることも出来ない。
朝からずっと悶々とした気持ちで過している。
ああ、これと言うのも健太がハッキリしないのがいけないのよ。
健太は早瀬さんに告白されたんでしょ。
それなのになんで二人は仲良くしてんのよ。
健太が早く返事すれば――
もしかして、健太も早瀬さんのこと……
「紗也香、帰ろうか?」
紗也香が妄想の中で一人のた打ち回っていると健太が帰りの支度を終えたのか目の前に立っていた。
今日、初めて健太が話しかけてきた言葉である。
それがちょっぴり嬉しかったのだが、健太の向こうに不満そうな早瀬さんが見えて紗也香の気持ちは萎んでしまった。
健太の気持ちがさっぱり分からない。
早瀬さんに優しく接しているし楽しそうに一緒にいる。
でも、それだけ。
恋人のように扱っているようには見えない。
もしかしたら、わたしが勘違いしているだけであれは告白では無かったんじゃないか?
それとも、あの出来事、自体が紗也香の見ていた夢だったのではないか――
そんなことさえ考えてしまう。
「紗也香? どうかしたの?」
健太が紗也香の顔を心配そうに覗き込んでいる。
目の前にある健太の顔に気付いて、紗也香の胸はドキンと高鳴った。
「何でもないわよ。今日は用事があるから先に帰ってて」
赤くなった顔を悟られないようにプイっとそっぽを向くと、シッシッと犬や猫の子を追い払うかのように手を振った。
「そうなんだ。じゃあ、ありさちゃん行こうか」
「はい」
健太は紗也香の言葉をバカ正直に信じたのか、それともまだ機嫌が直ってないとでも思ったのかさっさと教室から出ていった。
早瀬さんも飼い主を追いかける子犬のように嬉しそうに寄り添って出ていく。
なによ。健太の奴。
用事があるならわたしの事を待ってるとか、手伝うとか、そう言うことは考えないの?
それにあんなに楽しそうに早瀬さんと……。
紗也香は自分が追い返した事を棚に上げてその背中を怨みがましく睨んでいた。
いつもならそれで振り返ってくれるのだが、振り返って欲しいと思っている時に限って振り返ってくれない。
それどころか健太は早瀬さんに微笑みさえ返している。
「あの微笑みはわたしだけのものだったのに……」
「うわあぁぁぁぁぁ」
紗也香はびっくりして叫んでいた。
突然の悲鳴にみんなの視線が集まってくる。
まだ、授業が終わってそう時間が経ってなかったので結構な人数が残っていた。
紗也香は恥ずかしそうに顔を伏せる。
それを見て笑いながら涼子が「何でもないよ」とクラスメート達に応えていた。
「もう、いきなり後から声かけないでよ」
紗也香は頬を膨らませて恥ずかしそうに怒っていた。
そんな紗也香を見ながら涼子は嬉しそうに
「うふふふふ。わたしはいつでも、あなたの側にいるわ」
「なに言ってるのよ。全然、意味がわかんないわ」
「それにしても紗也香も大変ね。ちょっと前までは健太君の笑顔を独り占めにしてたのに。あんな強力なライバルが現れるんだから」
「そうよね。あれだけ綺麗ならそれだけで強敵なのに。性格もいいし、積極的だし」
「佳子。あんたもいつの間に」
これまた気配を消して現れた佳子に紗也香は驚いて目を見開く。
「さっきからいたわよ。わたし達がいたことにさえ気付かないなんて本当に重傷ね」
涼子と佳子は目を合わせて憐みの視線をこちらに向けてきた。
紗也香は二人の態度にいかにも心外だと声を荒げた。
「あんた達が気配を消して近付いて来たんでしょうが。ホント無駄なスキルばっかり持っているんだから」
「失礼ね。無駄なスキルじゃないわよ」
「そうよ。彼氏が浮気した時に絶対に必要になるわよ」
「あんた達、根本から間違っているわ」
紗也香は頭を抱えてしまう。
そんな紗也香を二人は何が間違っているのだろう?
と首を捻っていた。
「まあいいわ。勝手に変なスキルでもなんでも磨いていなさい。でもね……」
「でも?」
「その前に彼氏作らないとそのスキルも役にたたないんじゃないの?」
「キィ―――― あんたって娘は言ってはならないことを」
紗也香の吐いた正論に二人は本気で悔しがっていた。
そんな二人を溜息交じりに見ながら、紗也香は早瀬さんのことを考えていた。
あの娘はいったい何者なんだろう?
突然転校してきて、健太に近付いて来て、健太に一目惚れでもしたのかなぁ?
でも、健太って一目惚れされるタイプじゃないと思うけど。
今まで健太に近寄って来た女なんていなかったし、早瀬さんなら他にもっといい男が選り取り見取りのはずなのに……。
「本当に健太のことが好きなのかなあ?」
「そりゃあ、あんだけラブラブなんだから好きなんじゃないの?」
「でも、転校して直ぐよ。そんなに簡単に人を好きになるのかな?」
「一目惚れってやつでしょ。よくある話じゃない」
「でも、相手はあの健太よ……って、何で人の考えごとに口を突っ込んでくんのよ!」
「そりゃ、紗也香が口に出して悩んでるからじゃない?」
指摘されてはじめて気付いた。
紗也香は顔を真っ赤にして俯く。
「そうよ。星野さん。恋愛相談なら常時、受付中よ」
「って、黒田先生! いつの間に……」
今度は担任の黒田先生が現れた。
これには涼子も佳子も気付いてなかったみたいで紗也香と同じように驚いている。
そんな紗也香達に構わず黒田は話を続けた。
「でっ、星野さんはどうしたいの?」
「どうしたいって?」
「だから、神代君のことよ」
「どうするもこうするも……わたしには関係ないし……」
「はあ、これは重症だわ」
「ホント、なんだかバカらしくなってきたわ」
涼子と佳子は呆れたように天を仰いでいる。
そんな二人を黒田はたしなめてから
「若いうちは悩むのも仕事よ。でもね。ただ見ているだけでは、何も手に入らないわ。気付いた時には何もかも手遅れになってしまうこともあるのよ。いつまでもあると思っていたものが無くなるのは辛いわよ」
「先生?」
紗也香達が不思議そうに見上げると、何かを思い出すように遠い目をしていた黒田先生は誤魔化すように笑いだした。
「はい、はい。おしゃべりはここまで。もう遅いから帰りなさい」
二人は黒田先生に促されて席を立った。
だが、紗也香は帰る気にはなれなかった。
すると、先生は「あんまり遅くならないようにね」と言って二人を連れて教室を後にした。
次回更新は明日19時です。
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