第六話 嫉妬で空回り
「今日は朝から面白いものがいっぱい見られるわね」
授業が終わるとニヤニヤ顔の涼子と佳子がやってきた。
紗也香は顔を上げるのも面倒だったので突っ伏したままである。
「今日のわたしは機嫌が悪いの。あんた達の冗談の相手をする気はないから」
授業中の一件がまだ尾を引いているので言葉通りに口調も不機嫌だった。
「まあまあ元気出しなさいよ。先生も気にしてないって。それとも隣が気になって顔を上げられないのかな?」
涼子は思わせぶりな口調で隣を見ていた。
だから、紗也香は彼女の頬を抓り上げるために顔を上げる。
「余計なことを言うのはこの口?」
「いはぁいほう。ほんほにいはぁいへば(痛いよ。本当に痛いってば)」
「紗也香ちゃん。涼子ちゃんも反省してるみたいだからそれくらいにしてあげたら?」
佳子の声に反応して涼子が涙目で首を縦に振る。
「佳子は甘いわねえ。こいつは徹底的に指導しないとわからないのよ」
そう言いながらも紗也香は涼子の頬から手を放した。
解放された涼子は恨めしそうに頬をさすっている。
「わたしは犬や猫じゃないから言葉で言ってくれればわかるもん」
「なに言ってるの。抓られても、叩かれても、すぐに忘れちゃうあんたと一緒にされたら、犬や猫の方が可哀そうよ」
その言葉に賛同したのか「うん、うん」と佳子も頷いている。
涼子はそんな佳子を非難がましく見た後に目をキラキラさせて拳を握りこむ。
「別に忘れてる訳じゃないもん。殴られても、蹴られても、紗也香をからかうことの方が面白いだけだもん」
「それがダメなんだろうが!」
間髪いれずに紗也香がツッコんだところで三人が一斉に笑いだした。
多分、涼子たちは自己嫌悪に陥っている紗也香を元気づける為にバカなことをしに来たのだろう。
まあ、半分以上は紗也香のことをからかって楽しむためなんだけど、紗也香はその心遣いが嬉しかった。
恥ずかしくてそんなことは絶対に言わないけど。
そんな暖かな視線を二人に向けていると最初に笑いを抑えた佳子が話題を変えてきた。
「ねえ、それはいいんだけど神代君と早瀬さんのこと、放って置いていいの?」
「佳子までそう言う事を言うの?」
普段、フォロー役に徹している佳子がからかってくるのは珍しい。
少し不思議に思いながらも目じりを吊り上げて佳子の頬に手を伸ばす。
すると、佳子が焦った口調で視線を健太達の方に向けた。
「違うわよ。ほら、あっち……」
佳子につられて紗也香が目を向けると、いつの間にか早瀬さんの周りには人だかりが出来ていた。
どうやら美人転校生に興味を持ったクラスメート達が質問攻めにしているみたいだ。
涼子たちと騒いでいたせいで、こんなに近くにいたのに気付かなかった。
「早瀬さんって転校する前はどこにいたの?」
「ねえ、誕生日って何月何日?」
「うわぁ。髪きれいだね。シャンプーってなに使ってるの?」
「早瀬さん、海外に居たんだよね。どんなところだった?」
早瀬さんが答える前に次の質問が飛び、またその質問に答えようとすると別の方から質問がくる。
もうどれから先に答えればいいのかわからないのだろう。
早瀬さんはオロオロと視線を泳がすだけで質問に答えられない。
すっかり困り果てているようだ。
そんな彼女の世話役を任命されていたはずの健太は……。
何と言うかこの騒ぎを収めようと文字通り右往左往していた。
「おい。こんな風に大勢で囲むなよ。ありさちゃんが困ってるだろう。離れろって」
「うるさいぞ、健太。お前一人にいい思いなんてさせないぞ!」
「お前は『ただの』世話役なんだ。その辺をちゃんとわきまえろ」
「星野さん一人でさえ万死に値するのに、この上、早瀬さんまで毒牙にかける気か? やっぱりお前はここで死ぬべきなんじゃ……」
「そう言えば、こいつ、さっき早瀬さんの手を握ってたな」
「殺っとくか?」
「殺っちゃおう!」
「…………」
男子達の目がキラーンと危ない光を放つ。
この殺意は冗談とも思えない。
「おい、おい。話をしよう。話し合いは人間だけに与えられた素晴らしい問題解決手段だ。話し合う事をやめたらそれはもう人間じゃないぞ」
「……」
「冗談は止めようよ」
「…………」
無言で健太ににじり寄るクラスメートは紗也香の目から見ても不気味だった。
健太は冷や汗を垂らして後ずさっている。
そんな調子で健太は何の役にも立っていないどころか騒ぎを大きくしていた。
「あれ、ほっといていいの? 紗也香ちゃんは委員長さんなんだし、早瀬さんの世話役も頼まれてるんじゃなかった?」
佳子の最もな御意見に紗也香は溜息を吐きながら立ち上がった。
後ろから「がんばれ!」とか「負けるなぁ!」とか、意味のわからない声援が飛んできて紗也香のやる気を削いでくれるが、それに負ける訳にはいかない。
こいつ等どこまで本気なんだろう?
と涼子達を振り返って牽制してから、早瀬さんの元へと歩き出した。
「はい、はい。あんた達。転校生をこんな風に囲んだら可哀想でしょ。散った。散った」
紗也香は人だかりを掻き分けていく。
不平を洩らす生徒達も紗也香に睨まれてはスゴスゴと退くしかない。
そうやって彼女の前までやって来た。
「早瀬さん、大丈夫? ――健太、あんたが一緒になって騒いでてどうするの!」
「いや、オレは別に……面目ない」
健太は何か言いたそうにしていたが結果が結果だけに何も言えないようだ。
自分の不甲斐無さにしょげかえっている。
「健太さん。そんなに落ち込まなくても……」
早瀬さんが健太を慰めようとしていたが、その気遣いはこの時ばかりは逆効果だったみたいで健太は更に落ち込んでいた。
調子に乗ってデレデレしていたんだから、これくらいは自業自得だ。
ざまあみろ。と紗也香は心の中で舌を出しておく。
そして、そんな健太を尻目に笑顔を作って早瀬さんに自己紹介を始めた。
「わたしは星野紗也香。紗也香でいいわ。このクラスの委員長をしているから困ったことがあったら何でも言ってね」
そう言って右手を差し出した。
「はい。星野さん。こちらこそ、よろしくお願いします」
早瀬さんはニッコリと笑ってから礼儀正しく会釈を返してきた。
そして、紗也香の出した手はいつまで経っても握られることなく虚しく漂っている。
なんで? と言う疑問が頭の中を駆け巡るが、握手なんて求めてしまった自分の行動が恥ずかしくてそれどころではなかった。
紗也香は誤魔化すように手を頭に持っていき、照れ笑いを浮かべながら話題を変えることにした。
「早瀬さんはここに転校してくる前はどこにいたの?」
しかし、その質問に早瀬さんは答えてくれなかった。
と言うか答えられなかった。
その一言に反応して、それまで黙ってようすを伺っていたクラスメートから一斉に抗議の声が上がったからだ。
「ああ、ズルイ。オレ達の邪魔したクセに自分だけ早瀬さんとお話しようとしてる」
「ズルイって別に普通に質問しただけでしょ」
「オレ達が先だったんだぞ。それを邪魔したクセに」
「うっさいわね。わたしは早瀬さんが困ってたから助けたんでしょ」
「別に迷惑なんてしてないぞ。オレ達は早瀬さんのことを歓迎してたんだから」
「誰が見ても迷惑してたじゃない。やり方が問題なのよ。知らない人に大勢で囲まれたら誰でも怖いでしょうが!」
「知らない人ってクラスメートだぞ」
「転校生なんだから初対面でしょ」
「だから、これから仲良くなるんじゃないか」
「ああ、もう、うるさいわねえ! わかったわ。これからはわたしが仕切ってあげるからそれで文句ないでしょ。早瀬さん悪いけどちょっと時間を割いてこいつ等に付き合ってくれる?」
展開の速さについて行けないのか早瀬さんは紗也香の勢いに押されておずおずと肯いていた。
それを同意と受け取って転校生緊急記者会見が始まった。
もちろん司会は紗也香である。
こんなやり取りが休み時間ごとに繰り返されていた。
「ああ、疲れたぁ。今日って厄日なのかなぁ?」
紗也香はグッタリと机の上に身体を投げ出していた。
だらしない格好だとはわかっているが、いまは疲労感が上回っていた。
授業中は早瀬さんと健太のイチャつき振りにイライラさせられ、休憩時間は騒がしいクラスメートの対応に追われる。
はっきり言って休む暇がない。
心身共に疲労のピークを迎えている。
もう、今日一日分の体力を使い切ってしまったようだった。
いまは昼休み。
三度の休み時間であらかた好奇心を満足させたのか、それとも食欲に負けたのか、クラスメート達は学食に走って行ったり、友達同士、机を囲んで昼食を摂っていたりしている。
今日、初めて訪れた平穏の一時だった。
もう少しこうしていたいとも思ったがあれだけ騒いだので当然お腹も空いている。
紗也香は空腹を満たすため面倒臭そうに鞄の中から弁当箱を取り出した。
隣を見ると健太も同じように弁当を取り出している。
健太の向こうに早瀬さんの姿も見えた。
そう言えば彼女はお昼御飯をどうするのだろうか?
同じ疑問に健太も思い至ったのか紗也香より先に聞いていた。
「ありさちゃんはお昼御飯どうするの? 持ってきてないなら学食に案内するけど」
「わたし、お弁当を作ってきたんです。よろしければ御一緒させていただけませんか?」
早瀬さんの一言に健太がこちらを伺った。
別に断る理由はないのだけど……紗也香が返事を躊躇っていると、返事がないのを勝手に解釈して健太が彼女にOKを出していた。
こうなると今更いやとは言えない。
別にいやじゃないんだけど。
紗也香の思いとは別に、真ん中に位置する健太の机にお弁当が三つ並べられた。
ランチタイムの始まりだ。
「うわぁぁ。ありさちゃんのお弁当って美味しそうだね」
「そうですか? 健太さんのお弁当も美味しそうですよ」
「そのお弁当ってお母さんに作ってもらったの?」
「いいえ。わたし、一人暮らしですから自分で作ったんです」
「スゴイ。これ全部、ありさちゃんが作ったの!」
「はい。よろしければ一つどうですか?」
「いいの!」
そう言って嬉しそうに健太は唐揚げを一つ取って口に入れる。
「お口に合えばいいんですけど……」
と不安半分、期待半分と言う表情でありさは伏し目がちに健太を見上げている。
「もぐもぐもぐ。……美味しい」
健太は驚いて目を見開き「もう一個食べていい?」と催促していた。
そんな健太の反応を早瀬さんは嬉しそうに見ながら「いくつでもどうぞ」と弁当箱を健太に寄せていた。
「ありさちゃんって料理上手なんだね」
「そんなこと無いですよ。お料理は小さい頃から好きでよくやっていましたから。ちょっとこちらの料理は不慣れでしたので自信がなかったのですが、健太さんのお口に合って良かったです」
「これで自信がなかったの? 全然自信を持っていいよ。世の中にはこんなに料理上手な娘もいるんだなぁ」
健太がしきりに感心している。
その合間に、チラチラとこちらを見てきたのが癇に障ったがここで怒っては負けたも同然だ。
紗也香が平静を装おうとしていると「星野さんもよろしければ一ついかがですか?」と早瀬さんが勧めてきた。
紗也香は最後の一個になってしまった唐揚げを見て迷ったのだが、勧めるものを無下に断るのもどうかと思って「じゃあ、折角だから」と箸を伸ばした。
まあ、彼女の料理の腕前がどれ程のものか確認したかったと言うのが本当の理由なのだが、紗也香はそれを悟られないように何食わぬ顔で唐揚げを口に入れる。
「……おいしい」
思わず感嘆の言葉が漏れてしまった。
健太の絶賛を正直大げさだと思っていたが、一口食べてみてわかった。
大げさでも何でもなかったことに。
女は料理が出来て当たり前、なんて言葉は死語に鳴りつつあるが……。
『たかが料理されど料理』である。
紗也香は女として何だか言い知れない敗北感に苛まれていた。
そんな紗也香の心情を知ってか、知らずか、健太と早瀬さんは楽しそうに会話を弾ませランチタイムを過ごしている。
紗也香も笑っていたが、何を食べて何を話したのか全く覚えていなかった。
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キーンコーンカーンコーン
終礼のチャイムが校舎に響いている。
長い一日が終わりを告げていた。
ああ、今日は疲れたな。
真っ直ぐ家に帰ってゆっくり休もう。
紗也香はそんな決意を固めていた。
しかし、どうやらその決意は無駄になりそうだ。
「ありさちゃん。今日はこれからどうするの。用事とかある?」
健太が早瀬さんに話しかけていた。なんだか嫌な予感がする。
「いえ。特に用事はありませんよ。家に帰って夕飯の支度でもしようかと思っていただけですから」
早瀬さんがキョトンとして応えている。
それを聞いて健太は満面の笑みを浮かべていた。
「それならうちに来ない。今日ならじいちゃんもいると思うから。挨拶は自分の口で言った方がいいでしょ」
「でも、突然、行ったらご迷惑になるんじゃ。今日はもう時間も遅いですし、後日、日を改めた方がよろしいんじゃないですか?」
「うちなら全然構わないよ。そうだ。ありさちゃんって一人暮らしだったよね。ついでにうちで夕飯を食べていけばいいよ」
「そんな、それこそご迷惑ですわ」
「そう? そんなこと気にすることないのに。それにじいちゃんはたまにふらっとどこかに出掛けちゃうから、下手をするといつ逢えるかわかんないよ?」
「そうなんですか? でも……」
早瀬さんは迷っているようだった。
だからと言って健太の誘いを嫌がっている節はない。
どちらかと言うと嬉しそうだ。
彼女のことだ。言葉通り、いきなり家まで押し掛けるのは失礼だと思っているのだろう。
それは健太も感じているみたいで普段では考えられないくらい強引に誘っている。
こんなに女の子に対して積極的な態度をとる健太を見るのは初めてだった。
別に他意はないと思う。
ただ、親切心で比呂さんに合わせたいと思っているんだろう。
でも、紗也香の心に鈍い痛みが走った。
もしかして、他の気持ちが健太にあるんじゃ。もしかして、早瀬さんのことが……
そんなことがついつい頭を掠めていく。
だから、思わず口から出てしまった。
「健太。早瀬さんが困ってるじゃない。そんな風に誘うのは良くないよ」
健太はそんな紗也香を驚いたように見ていた。
紗也香に止められるとは思っていなかったみたいだ。
だがら、一度、こちらを不満そうに見てきたが、すぐに思い直して早瀬さんに向き直った。
少し心苦しかったが、健太が諦めたことを悟って安堵していた。
ところが
「ごっ、ご迷惑じゃないのなら、お邪魔してもいいですか?」
早瀬さんが慌てた口調でそう言ってきた。
紗也香は彼女の突然の心変わりに驚いていたが、健太は喜んでいるみたいだった。
その証拠に「もちろん」と満面の笑みで答えている。
わたしはそんな二人をなぜか遠くに感じていた。
「紗也香? どうかした?」
「ううん。なんでもない」
そんなわたしの態度を訝しんだ健太が気遣ってくる。
いつもはそんなこと全く気にしないのに気付いてほしくない時に限ってこいつは気付くのだ。
本当にこいつは間が悪いんだから……
そんことを思いながらも心が少し軽くなっていた。
わたしはそれに気付かれないようにカバンを持って席を立つ。
「帰ろうか」と
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