第五話 なんか変な感じ
一限目の授業は現国だった。
先生が入ってきたので紗也香は窓の外から視線を黒板へ戻した。
隣の健太は朝の騒ぎで疲れたのかボオっとしている。
いつも通りのゆるみっぱなしの顔だ。
ぷっ、相変わらず変な顔して、と紗也香はクスッと笑ってしまった。
教壇に立つ教師が板書を終えこちらを振り返る。
いつまでも健太のことを見ている訳にはいかないので紗也香は視線を前に移した。
そこに……
「健太さん。申し訳ないのですが教科書を見せてはいただけませんか?」
横から早瀬さんの小さな声が聞こえてきた。
ちょっと気になってそちらを見ると、彼女は上目遣いで健太を見上げている。
そんな早瀬さんの仕草に健太は鼻の下はデロ~ンと伸いていた。
「健太さん?」
なかなか返事を返さない健太を早瀬さんは心配そうな表情で覗き込んでいる。
それで健太は我に返ったのか
「ごめん。ごめん。教科書だよね」
と誤魔化すかのように慌てて机を寄せていた。
そして、彼女にも見えるように教科書を真ん中に置く。
「ありがとうございます」
早瀬さんはニコッと天使のように口元をほころばしてから黒板に視線を戻した。
はあ、と健太は溜息を吐いて早瀬さんの横顔に見ている。
その目はどこかトロ~ンと、とろけていた。
いつの間にか現国教師が朗読を始めていたが、健太はそのことに気付いていないみたいだ。
しばらくそうやって間抜け面を晒したあとに、やっと我に返ったのか授業に集中しようと教科書に目を落とし始めた。
早瀬さんはと言うと教科書の端にちょこんと手を置いて先生の呼んでいるところを目で追っている。
健太はそんな彼女にまた目を奪われかけていた。
朗読が進み、ページを捲ろうと健太が手を伸ばすと、早瀬さんの手も伸びてきて二人の手が重なった。
本当にいまどきベタなラブコメでもお目にかかれないような展開が繰り広げられている。
二人は慌てて手を引っ込め頬を赤らめていた。
「ごめんね」と健太がページを捲ると、彼女は何も言わずに頷くだけでそれに応えていた。
その顔は健太以上に真っ赤になっている。
先生の朗読はまだ続いている。
健太は早瀬さんのことを意識しているのか遠目で見ていてもわかるくらい挙動不審だった。
見ちゃいけないとでも思っているのか、彼女の顔を横目でチラチラ盗み見ている。
一つの教科書を二人で見ているので自然と顔を寄せ合うようになっているのがよほど恥ずかしいのか、出来るだけ離れようと妙なところに力がいれて固まっていた。
早瀬さんの顔が動くたびに揺れる長い髪が頬に触れるのかたまにビクっと反応している。
それに彼女の髪からいい匂いでもしてくるのか、たまに鼻がヒクヒクと動いていた。
健太は彼女に夢中のようだ。
そんなバカ面を浮かべている健太は肘のあたりをチョンチョンと早瀬さんに突っつかれてやっと正気に戻ったようだ。
「健太さん? 健太さん?」
「うん? どうしたの?」
健太は平静を装って早瀬さんに向き直っている。
すると、間近に彼女の顔があることに気付いたのか目を白黒させていた。
そこを後ろから教師に教科書で叩かれる。
「神代! さっきから当てているだろうが? お前、目を開けたまま寝てたのか? 美人の転校生が来たからって、ぼおっと見惚れてちゃいかんぞ。ほら、続きを読め」
「先生。美人転校生はセクハラ発言です」
女子生徒の指摘に「そうかぁ?」と先生がたじろぐと教室は爆笑に包まれた。
健太の隣で早瀬さんが照れたように笑いながら「ここからですよ」と教科書を指さしてこれから読むところを教えている。
健太は照れ隠しに頭を掻いてから朗読を始めた。
「…………」
何か納得がいかない。
って言うか健太のあの態度は何なんなのよ。
確かに紗也香の目から見ても早瀬さんはカワイイと思う。
見た目通り清楚で儚げな大和撫子って感じだ。
恥ずかしそうに顔を赤くして俯いてる姿なんか女のわたしだって守ってあげたくなる。
それに気配りもできるみたいだ。
どこを読めばいいのかわからない健太にそれとなく読む場所を教えるなんて出来そうでなかなか出来ることじゃない。
それを自然と出来る早瀬さんを羨ましくさえ思う。
でも……何かが引っ掛かるのよねぇ。
さっき、自分から握手を求めて手を握ったばかりなのに、ページを捲ろうとして手が当たったくらいで、ワザとらしく手を引っ込める?
それに何で恥ずかしそうに俯くの?
顔を真っ赤にして!
それになに!
教科書を見るのにあんなに顔を引っ付ける必要があるの?
綺麗な髪をしてるからってそれを見せつけたり、健太の頬にワザと髪が当たるように顔を動かしたり。
そうだ。いきなり初対面で健太さんなんて呼ぶか、普通?
神代様とか健太様とか呼んだのも、もしかして下の名前で呼ぶための計算だとか?
初対面のくせに!
もしかして、彼女は健太のことが目的でやってきた宇宙人だとか?
そうだ。そう考えれば納得がいく。
このタイミングで転校してくるってのも出来過ぎてるし、健太に近付くための行為だとすれば全ての辻褄が合う気がする。
そうよ。彼女は健太の力を利用するため、もしくは健太を油断させて寝首をかこうとしている宇宙人なのよ!
「…………」
はあ、わたしはいったい何を考えてるんだろう?
言い掛かりも甚だしいじゃない。
彼女が宇宙人?
どう見ても普通の日本人じゃない。
それに彼女が健太に構うのも知り合いがいなくて不安だからでしょ。
健太は見た目も中身も人畜無害だし、それに比呂さんのことを知ってるみたいだし。
だから、余計に気を許せるんだろうな。
そんなことわかりきってるのに……。
もう! なんでこんなこと考えちゃうのよ!
……なんか自己嫌悪だ。
紗也香は一人で勝手に嫉妬して妬んで怒って、そして、落ち込んでガックリと肩を落としていた。
だが、すぐに感情が別の方に向く。
ああ、それもこれも健太が悪いのよ。
いくら相手が美人だからって鼻の下伸ばしちゃって。
あのだらしない顔はなによ?
バッカじゃないの?
もっとしっかりしなさいよ。
何だか考えている内にイライラしてきた。
そこまで考えて、また急にテンションが落ちてしまう。
はあ、何なんだろう?
一人でイライラして、勝手に怒って、勝手に落ち込んで……。
はあ、これって嫉妬なのかなあ。
思わず頭に浮かんでしまった本音に焦って、紗也香は頭を振って否定する。
健太はただの幼馴染なの!
それ以下でもそれ以上でもないの。
いつも通り、自分に言い訳をして一人テンパっている。
感情が乱高下を繰り返し、紗也香は百面相を繰り広げていた。
その時、タイミング悪く健太が小声で紗也香を呼んだ。
「紗也香? ……紗也香ってば」
「うっさいわねぇ。何よ!」
授業中であることを忘れて思わず大きな声を上げてしまった。
それは紗也香が思っている以上に大きかったみたいで健太どころか教師を含めて教室中がビックリしている。
うわぁ、すごくバツが悪い。
健太は声を落したまま
「次、お前の番だって教えるつもりだったんだけど……もういいみたいだぞ」
健太が先生の方に視線を向けながらそう言った。
紗也香も恐る恐る教師の方を見ると、彼は引きつった笑みを浮かべて別の人に続きを読むよう指示している。
紗也香の剣幕に教師さえビビってしまったらしい。
「先生。ちがっ――。……はあ」
やってしまった。
と紗也香は天を仰いでそのまま机に突っ伏した。
教室中がいまのやり取りを見て大爆笑の渦に包まれている。
先生も生徒の剣幕に圧倒されたのが恥ずかしかったのか照れ隠しに咳払いをして、「コラ、静かにしろ」とわざとらしく声を荒げていた。
はあ……後で謝りにいかないと。
それにしても先生さえ怯えさせてしまうわたしって。
いったいみんなにどんな風に思われているんだろうか。
紗也香はそんな事を考えながらズブズブと思考の底なし沼にはまっていた。
本当にこれと言うのも全部健太のせいなんだから。
完全に逆恨みである。
だけど、そうとでも思わないとやっていられなかった。
紗也香は心配そうに覗き込んできた健太に向かって、クマでさえ一撃で倒せそうな眼力をぶつけた。
健太はビクッと全身を震わせ眼を逸らしている。
その慌てふためきようがおかしくて、紗也香はいい気味だと心の中で舌を出した。
次回投稿は7月23日19時となります。
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