第四話 美少女転校生がやってきた。
申し訳ありません。
大幅改稿前の物を載せていました。
1話からすべて変更しています。
内容的には三話の最後の方以外に変更はありませんので
そのままお読みくださっても問題はないと思います。
申し訳ありませんでした。 7月17日
「もう、健太。なんでわたしまで遅刻ギリギリで登校しないといけないのよ!」
「いいじゃないか。間に合ったんだから」
学校に来る間に紗也香はやっといつもの調子を取り戻していた。
朝からショックなことが目白押しだったが、いつまでも気にしてはいられない。
もう、なるようになるだろう。
と紗也香は少し投げやり気味だった。
だからか、健太に対するあたり方がいつも以上に手荒い。
単なる八つ当たりなのだが、健太にも原因があることなので我慢してもらおう。
そんな二人のやり取りを見て、クラスメート達は変わりない日常の始まりを感じていた。
「本当にあんた達は毎日、毎日、イチャイチャ、イチャイチャ。よく飽きないわね。一人身のわたし達には目の毒よ」
「誰もイチャイチャなんてしてないでしょ。叩くわよ」
そう言いながら涼子の頭を一発叩く。
涼子は「もう叩いてるじゃない」と抗議を上げながら頭をさすっていた。
「紗也香は直ぐに暴力に訴えるんだから。健太君もよくこんなのに付き合っているわね。わたしに乗り換えない? わたしなら、いつでもOKなんだけど」
涼子は健太にすり寄りウィンクをしている。
いつもの冗談だ。
だが、健太は真に受けたのかドキマギしている。
紗也香はそんな健太を溜息交じりに見ていた。
もう、情けないわねえ。
そんな冗談は軽く切り返しなさいよ。
ああ、またイライラしてきた。
と言うことで、健太の頭も叩いておく。
オレは何も悪くないじゃないかと健太が涙眼で訴えてきたが聞く耳は持たない。
「冗談よ。冗談じゃない。そんな嫉妬しないの」
そんな二人のやり取りを見て涼子は紗也香の肩を叩きながらケタケタと笑っていた。
紗也香は『嫉妬』の一言に反応しそうになったが、ここで文句の一つでも言えば騒ぎが大きくなるのはわかりきっている。
だから、グッと堪えることにした。
そんな紗也香をニヤニヤ顔で見ていた涼子があるものに目をとめた。
紗也香は不思議そうにその視線を目で追う。
そこにあるものは……気付いた時にはもう遅かった。
涼子の目がいろめきたっている。
「紗也香、その指輪って」
涼子が口に手を当てて驚きの声を上げる。
紗也香はしまった、と咄嗟に左手を後ろに隠した。
しかし、その行為は完全に裏目にでていた。
隠すというのは暗にやましいことがあると言っているようなものだから。
「なに、なに? 健太君からのプレゼントまさか婚約指輪?」
この聞き捨てならないセリフに周囲は騒然となる。
そして、クラスメートの好奇の視線が紗也香に集まってきた。
「違うわよ。なっ、なに言ってるのよ」
紗也香はどもりながらも顔を真っ赤にして否定するが涼子は聞いていない。
「だって左手の薬指でしょ。意味深じゃない。そんなところにつけるなんてぇ。恋人から貰ったものくらいでしょ。それとも婚約指輪とか? きゃああああああああああ」
涼子は嬉しそうに肘で紗也香を突っついてくる。
紗也香は逃げるように一歩二歩と退くが、涼子は逃さず畳み掛けてきた。
「やっと健太君が告白してくれたの? それとも紗也香の方から告白したの?」
自分で言っていて恥ずかしくなったのか「きゃあ」と叫びながら涼子は両手で顔を覆って首を振っている。
ただし、指の隙間からしっかりと紗也香のようすは伺っていた。
「だから、勝手なこと言ってないでちゃんと人の話を聞きなさいよ」
紗也香は涼子の腕を取ってブンブン振り回すが、テンションが振りきれてしまった彼女には効果はない。
涼子は真相を確かめようと紗也香にではなく健太に話を持っていった。
「この、このぉ。あの指輪、どうしたのよ?」
「えっ、指輪なんて知らないけど?」
「…………」
ひゅうぅぅと、隙間風が通る音が聞こえてきそうなくらい教室が静まりかえっていた。
聞いた涼子は言うに及ばず、その場にいた全員が金縛りにあったかのように固まっている。
気まずい空気が辺りを漂っていた。
この場にいる全員がその指輪の贈り主は健太だと決めつけていた。
こんな展開は誰も予想していない。
この場をどう切り抜けようかとみんなの頭がグルグル回りだす。
しかし、当事者のはずの健太はなんでクラスメートが凍りついてしまったのかわかっていない。
「オレ、何かマズイ事でも言ったかなぁ」と困惑している。
そして、何をとち狂ったのか紗也香に。
「紗也香、その指輪、誰にもらったの?」
聞きたいとは思ってても、健太の前では絶対に聞けないと全員が思っていたのだろう。
なのに当の本人がいとも簡単に聞いてしまったのだ。
『修羅場だ。修羅場だよ』と小声でみんなが騒いでいた。
これ以上はあまりにも個人的なことだから、からかうどころか聞いてはいけない。
そうは思っても恋愛至上主義なお年頃である。
こんな格好のネタに興味をもたないわけがなかった。
二人を残して場を外すのが正解だと言うのは重々承知していた。
だが、この後の展開が気になって気になって、誰もがその場に留まり固唾を飲んで見守っている。
それは紗也香も同じだった。
ドキドキと胸が高鳴っていた。
いまのはどういう意味なんだろう?
健太の口調はいつも通りでどんな意図で言ったのかわからない。
もしかしてこの指輪の贈り主に嫉妬したのかなぁ。
それとも、わたしのことなんて何とも思ってないから気軽に聞けるのかなぁ。
紗也香はクラスメートたち以上に混乱していた。
「ん? どうしたんだ、紗也香?」
健太はそんな紗也香を不思議そうに覗き込んでくる。
質問の答えを急かされているようで一気に紗也香の心臓の鼓動は跳ね上がった。
どうしよう。なんて答えればいいのよ!
紗也香の頭の中は様々な感情で渦巻いていた。
そこで、はたと気が付いた。
健太の気持ちとか関係なしにこの指輪のことをどうやって説明すればいいんだろう?
嘘で誤魔化したら……。いや、それはダメ!
わたしは考えていることが直ぐに顔に出ちゃうから絶対にバレちゃう。
嘘がバレたら健太は変に思うだろうし、クラスメートも……それで気まずくなるのは絶対にヤダなぁ。
じゃあ、正直に……って、
それも出来ないじゃない!
まだ健太に話せないことが多すぎるもん。
しかも、こんなに大勢のいる前で宇宙人の話なんて
……うわぁぁ、どうしよう。美咲さん。恨みますよぉぉぉ。
声に出来ない叫び声を紗也香は上げる。
そして、百面相を繰り広げる紗也香を見ながらクラスメート達は想像を膨らましていた。
「おい、おい。どんだけ複雑な事情なんだよ」
「前から否定してたけどマジで健太以外の彼氏がいたのか?」
「二股? もしかして三股? まさか四股とかぁぁぁぁ」
「親同士が決めた許婚が現れて、愛する神代君と引き裂かれようとしているのよ」
「もしかしてやばい写真とか撮られて、それをネタに脅迫されて――(以下自主規制)」
「男子それセクハラ!」
「それどころか(自主規制)」
「もう変態。なに考えているの? セクハラだって言ってるでしょ」
「うるせぇ。お前、セクハラしか言えないのか」
ガヤガヤガヤと勝手な言い争いが始まっている。
一応声は抑えているがそう遠くないところで話しているので丸聞こえだった。
紗也香はこの騒ぎの原因が自分だと思うと頭痛がしてくる。
そして、溜息をついて
「もう、みんな勝手なこと言ってないの。この指輪は――」
「この指輪は?」
クラスメート達が声を揃えて息を飲む。
「この指輪は……」
「この指輪は?」
紗也香に視線が集まり静まりかえった。
廊下を歩く生徒の足音とカチカチと鳴る時計の音が妙に耳に煩わしい。
紗也香は大きく息を吸ってから素直に答えることにした。
「これは美咲さんから貰ったの。カワイイデザインの指輪を見つけたけど自分がするには可愛い過ぎるからって。あんた達が考えているような色っぽい話じゃないわよ」
別に嘘は言っていないよね。
これは美咲さんにもらったものだし、美咲さんにはデザイン的に似合わないし……紗也香は美咲さんが聞いたら激怒されるようなことを考えていた。
だが、考えるだけなら自由である。
そんなことを思いながら、誤魔化し切れたかな、と周りの反応を伺う。
「なあんだ。そう言うことたったのか。そうよね。紗也香が神代君以外となんてねぇ」と妙な納得の仕方をしている声と
「美咲さんって誰?」という事態がのみ込めていない者にわかれていた。
ただ全員が思っていたのは「だったら紛らわしい態度を取るなよ」と言うことだった。
その非難の視線を真っ向から受け止めた紗也香は
「あっ、あんた達が勝手に勘違いして騒いだんでしょうが!」
と怒鳴っていた。
そして、怒りの視線を振りまきながら足音荒く自分の席に向かうとみんなはクモの子を散らすみたいに逃げていった。
騒ぎはそれで一旦終了となった。
ふう、何とかなったわ、と紗也香は誰にも気づかれないようにホッと一息ついていた。
正直さらに突っ込まれていたらどうなってたことやら……。
その時、ある視線に気が付いた。
紗也香はギクリとしながらも強気を押し通す。
「なに? まだ何か言いたいことでもあるの?」
「別にそう言う訳じゃないけど?」
ニヒヒと笑いながら涼子は紗也香の後についてきた。
さっきのことを蒸し返してきそうでどうにも落ち着かない。
席についても涼子は隣に立ったまま不気味な笑みを浮かべている。
紗也香はそれを無視するように外に視線をやった。
しばらくして、気持ちが落ち着いてくると、周囲の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。
やけに浮かれている。
さっきの騒動のせいかとも思ったが、隣から「転校生」と言うキーワードが聞こえてきた。
そんな紗也香に向かって涼子がニヤッと笑った。
「今日うちのクラスに転校生が来るんだって」
どうやら涼子は転校生の話を紗也香に教えたくてまとわりついていたみたいだ。
だったら早くしゃべればいいのに、と紗也香は苦笑する。
そんな紗也香の気持ちを他所に涼子は嬉しそうに話し出した。
「聞いてよ、紗也香。その転校生って言うのがすんごい美人――」
『美人』という言葉にクラス中の視線がこちらに集まってきた。
みんなは既に転校生が来るという情報は持っていたみたいだが、詳しいことまでは知らなかったみたいだ。
しかも『美人』だなんてことを聞いたら黙っていられないだろう。
男子を中心に興味を持った人達が紗也香達の元に寄ってくる。
そんな状況が楽しいのか涼子は目を輝かせていきいきと語り始めた。
「その転校生っていうのがどうやら帰国子女らしいの。なんでも親の仕事の都合で幼い頃からヨーロッパを転々としていたんだけど、父親が『日本の暮らしも体験させたい』って言ったらしくて、この高校に来ることになったんだって。彼女、とある王族とも関わりのある資産家の令嬢で『なんでこんな学校に来るんだ?』って先生達も不思議がってたわ」
王族かあ。
王族どころか宇宙人が約一名すぐ隣にいるんだけどなあ。
と口には出せないことを考えながら、興味がなさそうに話を合わせる。
「で、あんたはその子を見てきたの?」
「うん。さっき校長室の天井からこっそり覗いてきたんだけど、和服なんて着せたら似合うんじゃないかなぁ。長い髪が綺麗な大和撫子って感じの女の子だったよ。まあ、わたしに比べたらまだまだだけどね」
涼子が天井を見上げながら思い出すように語ると「おおおぅ」と男子から歓声が上がっていた。
最後のセリフは完全に無視することにしたらしい。
しかし、感心するのもいいけど、その前に突っ込むところがあるだろうに。
校長室の天井に忍び込むって、どう言うことよ。
だが、そんなことを気にかけているのは紗也香だけだったらしい。
クラスメート達は涼子に対して質問を浴びせ続けている。
涼子は「待て、待て、順番にだぞ」とそんなクラスメート達を手で押さえながら喜んで質問に答えていた。
何やってるんだろうと紗也香は呆れながらそんなみんなを眺めていた。
そんな騒ぎがいつまでも続くかと思われたが終わりというのは必ずやってくるものである。
始業のチャイムが鳴り、それと同時に担任の黒田先生が入ってきた。
出待ちでもしていたんじゃないかと言うぐらいのタイミングの良さだ。
「は~い。静かにしてえ。ホームルーム始めるわよ」
黒田先生はそう怒鳴りながら教壇にむかう。
騒いでいたクラスメート達は慌てて自分の席に戻っていった。
「朝から何か騒いでいたみたいだけど、まずはあなた達が一番気になってることを片付けちゃいましょう。もう知っている人もいると思うけど、今日、このクラスに転校生がやってきます。男子、喜んでいいわ。女の子よ。彼女は――」
ここで話を区切って全員を見渡しニヤッとする。
いたずら好きの彼女は顎に手を当てて生徒のようすを伺いながらなかなか続きを話そうとしない。
どうやら勿体ぶって生徒の反応を楽しんでいるようだ。
そんな黒田先生に対して、所々からブーイングが上がり始めた。
我がクラスメート達を担任はまだまだ見くびっているようだ。
こんなことをすればどんな反応を示すかなんて火を見るより明らかなのに……。
「あははは。冗談よ。冗談。こう言うのは勿体付けるくらいの方が楽しみも増えるってものでしょ? こら、そんな目で睨まないの。鞄から変なものをださない。刃物は校内へ持ちこんじゃだめでしょ。って、わかった。わかった。わたしが悪かったから!」
と、先生は慌てて転校生を招き入れた。
からかって楽しむつもりが身を危険に晒しては元も子もないとでも思ったのだろう。
「じゃあ、入って来て」
先生の声に誘われて入口の扉が開かれる。
そこには一人の少女が立っていた。
みんなの視線が彼女に注がれるとその少女はおもむろに一礼してから教室に入ってくる。
背筋をピンと伸ばし長い黒髪を揺らしながら優雅な歩調で。
男女区別なく感嘆の声が広がった。
紗也香も思わず見惚れてしまったが、すぐに我に返って隣を見る。
すると、そこには口をポカンと開けて呆けている健太がいた。
自分も見惚れていたことはすでに紗也香の頭にはない。
ただ、目の前の間抜け面を見るとお腹の底がグラグラと煮立ってくる。
そんな気持ちを押さえながら改めて彼女を見てみた。
今度は冷静に客観的にだ。
長く艶やかな黒髪。
ぱっちりとした大きな瞳。
細く凛々しい眉。
それぞれが整い過ぎていて冷たい作り物のような印象を与えそうなのに、
朗らかに笑う彼女には邪気がなく暖かな雰囲気を醸し出していた。
他人を寄せ付けない高貴な容姿と優しげで親しみやすい空気をまとう不思議な少女。
教室を見渡すとみんながみんな彼女を惚けた顔で見ていた。
そんな視線に戸惑っているのか彼女は不安そうに顔を曇らせている。
先生はそれに気付いたのか、彼女に挨拶するよう促した。
「早瀬ありさです。これからよろしくお願いします」
早瀬さんは緊張気味に鈴の鳴るような声でそう言うと恥ずかしそうに一礼して微笑んだ。
クラスメート達はその笑顔に一発で胸を撃ち抜かれてしまい声も上げずに目をハートにしている。
紗也香もまた彼女に心を奪われそうになってしまう。
同性にときめいたのは初めてだ。
そんなことを考えていると先生が手を叩きながら大きな声を上げた。
「は~い。話を聞いてぇ! ちゅ~も~く」
だが、その声はむなしく響くだけだった。
誰も聞いてないのだろう。
その証拠にみんなだらしない顔で早瀬さんから視線を外さずさない。
そんな生徒達を見ながら先生は大きな息を吐いて「まあ、聞いてなくても言いけど」と投げやりに前置きをしてから、彼女の紹介を続けた。
「えっと、彼女は日本人なんだけど外国暮らしが長かったの。だから、日本の生活にはあまり慣れていません。迷惑をかけるようなこともあると思うけど、みんな、いろいろ助けてあげてくださいね。って、やっぱり誰も聞いてないかぁ。まあいいけど……。ああ、そうだ。席は一番後ろの開いてるところね。神代君、席も隣だし、星野さんと一緒に面倒を見てあげてちょうだい」
何気ない口調だったんで一瞬聞き逃しそうになったが、突然の指名に隣の健太は驚いていた。
が、それ以上に男子からブーイングが起こっていた。
「健太ばっかりズルイぞ」
「星野さんがいるんだからありさちゃんは他に譲れよ」
「あいつ、やっぱり殺しとく?」
「紗也香ちゃん。浮気者の健太なんて捨ててオレと付き合おうよ」
みんな言いたい放題だ。
先程までの静けさが嘘のように教室は騒がしくなっている。
そんな展開について行けないのか早瀬さんはキョトンと目を丸くしていた。
先生は嫌そうに「静かにしなさい」と声を荒げるが全く効果はなさそうだ。
しょうがなしに黒板を思いきり叩いてみんなの視線を自分に向けさせると。
「はあ、あなた達よく考えてみて。世話役をあなた達、野獣に任せられると思うの? 神代君と代わりたい人がいるなら勝手に立候補してもいいけど、その人はクラス全員を敵に回すことになるわよ。それでもいいなら別に止めないわ。勝手にしなさい」
「先生。じゃあ、健太ならいいんですか?」
「一之瀬君やっぱりあなたはおバカね。よく考えてみなさい。神代君が早瀬さんに手を出せると思うの? 彼には女を口説く度胸なんてないし。もし早瀬さんに手を出したって星野さんが黙っている訳がないでしょう? このクラスで一番安全なのは神代君なの」
自信満々にそう言い切る先生の言葉にみんなが「確かに」と納得して頷いている。
健太はあまりの言われように椅子からずり落ちていた。
「ちょっと言い過ぎじゃないかなぁ」と抗議するが、そんな健太の声など誰も聞いていない。
こう言うときこそ紗也香の出番なのだが、紗也香はこのバカバカしいやり取りに呆れて反論する気にもなれなかった。
そんな騒ぎの中、「わたしはどうすればいいのですか?」と所在無げに佇んでいる早瀬さんに気付いた先生が背中を押して彼女に席につくよう促した。
早瀬さんは戸惑いながらも健太の前まで来て微笑みかける。
「神代様。ご迷惑かも知れませんがこれからよろしくお願いします」
ありさは教科書通りに礼儀正しくお辞儀をする。
その楚々とした優美な動きに健太は目を奪われているのかだらしなく口を開けっ放しにしていた。
「健太。いつまで早瀬さんのこと立たせたままにしとくの?」
紗也香がジト目で睨みつけると健太は慌てて自己紹介を始めた。
「ああ、そうか。オレの名前は神代健太。よろしくね」
「神代様? 日本では『神代』と言うお名前はよくあるものなんですか?」
彼女の質問の意図がわからないのか健太は不思議そうな顔をしている。
それに気付いた早瀬さんは話を付けくわえた。
「この辺りに母が昔、お世話になった方が住んでらっしゃるみたいで、その方も『神代様』って言う苗字なんです」
それで納得したのか健太は「なるほど」と頷きながら質問に応えていた。
「別に良くある名前じゃないと思うよ。この辺ではうちだけだったと思うし」
「じゃあ、もしかして『神代比呂様』のお孫さんですか?」
「そうだよ、僕のじいちゃんの名前は比呂って言うんだ。うわあ。こんなことってあるもんなんだねえ。世の中狭いなあ」
「本当ですね。こんなに早く出会えるなんて。まるで運命みたいです」
早瀬さんはほんのり頬を染めていた。
そんな彼女の態度に紗也香は胸がチクリと痛むのを感じていた。
いったい何なのよ。この雰囲気は。
だが、紗也香の気持ちをほったらかしにしてデレデレと鼻の下を伸ばした健太は満更でもなさそうだ。
「改めてだけど神代健太です。これからよろしくね」
「早瀬ありさです。こちらこそ、よろしくお願いします。神代様」
「その『神代様』ってのは止めてくれないかなぁ。何だか他人行儀だし、照れくさいし」
「じゃあ健太様でよろしいですか?」
「いやぁ、どちらかと言うと様を止めて欲しいんだけど、それと敬語も止めない?」
「わかりました。『健太さん』ってお呼びしますね。わたしのことは『ありさ』で結構ですから」
早瀬さんはそう言って、はにかむように微笑むと手を差し出していた。
どうやら握手を求めているみたいだ。健太は照れながらもおずおずとその手を握っている。
「じゃあ、ありさ……ちゃん、これからよろしく」
さすがに呼び捨ては躊躇われたのか。
それでも『ちゃん付け』で呼んでいた。
早瀬さんは一瞬不満そうな顔をしたが、もう一方の手も添えて両手で包みこむように健太の手を握ると口元をほころばせる。
そんな彼女に見惚れた健太はだらしなく口を半開きにして彼女の手を握り続けていた。
「ゴホン。ああ、神代君? お暑いところ、悪いんだけどホームルームの続きをやりたいの。よかったら続きは休み時間にしてくれないかな?」
先生は「もしかして、選択を間違えたかしら」と首を傾げている。
そんな指摘された健太はと言うと顔を真っ赤にして手を離していた。
教室は笑いに包まれ、早瀬さんに対する好意と健太に対する嫉妬。
様々な感情が入り乱れた視線が飛び交って、訳の分らない騒ぎが始まっていた。
そんな中、紗也香は健太を見詰めていた。
その視線にはいままでにない色が混じっていたがそれは本人さえ気付いていない。
なによ。いくらカワイイ子が握手を求めてきたからってデレデレしちゃって……。
紗也香は胸の内にわだかまるイライラを持て余して外に視線を向けた。
結局、一限目の始まりのチャイムが鳴るまで騒ぎは収まらず、
ホームルームをまともに進行出来なかった先生はぶつくさと文句を言いながら職員室へと戻っていった。
次回更新は明日19時を予定しています。
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