第三話 すでに美咲さんにはバレていた
申し訳ありませんが改稿前の物を載せていました。
内容はあまり変わりませんが3話の後半部分が変更されています。
次の日の朝、紗也香は健太の家の前で呼び鈴を押すのをためらっていた。
健太を迎えに来るのは日課なのだが、今日はなんだか気が重い。
まあ、ここでこうしていても仕方がないのだが、どうしても一歩が踏み出せなかった。
何度、呼び鈴を押そうとしてその手を引っ込めただろうか。
いっそ、このまま健太を置いて学校に行っちゃおうかと回れ右して逃げだそうとした時だった。
「紗也香ちゃん? そんなところで何してるの?」
いつから居たのか美咲さんが玄関から顔を出していた。
紗也香は背筋を緊張させる。
「おっ、おはようございます。美咲さん」
引きつった顔で振り返ると、いつも通りの笑顔で美咲さんが立っている。
「おはよう。紗也香ちゃん。そんなところに立ってないで早く入ったら」
「……はい」
紗也香は意を決して玄関をくぐった。
しかし、美咲さんは「健太のこと起こしてきてちょうだい」とだけ言ってすたすたとキッチンの方に行ってしまう。
あれ? なんで?
と紗也香は美咲さんの反応のなさに拍子抜けしていた。
もしかして、昨日の事件のことを知らないのだろうか?
そんな疑問を浮かべながら紗也香は言われた通り健太を起こすために階段を上っていくのだった。
部屋に入ると健太が掛け布団を抱き枕代わりにして幸せそうによだれを垂らしていた。
そんな間抜けな姿を見ていると一人で勝手に悩んでいた自分が馬鹿らしくなってくる。
「わたしの気も知らないで」と呟いていたが、言葉とは裏腹に気持ちは和んでいた。
しかし、いつまでも健太の寝顔を見ていてもしょうがない
と紗也香は気合いを入れ直していつものようにベッドに上がる。
そして、カーテンを勢いよく引いた。
シャーと小気味いい音をたててカーテンが開く。
窓の向こうから眩しいくらいの朝の日差しが差し込んできた。
「健太。今日もいい天気よ。早く起きなさい」
心までぽかぽかしてくるような陽気の中で紗也香は優しい声で健太を起こす。
しかし、健太はまだ夢の中のようだ。
紗也香は健太の寝顔を見ながら頬を緩めた。
「なんだか、いつも通りだな」
さっきまで悩んでいた自分に聞かせたい一言だった。
健太のやすらかな寝息を間近に感じて紗也香は暖かい物を胸のあたりに感じていた。
そこでふと紗也香は考えてしまう。
「間近?」
健太の息が頬にかかる。
いま、自分がどんな格好をしているのか思い浮かべて紗也香は耳まで真っ赤にしていた。
健太に覆いかぶさるように身を乗り出している自分。
見方によってはかなり大胆な姿だ。
紗也香はその事を否定しようと火照る顔をブンブンと振った。
「もう、健太のことは小さい頃から知っててこんなことは普通だもん。そう、幼馴染だから起こしに来てるだけで、それ以上でもそれ以下でもないんだから」
そんな誰に言い訳しているんだかわからない独り言を呟いていた。
だけど、一度変な想像をしてしまうとなかなか頭から離れない。
紗也香の顔はさらに赤く染まっていく。
「う~~ん。……紗也香?」
その時だった。
健太が目を覚ましたのかゴソゴソと動き出した。
その声に紗也香はビクッと反応した。
もしかして、今の独り言を聞かれたんじゃないか、と動揺しながら健太の顔を恐る恐る伺う。
ふう、どうやら寝言だったようだ。
健太は先程と同様にムニャムニャと呟きながら目を閉じていた。
そのままじっと覗き込んでいると健太はムズがって寝返りをうった。
クスッと紗也香は笑う。
本当に幸せそうな寝顔だ。
いい夢でも見てるのかなぁ、
といたずら半分で頬を突っつこうとしたところだった。
「えっ、なに? なに?」
なにが起こったのかよくわからない。
背中に回っているのは健太の腕。
頬に感じるのは健太の胸。
えっ? どう言うこと?
もしかして、わたし。抱きしめられてる?
すっかり動揺してしまった紗也香は健太の腕の中でモジモジすることしか出来なかった。
「健太? 起きてるの? からかってるなら承知しないわよ」
声を荒げるがそこにはいつもの勢いがなかった。
紗也香の胸はバクン、バクンと激しく脈打っている。
ダメ、健太に聞かれちゃう。
と懸命に気持ちを落ちつけようとするが、意識すればするほど自分の思い通りにならなかった。
どうしよう。
健太はどう言うつもりでこんなことをしてるの?
もしかして、わたしのこと……。
「……紗也香」
健太がわたしの名前を呼んでいる。
その声を聞いて紗也香は固まってしまった。
緊張で身体は震えている。
喉がカラカラだ。
もう心臓は限界を超えて鼓動していた。
いったい健太はなんて言うんだろう?
聞きたいような聞きたくないような。
不安と期待で紗也香の心は揺れている。
そして、紗也香は覚悟を決めて顔を上げた。
息が感じられるほど近くにある顔。
それを意識すると火を吹いてしまうんじゃないかと言うくらい顔が熱くなってくる。
震える声で健太の名を呼ぶと紗也香はそっと眼を閉じた。
すると健太が……。
「このマグロ生きがいいぞ」
ムニャムニャと健太の寝言は続いていた。
「………………」
サア~~とスゴイ勢いで頭が冷えていった。
さっきまでアレだけ激しくビートを刻んでいた心臓もいまは沈黙を保っている。
恥ずかしくて見れなかったが、ちゃんと見てみると、まだ寝たままだった。
いままでの行動は全部、寝ぼけてやっていたことだったらしい……。
そのことに気付いて、自分の妄想の恥ずかしさに紗也香は肩を震わせていた。
そして、その羞恥心が怒りに変わるまでそう時間を必要としなかった。
紗也香は健太の腕をそっと解いてベッドの上に立ち上がる。
紗也香の背後からは陽炎のような怒りのオーラが立ち上っていた。
いま、健太が起きていたら、きっと紗也香がなんで怒っているのかわからなくても土下座して許しを請っていたことだろう。
だが、残念なことに健太は熟睡中だった。
紗也香は感情の全てをぶつけるように健太を思いっきり蹴っ飛ばした。
「ゴフッッッッッッ――――グエ」
健太は奇声を上げながらベッドから転げ落ちる。
蹴られたところが余程痛かったのか涙目でお腹を押さえてのた打ち回っていた。
「なっ、何すんだよ。痛いじゃないか! 今日のはちょっとやり過ぎだぞ!」
「フン。目が覚めたんなら直ぐに着替えて下に降りてらっしゃい」
そう言って激しくドアを閉めて出ていく。
「紗也香? ……どうしたんだろう? 耳まで真っ赤にして」
健太の不審がっている声がドアの向こうから聞こえてきたが、紗也香は聞こえないふりをして足音荒く階段を降りていった。
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「もう、何でわたしがこんな風に恥ずかしがらないといけないのよ」
さっきの出来事を忘れるために声を荒げると、逆に目の前に迫った健太の顔がはっきりと浮かんできた。
それで、また心臓が一段跳ね上がる。
鏡を見なくてもはっきりわかる。
いま紗也香の顔は赤くなっているだろう。
「もう、紗也香しっかりしなさいよ!」
と懸命に顔を振って自分の気持ちを落ちつけようとする。
こんな顔で美咲さんの前に立ったら……想像するのも恥ずかしい。
彼女はきっと全身全霊をかけてからかってくるに違いない。
嫌な想像をして紗也香はダイニングに続くドアの前で立ち止まった。
「ああああ、もう、しっかりしてよ!」
と再度、自分を叱咤してから頬を叩いて気合いを入れる。
パシンと響く音とジンジンと痛む頬に意識が向かうと、何とかいつもの自分に戻れた気がした。
紗也香はもう一度深呼吸してからダイニングに入っていく。
そんな紗也香を美咲さんは笑顔を迎えてくれた。
「紗也香ちゃん。今日の朝食は和食だけどいい?」
「あっ、はい。いただきます」
平静を装って紗也香は応えた。
美咲さんの反応はいつも通り。
どうやら上手く切り抜けることができたみたいだ。
紗也香はホッと息をつく。
食卓を見るとすでに出汁巻き卵と鮭の切り身が並んでいた。
いつものように朝食の準備を手伝おうと紗也香は食器棚から茶碗を三つ取り出す。
「健太はまだ来てないけど、まあいいよね」とそんなことを考えながらご飯をよそった。
そこを狙って美咲さんが何食わぬ感じて聞いてきた。
「今日はちょっと騒がしかったわね。何かあったの?」
ああ、やっぱり彼女の目は誤魔化せなかったみたいだ。
紗也香の顔はバカ正直にボンと音をたてている。
それを見て自分の予想が当たったと美咲さんはニンマリとしていた。
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「モグモグ」
まだ、顔を上気させたまま、紗也香は黙々とご飯を食べていた。
美味しいはずなのにちっとも味がわからない。
そんな紗也香を美咲さんは何か言いたそうな表情で見ている。
この雰囲気に我慢が出来なくなって「美咲さん。ご飯、冷めちゃいますよ」とジト目で言ってみたが美咲さんには通じなかったみたいだ。
彼女は「そうね」と一言だけしか返してこない。
暖簾に腕押しとはこのことだ。
美咲さんは紗也香の言葉など意にかえさずに興味津々という顔でこちらを見ている。
紗也香は視線を反らして味噌汁を啜ることにした。
しばらく、その視線に耐え続けて食事を続けていると、これ以上は可哀想とでも思ってくれたのか、やっと美咲さんが味噌汁のお椀を手に取った。
それを見て紗也香はホッとする。
「そう言えば紗也香ちゃん? 昨日、アレを使ったでしょう?」
ギクっと音が聞こえるんじゃないかと言うくらい紗也香は動揺していた。
やっぱり、彼女は油断できない。
知ってていままで惚けているとは……先程まで赤かった顔が一瞬で真っ青になっていく。
紗也香は昨日のことを思い出していた。
自分が間違いっていたとは思わない。
でも、他にやりようがあったんじゃないかとも思っていた。
責任感の強い紗也香としては自分のミスで美咲達に迷惑がかかるのだけは我慢ならないのだ。
美咲さんは自分の一言に予想以上に落ち込んでしまった紗也香を見て、慰めるように優しい声をかけてくれた。
「そんなに落ち込まなくていいのよ。あなたのやったことは間違ってないわ。あの力は正義の力。だから、人を守る為にならいくらでも使っていいの。そのせいで問題が起こってもそれはしょうがないことだわ。それにね。わたし達の為だからって赤ちゃんを見捨てるような人をわたしは許さない。他人のことを自分のことのように思える紗也香ちゃんだからこそ、健太の秘密を教えたままにしているのよ」
「ありがとうございます」
胸のつかえが少しだけ軽くなった。
だが、その表情は直ぐに曇った。
「でも、もっと他に方法が……。昨日はそのことが学校でも話題になってたし、写真なんかも出回っているんですよ。もうヒーローの存在は隠しきれないんじゃ……」
紗也香は箸を置いて俯いてしまう。
「でもも、なにもないの。赤ちゃんが助かった。それだけでいいのよ」
美咲さんは微笑みは優しかった。
そう言って貰えてのは嬉しかった。
だが、まだ完全に立ち直れない。
紗也香はグズグズと自己嫌悪していた。
そんな必要以上に自分を責める紗也香を見て、美咲さんはちょっと迷ったような顔をしていた。
が、しばらく悩んだすえに、リビングに置いてあったノートPCを持ってきた。
「紗也香ちゃん。それがね。ちょっと問題が起こっているのよね」
そう言いながら美咲さんはあるHPを開いた。
「このサイトがどうかしたんですか?」
それは世界的に有名な動画サイトだった。
彼女の意図がわからず紗也香は小首を傾げる。
そんな紗也香を見ながら美咲さんは無言で一つの動画をクリックした。
画面が切り替わり再生が始まる。
なんの画像だろうと見ていると直ぐにそれがなんなのかわかった。
そうだ。これは昨日の火事の現場だ。
音声はノイズだらけで不鮮明だが画像はハッキリとしている。
爆発して炎が噴き出しているマンション。
火元の直ぐ側の部屋からガラスが弾かれるように割れて人影が飛び出してくる。
撮影者が動揺したのか画面が激しく揺れ、それが収まった時、そこには特撮物に出てくるようなヒーローが現れていた。
そのヒーローは母親に赤ちゃんを預けて、しばらく消防士と何かを話してから人ゴミを飛び超え去っていった。
紗也香はその動画を見て唖然としていた。
不幸中の幸いと言えばノイズが酷くてヒーローの声がよく聞こえなかったくらいだろう。
でも、それは何の慰めにもなっていない。
紗也香は情けない顔で美咲さんを見る。
彼女も困った顔をしていた。
そんな美咲さんが珍しくも溜息をつきながら話を続ける。
「わたしも昨日の夜に隣の奥さんから聞いたんだけど。これを見た時には驚いたわ。アクセス数があの時で八千件だったけど、もう五万件を突破したみたいね」
紗也香は何も言えなかった。
美咲もそれ以上は何も言わなかった。
そして、重苦しい空気がその場に流れる。
「おはよう」
そこに健太が入ってきた。
能天気な声は完全に場違いだったが、その間抜けさが場の雰囲気を和らがせている。
紗也香は思わず吹き出してしまった。
美咲さんも声を出して笑っている。
そんな二人を健太は訝しんでいるみたいだったが、直ぐに興味を失ったみたいだ。
「あれ? 今日はテレビつけてないの?」と言いながらテーブルに置いてあるリモコンを取り電源を入れる。
毎朝見ているワイドショーを見るためだろう。
テレビが映るとタイミングが良いのか悪いのか、あるニュースが流れるところだった。
「これはある動画サイトにアップされた映像です。まずはこちらをご覧ください」
女性キャスターが紹介すると画面が切り替わり、ある映像が流れだす。
そう、昨日の火事の映像だ。
二人の眼が点になっていた。
正直インターネットで話題になるくらいなら大した影響はないと思っていた。
だが、テレビで報道されたとなると話は別だ。
これで動画サイトのアクセス数も跳ね上がるし、他のメディアでも取り上げられるだろう。
間違いなく騒ぎは大きくなる。
紗也香達は自分達の認識の甘さを痛感していた。
そんな彼女たちの気持ちなど知らない健太はテレビに釘付けになって「スゲエ。本当にヒーローだよ」とか騒いでいる。
二人は顔を見合せて嘆息していた。
気まずい朝食を終えて学校に向かうために紗也香が食卓から立ちあがった。
健太はカバンを取りに行っていてこの場にいない。
それを幸いと美咲さんが真剣な声音で
「紗也香ちゃん。これなんだけど」
「指輪?」
紗也香は差し出されたものを見て首を捻った。
なんでこのタイミングで指輪なんだろう。
「ちょっと、これを持っていてくれる? これは健太が変身した時に通信機になったり、発信機になったりするの。もしかしたら、これから使うことになるかも知れないから」
そう言いながら美咲さんは紗也香の左手をとり、それを薬指にはめてしまう。
彼女の真剣な表情とさりげない動きに紗也香はされるがままになっていた。
そして、左手に輝くシルバーのデザインリングを空にかざして見てみる。
それは二頭のイルカの間にハート形の赤い石があしらわれた可愛らしい指輪だった。
「わあ、カワイイ……ってなんで左手の薬指に付けるんですか! これじゃあ、誤解されちゃうじゃないですか」
わたしは指輪をつけている位置の意味に気付いて慌てて外そうと手をかけたのだが。
「えっ、抜けない」
力一杯引っ張ってみたが指輪はピクリともしなかった。
「それはね。特殊なもので一度はめたらとることが出来なくなってるのよ」
「そんなあ」
涙目になっていると、美咲さんは「あははははは」と笑いながら「大丈夫よ。そんなこと誰も気にしないから」と他人事のように言っていた。
もう、何を言っても無駄だろう。
紗也香は頭を抱えて神代家のダイニングを後にした。
「どうしたんだ?」と健太が訊いてきたので、「あんたのせいよ」と、とりあえず殴っておいた。
いつもならこれで多少は腹の虫が収まるのだが今日はあまり効果がなかった。
誤字脱字報告、感想などいただけたら嬉しいし励みになります。
次回更新は明日19時になります。