第十九話 ランチは天国と地獄
いったい、何がどうなっているというんだろう?
健太にはもう意味がわからなかった。
朝の登校から始まった紗也香とありさちゃんの訳のわからない闘争はいまも続いていた。
友達に散々からかわれて逆に吹っ切れたのか、紗也香は羞恥に顔を染めながらもありさちゃんのやることに引くようなまねはしなかった。
それどころか、二人の争いは徐々にエスカレートしている。
一時間目。
「健太さん。教科書忘れたんですけど見せてくれませんか?」
そう言って早瀬さんが健太の方に机を寄せてきた。
転校したてでまだ彼女は時間割とか間違えるのだろう。
そう思って健太が快く教科書を間に置こうとすると……。
「健太。わたしも教科書忘れたみたい。みせてくれる?」
そう言って有無を言わさず紗也香が机を寄せてきた。
おいおい、いま机から教科書を出しかけてたじゃないか。
だが、紗也香の剣幕を前にしてはその言葉を呑み込むことしか出来なかった。
二人は目を見合せて笑いあっている。
早瀬さんと紗也香との間にバチバチっと激しい火花が散っていた。
怖いよ、誰か助けてよ。
と健太は震えていることしか出来なかった。
重苦しい授業が終わり、やっとお昼休みになっていた。
少しは安息の時間を過ごせるかと思いきや、そんなものは健太の甘い想像、もとい、妄想に過ぎなかった。
二人は何も言わずに健太の机に弁当を並べている。
「健太さん。これ自身作なんですよ。あ~ん」
ありさちゃんが一口大のクリームコロッケを箸で掴んで健太の口へと運んでくる。
健太が恥ずかしくてそれを食べるのを躊躇っていると紗也香が横から文字通り口を出して食べてしまった。
「なっ、何をするんですか!」
「あら、ごめんなさい。美味しそうだったから」
「…………」
空気がビリビリと痛い。
いったいどんな罰ゲームだと言うんだ。
オレが何か悪いことをしたか、と健太は頭を抱えたかった。
だが、そんなことをしても何の解決にもならない。
それどころか健太には恐るべきことが待ちうけていた。
「健太。わたしもお弁当を作ってきたの」
教室内が騒然となっていた。
「おい、聞いたか? 星野さんが弁当を作ってきたらしいぞ」
「ちょっと待てよ。オレまだ心の準備が出来てないぞ」
「おい、どう言うことなんだ?」
「お前、知らないのか? ツンデレ幼馴染みは料理下手ってのが定番だろ?」
「料理ベタ幼馴染みなんて萌え!」
「バカ。あれは萌えなんてレベルじゃないのよ」
「まあ、犠牲者は神代君なんだからわたし達に害はないわよね」
「それもそうだな」
「おい、担架。担架を用意しろ!」
「救急車を一応呼んどいた方がいいんじゃない?」
「惜しい男を亡くしたな」
「ホント、若すぎる死よね」
他人事だと思って好き勝手言いやがって!
健太は心の中で叫びながら、周囲を見回していた。
だが、みんな健太から視線を逸らしている。
中には拝むように手を合わせるものまでいた。
ちくしょう。シャレになってないっつうの。
そうなのだ。
紗也香の料理の腕は半端ではない。
普通の食材でどうやったらこのような味を作り出すことが出来るのか
……ある意味天才だった。
そんな紗也香が「あ~ん」と言って箸で何かをつまんでいた。
見るのもおぞましくて健太は目をつぶってしまう。
それが功を奏したのか、それとも最悪の結果を招いたのか、それは健太の口に入ることはなかった。
「ぐお!」
美少女が口にする言葉とは思えないようなうめき声が聞こえてくる。
「ありさちゃん。大丈夫!」
健太はありさちゃんを抱き起した。
そうなのだ。
ありさちゃんがさっきの意趣返しのつもりだったのか、紗也香の作ったおかずを横取りして食べてしまったのだ。
彼女は椅子から転げ落ちて泡を吹いている。
その姿は息も絶え絶えという感じだった。
しかし、健太はそんな彼女を見て驚愕していた。
「紗也香の料理を食べてまだ意識があるだなんて!」
健太の声を聞いて最後の気力が潰えたのか彼女の首がガクリと落ちた。
「毒を盛るなんて。そこまでするとは思わなかった」
それがありさちゃんの最後のセリフだった。
クラスメート達が一斉に泣きだす。
「そんなありさちゃんが死んじゃうだなんて」
「何で健太じゃないんだ。あんな奴、死んで良かったのに」
「早く、一刻も早く、救命措置を」
「オレが人工呼吸を」
「じゃあ、わたしが心臓マッサージ」
「いや、いや、その役目はオレだから」
「なに言ってるんだ。あれはみんなの宝だぞ。誰がお前なんかに渡すか!」
うわああ。なんだか醜い争いが始まっている。
健太はそれを見ないようにしながらありさちゃんにお茶を飲ませていた。
少しでも水分を取らせて舌に残る味を洗い流せれば、蘇生が可能かもしれない。
そんな涙くましい努力を前にして紗也香がとんでもないことを言った。
「早瀬さん、どうしたの? ――まあ、いいわ。健太。まだ、おかずが残っているから。はい。あ~ん」
「「「えっ?」」」
一同が唖然としていた。
このような状況でこいつはなに言ってるんだ?
と自分の耳を疑っていた。
だが、紗也香の目は真剣そのものなのだ。
そして、健太は思い出していた。
こいつが厄介なことは腕が殺人級なだけでなく、料理が絡むと何も見えなくなることが問題なのだ。
前提が逆か? 周りが見えなくなるからあんな料理が作れるのかもしれない。
って、そんな現実逃避気味の解説なんてしている場合ではない。
ここはどうやって逃げるかが先決だ。
健太はひとまずありさちゃんのことは忘れて自分の身を守ることに専念する。
いくら健太がお人好しでも自分の身を犠牲にしてまでありさちゃんの介抱を続ける訳にはいかない。
勇気を振り絞って健太は紗也香に対峙した。
周りから健太の勇気を讃える声が聞こえてくる。
ホントに他人事なんだから!
と涙目になりながらクラスメート達を見渡すが結果はさっきと同じだ。
違うところと言えば男子の一部が敬礼をしていることくらいか。
「靖国で待っていてくれ」
とか、お前、いったい何歳なんだよ。
という訳で健太は自分のことを叱咤しつつ紗也香に話しかけた。
「本日はお日柄もよく――」
「なに言ってるの? それより、これは自身作なんだ。食べて見てよ」
「いやあ、そんな悪いよ。どうしてもって言うんだったら、そっちのがいいな」
「なに言ってるのよ。こっちはお母さんが作ったわたし用よ。これはわたしが作ったんだから。別に健太の為に作った訳じゃないんだけどね」
そんなツンデレなセリフはいらねぇ。
そんなことを心の中で叫んでいたが逃げ場はどんどんなくなっていた。
そして、紗也香が箸で持つ緑色の物体が健太の口に近付いてくる。
「さっ、紗也香さん? その緑色の物体はなに?」
「ハンバーグよ」
ハンバーグって!
いつからハンバーグが緑になったんだ。
これはハンバーグの色じゃないだろう!
健太の心の叫びが届いたのか紗也香がこの謎の物体について解説を始めた。
ホント、まったく聞きたくないのに。
「これはね。健康のことを考えてパティに青汁を練り込んでみたの。あとね、お肉だとカロリーが高いからおからを使ってね。でも、それだと淡白になっちゃうからサラダ油を少し混ぜて見たの。それと触感を出すためにごぼうも――」
もう、聞くだけで拷問だった。
目に毒、耳に毒、舌に毒。
まだ、匂いは嗅いでないがきっと毒だろう。
これで触覚が加われば五感制覇である。
まあ、それはないだろうけど。
そんな健太の現実逃避中も「あ~ん」と言いながら紗也香は箸を突き出している。
その目は期待に満ちていた。
だが、そんな謎の食べ物を前にしては応えることは出来ない。
しばらくそう言った小康状態が続いていると不満げに紗也香が唇を尖らした。
「どうしたの? 早く、食べなさいよ。それとも、やっぱりわたしの作ったものは食べられないの? そうよね。わたし、早瀬さんみたいに料理上手じゃないし」
紗也香は伏し目がちにそんなことを言い出した。
いつも怒り散らしている彼女からは考えられないしおらしい態度である。
罪悪感がムクムクと湧いてきた。
「おい、男なら覚悟を決めろよ」
「そうよ。女の子に恥をかかせる気!」
「とっととぶつかって華々しく散れ!」
みんなの好き勝手な言葉が聞こえてくる。
だが、確かにみんなの言う通りなのだ。
逃げ場がないのなら玉砕するしかない。
完全にその場の雰囲気に毒されていた。
思考があさっての方向にいっている。
別に逃げ出しても誰にも文句を言われる筋合いなどないのに、そのことに思い至ることもなかった。
そう思って、彼女が突き出す箸に口を寄せていく。
ぐわああ。やっぱり、匂いも毒だ。
嗅いだことのないような臭気が健太を襲ってくる。
間違いなくこれは食べ物の匂いではない。
食べてはいけない。
これは危険物だと、身体が言っているかのように目から涙がとめどと鳴く溢れて来た。
健太は一旦、箸から顔を遠ざける。
それを見て紗也香が首を傾げていた。
とっさに健太は言い訳していた。
「やっぱり、あ~んとか恥ずかしいよ」
咄嗟にしてはなかなか良い言葉だった。
紗也香は恥ずかしそうに頬を染めて「そうよね」と言いながら箸を引っ込める。
助かった。
と健太は軽く胸を撫で下ろしたがそれで窮地を脱した訳ではなかった。
紗也香は恥ずかしそうに上目使いで今度は弁当箱ごと突き出してくる。
もう逃げ道はない。
健太は覚悟を決めて弁当箱に箸を伸ばした。
そこには謎の緑色(ハンバーグ?)
と謎のピンクの物体(形から言って卵焼き?)、
よく見るような黒いもの(焦げたソーセージ)
そして、謎の青みがかったサラダがあった。
ここはまだ食べ物らしい黒い物体からと思ったが、紗也香は緑を食すよう所望している。
その目を見るとこれは裏切ることはできないのだろう。
健太は「南無三」と口の中で唱えて緑色の物体を掴んだ。
グニョっとした感触が全身を貫く。
何なんだ、これは!
箸から生々しい感触が伝わってきた。
グニョリとした柔らかくいまにもつぶれそうなのにそれでいて奇妙な弾力がそれをさせない。
そして、不意に石のような固さが伝わってくる。
だが、これで終わりだと油断してはいけない。
唐突に突き破られた表面からドロリと何かが垂れてきた。
それは箸越しなのに直に触っているより鮮明に脳髄を刺激する。
嘘だろ?
触覚って普通、歯触りとか、舌触りとか、そう言うものじゃないのか?
まさか、箸で持っただけで毒なんて聞いてないぞ。
奇しくも五感制覇を成し遂げたのにそこに喜びなど欠片もなかった。
こんな感触を味わうくらいならさっきの「あ~ん」に応えていればよかった。
そう思っても後の祭りである。
それにまだこれで終わったわけではないのだ。
健太は震える手でそれを自分の口に持っていく。
ここで躊躇ったらもう先には進めない。
そう思って、投げ捨てるようにそれを口に放り込んだ。
「…………」
ありえない衝撃を受けると世界が真っ白になるというがそれは嘘だ。
そこはまだたいしたことはない。
恐ろしいことにこのハンバーグは気絶することさえ許してくれない。
気を失いそうになると新たな匂いが、触感が、味覚が襲いかかってきて意識を覚醒させてしまうのだ。
健太は倒れることを許されないボクサーのように一方的に殴られ続ける。
そして、やっと責め苦から解放されたと思ったとき、そこには女神のように微笑む紗也香の姿があった。
彼女は慈愛のこもった表情でこう言った。
「まだまだあるわよ」
いつでも神とは人間に対して残酷なものである。
健太は紗也香から弁当箱を奪い取って中身を口の中へとかきこんだ。
そして、「ごちそうさま」と言って教室から逃げ出す。
その勇姿にみんなが感涙にむせび泣いていた。
放課後。
昼休みの聖戦を終えて神となった健太はげっそりとした顔で帰りの準備を始めていた。
もう、体力はほとんど残っていない。
早く帰ってぐっすり眠りたかった。
そんなところにありさちゃんがやってくる。
「健太さん。数学でわからないところがあったんですけど」
本音を言えば勘弁してほしかった。
しかし、無下に断るのも何なので残る気力をフル稼働させて彼女に向き直った。
すまなそうにしているありさちゃんは可愛らしい。
見ているだけで少し癒される。
ありさちゃんの笑顔で残りライフをわずかばかし回復させた健太は彼女の持っている数学の教科書に目を落とした。
「どれどれ?」
「ここなんですけど……」
「ああ、これね――」
「ここは、こうして、ここに公式を当てはめればいいのよ」
健太が答える前に紗也香がノートに回答を書き込んでいた。
「星野さんには聞いてません。わたしは健太さんに聞いてるんです」
「そう? 健太よりわたしの方が成績良いし教え方もうまいわよ」
事実なので健太には何も言えない。
だが、黙っていた理由はそれだけではなかった。
二人の間に漂う不穏な空気が怖かったのだ。
これ以上、何かが起これば死んでしまう。
そうは思ったが健太に反論の余地は残されていない。
出来るのは額に汗をかくくらいだった。
そんな健太を他所に二人はしばらく睨み合ってから、同時に「フン」っと身体ごとそっぽを向いた。
ふう、助かった。
そんなことを考えながら、健太はそっとその場から逃げ出していた。
足音を押し殺して教室をでる。そこでやっと息をついた。
「ふう。もう勘弁してほしいよ」
「神代君も大変ね」
健太はその声に驚いて跳び上がっていた。
そんな健太をその声は笑っている。
「もう、先生そんな風に笑わないで下さいよ」
「ごめんなさい。神代君の慌てっぷりがおかしくて、あはははは」
ブスッとしていると先生はどうにか笑いを堪えて謝ってきた。
全然、誠意は感じられなかったけど。
「あの状態を見るとモテるのも考えものね」
「ああ言うのもモテるって言うんですか?」
健太が溜息交じりに聞くと黒田先生はおかしそうに「そんなこと言ってると他の男子に刺されるわよ」と注意された。
確かにと思って健太は口を噤む。
それが先生の笑いを余計に誘っていた。
屈託なく笑う先生は年齢より幼く見えて可愛らしい。
こう言うところがこの先生の人気の秘密なのだろう。
気兼ねなく相談とかできるし感覚が健太達と近いのだ。
そんなことを考えていると黒田先生が健太の瞳を覗き込むようにしいた。
健太はなんだか気恥ずかしくて視線を逸らす。
「それで神代君はどっちが好きなの?」
先生も女性なのでこの手の話題が好きなのだろう。
目が楽しそうだった。
「日曜日も両手に華でデートしてたじゃない。どっちつかずは感心しないわよ」
「別に二人ともそういう関係じゃないし、あの時はありさちゃんの買い物のついでで」
なんで言い訳してるんだろう、と思いながらも健太はしどろもどろに言っていた。
そんな健太を疑わしげにそれでいて、どこか楽しそうに先生は見てくる。
居心地が悪いことこの上なかった。
そんな健太の態度がさらに笑いを誘っている。
「ホントにあなた達を見てると飽きないわね」
「もうからかわないでください。本当に困ってるんですから」
「そうなの? それじゃあ、いい解決方法を教えてあげる」
そこで一度言葉を切って健太の目を見詰めてくる。
そして、彼女は妖艶に微笑んだ。
「別の彼女を作ればいいのよ。どう? わたしなんて。大人の女性もいいんじゃない?」
「なに言ってるんですか。突然!」
健太が動揺していると先生は大きな声で笑いだした。
健太は目を丸くしている。
「冗談よ。冗談。生徒相手にそんなこと本気で言う訳ないでしょ?」
健太がムスっとしていると黒田先生はニコリとして
「じゃあ、本気にしてみる。わたしは別に構わないわよ」
と言ってすり寄ってきた。
健太は慌てて首を振り腰を引かせる。
それを見て黒田先生はもう一度笑った。
一通り笑った彼女はそれで満足言ったのか話題を変えてくれる。
「まあ、からかうのはこれくらいにしておいて、そう言えば、あの後、騒ぎがあったみたいね。神代君達は怪我とかしなかった?」
「はい。僕達は直ぐに逃げましたから」
「本当に?」
なにを疑っているのかわからなかったが、健太は頷いておく。
「ええ、あの後、いつの間にか家に帰っていて部屋で寝てたので」
「いつの間にか、ってどうやって帰ったの?」
「そう言えば、どうしたんだろう?」
健太が首を傾げていると先生が心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫ですよ。この通りピンピンしてるんですから」
「本当に? 他にもそういうことがあるんじゃないの?」
「そうですね。この間あった火事の時もそんなことがあったけど。オレって物忘れが激しいから。あはははは」
「そう、そう言うことが続くようなら病院に行った方がいいわよ」
そう言って黒田先生は職員室に戻っていった。
去り際に深刻な顔をしていたのは健太のことを心配してのことだろう。
ホントにいい先生だ。
健太はそんな彼女の背中を見送っていた。
「あっ、健太、そんなところにいたのね」
その声で我に返った健太が振り返ると、そこには紗也香と早瀬さんがいた。
健太はそれを見て思わず逃げ出してしまう。
それを見て「なに逃げてんのよ」と紗也香が怒りの形相で追ってきた。
明日は平和な一日を送れればいいのだけど、と信じてもいない未来を願いながら健太は全速力でダッシュした。
誤字脱字報告、感想など頂けたら嬉しいです。
次回投稿予定は9月10日19時を予定しています。
お楽しみに




