偏平足のシンデレラ
ハルカはため息とともに靴を脱ぎ捨てた。
これで七足目だ。どうしてこうも不便な足に生まれてしまったのだろう。
「どうしてなのよ、もう……」
嘆いてみても恨んでみても、足の形は変えることができない。試着のために腰を下ろしていた椅子から、自分の足を見下ろした。
色も白く、ほっそりとした足の見目は、自分でも綺麗だと思っていた。しかし、如何せん幅が足りなかった。
足のサイズに合わせれば左右の幅が余ってしまう。かといって、足幅に合わせればつま先に圧がかかってズキズキと痛む。
靴の中に詰め物をして足りない幅を補充しようかとも考えた。だが、面倒くさがりな性格を言い訳に、長続きはしないだろうからと実行に移す前にやめてしまった。
お陰さまで、靴を選びに来るとこうして何足もの靴を試着することになる。サイズはぴったりであっても、デザインが気に食わないことがままあった。
シンデレラは魔法で自分だけの靴を出してもらった。その靴は他のどんな娘にも履きこなせなかったという。それだけ変わった足の形をしていたのだろうから、普段の靴選びもそうとうに大変であったろうに。
ハルカはかすかな同調を覚えたが、シンデレラには彼女専用の特別な靴が与えられた。しかも、その靴で運命の人と出会っている。そのことを思って一層表情を暗くした。
「やめやめ。また今度にしよ」
吐き捨てると、もともと履いていた少しだけ幅の余るスニーカーを履き、立ち上がった。
スニーカーであればまだいい。靴ひもの締め具合である程度は調節がきく。
しかし、これがサンダルとなるとそうはいかない。
これから夏本番だというのに。
迫りくる季節がハルカを焦らせた。
足が痛い。いつものことながら、ハルカは顔をしかめて靴の中で足の位置を調節した。
どれもこれもこの足のせいだ。サイズの合わない靴を無理に履いているから、靴ずれが頻繁に起きる。おまけに、偏平足まであるから長く歩いていると足が痛くてたまらなくなるのだ。
靴ずれの応急処置用に、絆創膏を常に持ち歩いてた。それを周りの女友達から女子力が高いと冷やかされることが、何より嫌いだった。
――あなたたちは普通の足をしているから、私みたいな人の気持ちがわからないんだ。
今すぐ靴を脱ぎすてて、裸足で歩きたい。ガラスが落ちているかもしれないからって、何なんだ。足に合わない靴を履いている方がよっぽどつらい。
あの子たちはそんな思いをしたことがないんだろう。だからあんなに楽しそうなんだ。
「ハルカ、海行こうよ。海!」
カナミのはしゃいだ調子を思い出して、溜息をもらした。
昼休みにお弁当をつつきながらだったから、言ってみたかっただけなのかと思った。ところが、あれよあれよという間に計画はまとまった。しかも、隣でお菓子の奪い合いをして騒いでいたはずの男子グループまで一緒に海に行くことになってしまった。
そのグループには、ハルカの片思いの相手であるケントがいた。
ケントさえいなければ、迷うことなく海行きを断ったであろう。自分では誘いたくても誘うことの出来ない想い人がいるから、とつい承諾してしまったあの時の己を恨んだ。
海へ行くのは明後日、土曜日の朝一番。早くに集まって、少し遠い穴場を目指そうというのだ。
わざわざ遠出までする気合の入りようを鑑みるに、カナミたちは海を満喫する準備は整えていたようだ。
波打ち際で遊ぶくらいであれば水着がなくとも何とかなる。ところが、足元はそうはいかない。納得のいくサンダルを見つけられていないハルカは、崖っぷちへ追い込まれていた。
バスで二十分の道のりを、足が痛くなるのも構わずに歩いて帰った。できるだけ多くの靴屋を巡ることのできるルートを選び、気になったものを片っぱしから試着していく。
もう三軒もはしごしているが、緩すぎたり、逆に狭すぎて長く履くには適さなかったりというものにしか出会えなかった。
長時間歩いた上に何度も靴を脱ぎ履きしたせいで、もう一歩も歩きたくないほどに足が痛くなっていた。おまけに、この先は靴屋も何もない住宅街が広がるばかりの道だ。
バス通りから少し離れてしまっているので戻るのも億劫だったが、背に腹はかえられない。足を引きずるようにのろのろと進んでいくと、不思議な看板が目に入った。
「いずれの人にもすべて、その人の靴を
いずれの靴にもすべて、その持ち主を」
靴、という文字に目を引き付けられたが、店の名前はどこを探しても見当たらない。看板が置かれているのが普通の民家の前だったので、余計に戸惑ってしまった。
「いらっしゃい、ですかね?」
玄関が細く開いて、やわらかな声が聞こえてきた。一拍遅れて、小さな子供がひょっこりと顔をのぞかせる。男の子にも女の子にも見える、中性的な顔立ちの子供だった。
「御用でしたらお入りください」
ガラガラと音をたてて引き戸が開かれる。そこから見える屋内は、民家そのものだった。子供は服装まで中性的で、やはり性別の判断がつかない。
「……御用なんですか? 違うのであれば閉めますが」
「えっと……、ここ、靴屋?」
「ご覧の通りです」
うんざりしたような表情を見せた子供の背後から、スーツ姿の男が現れた。自宅にいるにしては固すぎる服装に呆気にとられ、思わず男と子供を何度も見比べた。
「どうぞ、お上がりください」
スリッパまで用意されてしまい、引くに引けなくなったハルカはおずおずと玄関を入った。
木張りの床はひんやりしていたが、お世辞にも涼しいとは言えない。それなのに、スーツの上着まできっちりと着込んだ店主は、汗ひとつ浮かべていなかった。
「靴が合っていらっしゃらないようですね。では、まずはこちらへ」
店主と思しき男はハルカの靴を手に取ると、入ってすぐの部屋へ彼女を誘導する。部屋の内部を目にした瞬間、ハルカは口をポカンと開けて立ち尽くしてしまった。
部屋の中には、これでもかというほどの靴があった。
どれも同じデザインで、同じ物がいくつも並べられているように見える。しかし、店主はハルカのスニーカーをくまなく見つめては並べられた靴の一つを手に取り、首をかしげて戻しを繰り返した。
ついさっきまで履いていた靴を鼻先が付きそうな距離でじろじろと見つめられると、恥ずかしさが込み上げてきた。
「これを履いてみていただけませんか?」
きょろきょろと視線を動かしていたハルカに、店主が呼びかけた。手渡された靴へ足を入れてみると、これまでにない感覚に包まれた。
靴が、足と同化している。この靴ならば何時間履いていても足が痛くならなさそうだ。
しかし、デザインが単調なのが難点だった。
「この靴、すごくいいです。でも私が探しているのはサンダルなので……」
これで失礼しますと言いかけたところを、店主に制された。
「サンダルでしたら二階になります」
にこやかに先導されて、二階へあがる。いくつかある扉のうちひとつを、先程出迎えてくれた子供が開けて待っていた。
「どうぞ」
「……どうも」
「気に入られたものがありましたらお申し付け下さい」
男の声を背に受けて部屋の中を見回してみて驚いた。
壁全体に棚がしつらえられているだけでなく、部屋の真ん中にも大きな靴箱が並んでいる。その中にさまざまなサンダルが陳列されていた。男物も女物も子供用もある。他の靴屋で見て、気に入っていたサンダルもあった。
気になるものを手にとって履いてみるが、先程の靴のようにしっくりとはこない。落胆とともに次、次と履いていくが、どれもハルカの足には合わなかった。
「ごめんなさい。ここの物は私の足には合わないです。よそで探しますので……」
ぴったりと合う靴があったせいで、落胆はいつも以上に大きかった。
やっぱり私に合う靴なんてなかったんだ。やっぱり、サイズは合わないけれど履きなれたサンダルで行こう。
肩を落として階下へと向かおうとした。
「お待ちください。合わない、とおっしゃったのはデザインのことでございましょうか? サイズでしたらお直しできますよ」
天の声とでもいうのだろうか。店主の一言でハルカの表情が一気に晴れた。
一番気に入っていたサンダルを選び出すと、店主に差し出した。
「……でも、高いですよね?」
「いえ、靴のお代以外はいただいておりません」
「直しは無料ってことですか?」
「はい。『いずれの人にもすべて、その人の靴を。いずれの靴にもすべて、その持ち主を』を信条にしておりますから」
店の前の看板の謳い文句を暗誦し、満面の笑みを見せた。
「履ける靴が限られるのではその人が可哀想ですし、履いてくれる人が限られるのではその靴が可哀想ですから。わたくしにできる範囲であればできる限りお直しさせていただいております」
「……あ、でも、私っ! 明後日海に行くんです。明日までに直せますか?」
ここまで懇切丁寧に対応してくれる店であれば予約殺到であろうと心配したハルカに、店主は静かにうなずいた。
「承りました。では、明日のこの時間にまた。お代はその時にいただきます」
「……はい。宜しくお願いします」
帰り道の間中、ハルカは不安だった。
あんなに親切な人がいるだろうか。自分の儲けを度外視して靴の直しをするなんて、まともな人間がする事ではないように思えた。
とはいえ、連絡先はおろか、氏名すら伝えていない。強いていうならば、足の形を知られたくらいだ。それでは個人情報目的の詐欺とは考えにくいだろう。
極度の足フェチ、とも考えたが、だとしたら靴ではなく直接ハルカの足を見るだろう。一緒にいた謎の子供のことも加わり、一層謎が深まるばかりだった。
土曜の早朝。眠い目をこすりつつ、自転車で駅へと向かう。どれだけ強くペダルを踏み込んでも、足にフィットしたサンダルは痛みを感じさせなかった。
あれだけ心配した直しも、予定通りに終わらせてくれていた。お礼をしに行こうかと思い、件の住宅地に自転車を走らせたが、肝心の靴屋が見当たらない。
看板が無いせいかとも思った。だが、靴屋があったはずの所に見知らぬ民家が建っていたのだ。両隣の家は確かにあの靴屋の隣にあった家であるから、場所は間違えていないはずだ。たったの一晩で家の外観をがらりと変えることは不可能だろう。
「……夢、だったのかな?」
これなら堂々とみんなに会えます。心から楽しめます。不思議な靴屋さん、本当にありがとう!
首をかしげながらも心の中でお礼をして、ハルカは住宅地を後にした。
高まる鼓動を抑え込みながら、駅の待合室へ飛び込む。話に花を咲かせていたカナミやケントたちがハルカを視界にとらえた。
カナミたち女子は、予想通りこれでもかというほど着飾っていた。
――でも、私だって負けない。
決意を胸に、ハルカは一歩を踏み出した。
「おはよう。張り切ってサンダル新調しちゃった」
はにかみながら告げると、皆の視線が一度に彼女の足に向けられた。
「お、ハルカって足綺麗なんだ」
ケントの嬉しげな声に、ハルカは照れ笑いを返した。