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忘れたければ燃やせばいい

作者: ぬぬぬ

「嫌なことを忘れたい時はね、燃やせばいいんだよ。

 方法? 簡単だよ、手順さえ守れば誰でもできる。

 えとね、まずは忘れたい嫌なことを紙に書くの。何を忘れたいのか、それをなるべく太く、はっきりと文字にするの。

 書いたら燃やすんだけど、この時にちょっと注意が必要なんだ。

 忘れたいことを書いた紙を手にとって、それを燃やすの。そしてね、燃える紙の熱を体感しないといけないの。

 例えば左手に紙をつまんで燃やしたら、その紙が燃える熱を左手に感じないといけないの。

 もう一つ重要なのは、紙が燃え尽きるのを目で見ることね。

 後は最後の手順、燃え尽きた紙は灰になるよね。その灰を、空いた手で受け取るの。

 左手につまんだものが燃え尽きたら、その灰を右手で受け取る。

 そうしたらね、紙に書いていた嫌なことを忘れられるんだよ。

 原理?

 んー、それは分かんない。

 でもね、確かなことなの。

 人は忘れたいことを忘れられるようにできてるんだよ。

 けど、思うだけだと忘れらない人がいる。

 そういう人は、燃やすことで忘れられるの。

 燃やした熱を感じるとか灰を受け取るっていうのは、忘れたいって意思を強固にするための儀式みたいなものだね。

 ふふ、信じられない?

 じゃあ、試してみるといいよ。

 だって、簡単でしょ?

 忘れたいこと、それを書いて燃やすだけだもの。

 太助のことを忘れたいなら、それを紙に書いて燃やしちゃえばいいんだよ。

 嫌なことを忘れれば、また仲良くなれるよ」


 授業が終わって下校の一時を迎えれば誰もが開放感を溢れさせる。

 ざわめきが騒々しさとなり、甲高い声が鬱陶しい教室内で持ち帰るべき教材を選別していると、クラスメイトの菜穂子が寄ってきた。

「水月、一緒に帰ろう」

 晴れやかに笑う菜穂子に対し、私は軽く肩をすくめて見せる。

「んー、ごめんね。今日は用事があってさ、一直線には帰れないんだ」

「あらら、そうなんだ。じゃあ、先に帰っちゃうね?」

「ん、そうして。ごめんね」

「ううん、また明日ね」

「ん、また明日」

 手を振れば菜穂子も手を振り返し、踵を返す。クラスメイトでごった返す教室内をすり抜けたところで、太助が菜穂子の進路を塞いだ。

 二人が付き合い、尚且つ現在、喧嘩中であることは誰しもに知られている。だからというわけでもないだろうが、それとも男女の仲に起こる喧嘩への好奇心からか、菜穂子の道を塞いだ太助の動向にほんの少し、教室内の空気が白んだ。

 はてさて、菜穂子はどのような態度を取るのか? それが多くのクラスメイトの疑問だったろう。

 そして菜穂子は簡単に答えを出した。

 立ち塞がる太助を無視して脇を通り過ぎた。

 意に介さないと言わんばかりの徹底した無視だ。

 あからさまな態度に教室内の温度が僅かに下がり、対照的に太助の温度が上がる。通り過ぎた菜穂子の肩を掴み、苛立った声が遠く離れた私にまで微かに届く。

「無視することないだろ。話くらいしてくれよ」

 菜穂子は怪訝そうに自身の肩を見て、強引に体を進めた。

 あくまで無視を貫く菜穂子に太助の手が離れる。菜穂子は太助を顧みることなく歩を進め、姿を消してしまった。

 教室内に白々しい空気が溢れ返る。

 高校二年生になれば少なからず男女交際というものを経験している。菜穂子や太助のように交際を公にするような付き合いは未経験としても、片思いする相手がいてアプローチを仕掛けたり、或いは失恋をしたり、誰しも恋愛沙汰を経験している。

 だからこそ、菜穂子と太助の動向は注目を浴びていた。

 特に、人の噂が大好きな女子からは一定量の興味を持たれていた。

 取り残された太助が苦虫を噛み潰したかのような顔で教室から出て行けば、潜められた声が届く。

「あの二人、もう終わりじゃん?」

「ってか、佐野さんの態度、酷くない? 完全無視だよ?」

「ちょっと前までは馬鹿みたいにいちゃいちゃしてたのにね。立花君、かわいそー」

「佐野さんが調子乗りすぎなんだって。付き合ってたのに無視とか最低でしょ」

「あはは、あんたは立花君の肩持ちすぎだって。好きなの?」

「そうじゃないけどさー、おかしくない? 見てて気分悪いよ」

「まあねー」

 潜められた声の主たちは私が立ち上がることで肩を震わせた。

 聞こえていないと思ったのだろうが如何せん、女子の声ってのは響くものだ。

「まあ、でもほら、私らが口出すことじゃないんだけどね」

 今更のフォローを無視して教室を抜け出す。

 菜穂子に太助、私が二人と仲が良いってのも公になっている事項だ。

 教室を出て、菜穂子と太助の空気に感化されていない騒々しい廊下を早足で進む。階段を下りて下駄箱へ至る前に太助の背中を見つけた。

「や、苦労してるみたいだね」

 背中をぽんと叩けば、太助は少し驚いた後、自嘲気味に笑う。

「ああ、水月か」

 教室内には私もいたというのに、今更気付いたかのような物言いだ。太助の頭はよっぽど菜穂子に占められているのだろう。

 同じ中学で三年間を一緒のクラスで過ごしたけれど、関係性は随分と変わってしまった。

 私と菜穂子は友達、それは変わらない。

 でも、菜穂子と太助は恋人になった。

 じゃあ、私と太助は何になったのだろう? それは僅かな驚きを見せた太助の態度に表れていた。

「菜穂子とは、まだ喧嘩中なんだ?」

 下駄箱に寄って生徒の雪崩をかわしながら問えば、太助が歯を噛み合わせる。

「らしいな、口も利いてくれないよ。なあ、あいつ、俺のことで何か言ってた?」

 肩をすくめて見せると、太助は苦々しそうに笑った。

 何も言っていなかったよ、何一つ。

 あいにくと言葉に出さずとも伝わったようなので口にはせず、代わりに菜穂子にも伝えた事柄を囁く。

「忘れたいほど嫌なことなら、忘れられる方法を教えてあげよっか?」

 まるで藁を見つけたように、太助の瞳が私を捉えた。

「忘れられる方法?」

 人は誰でも、忘れたい嫌な記憶を抱えている。

 どれだけ忘れたいと願っても、いや、願っているからこそ忘れられない記憶を持っている。

「嫌なことはね、燃やせば忘れられるんだよ」

 菜穂子にも伝えた手順を説明すれば、太助は半信半疑の様相を見せた。

 果たして立ち話で済ませた方法を太助が実行するかどうかは分からない。たかが喧嘩、されど喧嘩、何としてでも忘れたいと願って実行するかどうかは分からない。

 太助と別れて一人で帰宅し、机に向かう。

 机には灰皿が置かれてる。無論、高校生である私がタバコを吸うわけもない。

 この灰皿は忘れたい記憶の受け皿だ。

 ノートを破って黒のマジックで文字を記す。きゅっきゅと小気味いい音を響かせ、文字が形作られていく。

『私の中にある罪悪感を忘れたい』

 ノートを左手でつまみ、右手に握ったライターで火を点ける。四辺のうち一辺をあぶられた紙は瞬く間に炎を生み、炎は大きくなっていく。

 紙は丸まり、文字は炎に侵食されていく。

 左手に炎の熱を感じる。

 記憶の消去方法、嫌なことを忘れる手順、しかし絶対にやってはいけないことがある。

 それは単純明快、目に映るものを忘れてはならない。

 物や動物、或いは人、それらに起因する嫌なことを忘れるのは問題ない。しかし、物や動物、或いは人、それらそのものを忘れようとしてはいけない。

 何故?

 長年疑問だった事柄は菜穂子によって明かされた。

 ああなってしまうからだ。

 忘れた相手が存在しないかのように振舞ってしまう。だから決して、目に映るものを忘れてはならない。

 今にも落ちてきそうな灰になった紙を前に、私は笑いを抑えることができない。押し殺そうと頑張ったところで、肺から押し出された笑いがこぼれてくる。

 菜穂子は太助を忘れた。

 太助も菜穂子を忘れるかもしれない。

 口の端からこぼれだした笑いが嬌声となって室内に響く。

 ざまあみろ。

 私を蔑ろにした罰を受けろ。

 同時に、罪悪感が胸を締め付け、居た堪れない気持ちが涙を浮かばせる。

 酷いことをしてごめん。

 私を許して。

 そして落ちてきた灰を右手で受け取った時、私は嫌なことを忘れてしまっている。

 あれ、何を忘れたんだろう?

 笑いすぎて溢れた涙を灰まみれの手で拭う。

 何かを忘れた私は愉快で仕方がない。

 涙を拭いながら、私は笑い続ける。

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