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桜の花咲く頃

作者: 春野天使

藤田文人さんのネタを元に書きました。雰囲気を損ねてなければいいのですが……ネタ提供ありがとうございました!

 私が初めてあの子に出会ったのは、柔らかな風の吹く四月初めのある晴れた日。

 一年中のこの時期だけは、私は人々の注目の的となる。あちこちの桜の花は咲きほころび、人々は桜の木の元で酔いしれる。

 私は桜の木に宿る桜の精。海の見える丘の公園の片隅に、ぽつんと一本だけ植えられた桜の木。もう何年も昔から、この場所に佇んでいる。いつもは忘れ去られた存在だけれど、桜の花が咲く頃だけは、皆が私に注目する。いつもは知らん顔で通り過ぎる人々も、立ち止まっては眺めたり、私の元に座り込んでお弁当を広げたりする。

 私は、もう何十年も昔からこの場所に立っている。小さな公園が出来るよりずっと前からここで、人間達の姿を見続けてきた。どっしりとした幹、見事に張った枝、その枝の一つ一つの桜の花々が満開になる頃は、人々は私の存在に改めて気づき、感嘆の声を漏らしながら、桜の花に酔いしれる。毎日のように訪れ、写真を撮ったり、スケッチしたりする者もいる。

 しかし、一度として私の存在に気づいた者はいなかった。人々が関心があるのは、桜の花。桜の精の私は、一年中いつも桜の木に宿り人々を見続けているというのに。

 あの子に出会うまでは、私は忘れ去られた存在だった。そう、あの子に出会うまでは私はひとりぼっちだった……


 最初に出会った時、あの子はまだ六歳だった。小学校の入学式を終えて、母親の手に引かれながらこの公園にやって来た。初めて見かけた女の子だった。肩までたらした黒い真っ直ぐな髪を綺麗にとかしつけ、真新しい紺色のブレザーとスカート、胸元の赤いリボンが鮮やかにはえていた。

「綺麗な桜の木ね。ここで写真を撮りましょう」

 女の子以上におめかしした母親が、カメラを取り出す。

「さくら、桜の木の側に立って」

 母親は1人でクスリと笑う。

「あなたと同じ名前の木だから」

 さくらという女の子は、無表情のまま言われたとおり私の側まで歩いてきた。

「こっちを向いて。さくら、笑いなさい。あなたは滅多に笑わないんだから……写真に写る時くらい笑いなさい」

 母親はカメラのレンズから見ながら言う。しかし、さくらはニコリともしなかった。満開の私の元に来れば、大抵の人々は自然と笑顔になるはずなのだが……

(さくらちゃん、楽しくないの?)

 私は思わず女の子に向かって語りかけていた。何度も人々に声をかけ、私の声届くはずはないと分かっていたが。

「ちっとも楽しくない」

 さくらは私の方へ振り返り、小さい声でそう言った。不意をつかれ、私は驚いた。この子には私の声が聞こえるのだろうか?

「パパはいなくなっちゃうし、ここは全然知らない所だもん。前のお家に帰りたい」

「さくら、何ぶつぶつ言ってるの。こっちを向きなさい」

 母親が注意するが、さくらはカメラの方を向かなかった。

「あなたは桜の木さん?」

(そうだよ。私は桜の木に宿る桜の精。さくらちゃんには声が聞こえるの?)

「うん、私は蒼井さくら。桜の精さん、わたしとお友達になってね」

 さくらは、ほんの少しだけ口元を弛め。じっと私のことを見つめていた。

 後から分かったことだが、さくらの両親は離婚して、さくらは母親とこの町に越してきたばかりだった。


 さくらは、毎日私の元に来るようになった。桜の花が散って葉桜になっても、葉が落ちて枝だけになっても、枝の上に雪が降り積もるようになっても、私の元にやって来ては、色んな話をした。花の咲いていない桜の木に会いに来てくれるのは、さくらだけだ。 私は毎日さくらが来るのを楽しみに待っていた。もうひとりぼっちではない。

 さくらも私以外の友だちはいないようだった。さくらは、私には微笑みかけたくさん話をするけれど、普段は滅多に笑わない、無口で愛想のない子だった。

(さくらちゃん、学校では友達を作らないの?)

 私は、さくらが友だちを連れてきてくれることを期待したが、さくらは一向に連れて来なかった。

「学校では1人でいる方が好きなの。友だちはいらない」

(寂しくはない?)

「ううん、学校の子はみんな子供っぽいんだもの。わたしの友だちはあなただけでいい」 確かに、さくらは年よりずっと大人で、ちょっと変わった子だった。


 そんなさくらが、小学校五年の時、初めて友だちを作り私の元に連れて来た。9月、葉で覆われた私の枝も、もうじきその葉を落とそうする前だった。

「桜の精さん、友だちを紹介するわ。永久大地君よ。今日転校してきたばかりなの」

 大地という男の子は、きょとんとした顔をして私を見上げた。

「これ、何の木?」

「桜の木よ。今は地味なただの木だけど、春になったら綺麗な花を咲かせるんだから」

「ふ〜ん……」

 大地は大して興味なさそうに、もう一度私を見回す。賢そうな可愛い男の子だが、私はあまり親しみをもてなかった。

「桜の精さん、出てきて。大地君に挨拶してよ」

「桜の精?蒼井さん、誰に話しかけてるの?」

 大地は私からさくらに視線を移した。

「桜の木の桜の精さんよ。待ってて、もうじき声が聞こえてくるから」

「へぇ?ホントに?」

 大地は少し興味をそそられて、私をじっと見つめた。しばし、沈黙が流れる。

「桜の精さん、早く」

 さくらは私を催促したが、私は何も答えなかった。もし、何か言ったとしても、私の声は大地には聞こえなかっただろう。

「何だよ、何にも聞こえないじゃないか。つまんないの」

 大地はくるりと私に背を向けると、さっさと歩いて行った。

「待って、大地君!」

 さくらは私を残したまま、大地の後を追って行った。


「どうして大地君に話しかけなかったのよ。大地君に嘘つきだって思われたわ」

 次の日、さくらは私に文句を言った。

(大地君には私の声は聞こえないよ。みんながみんな私の声が聞こえる訳じゃないんだ)「でも、大地君はわたしの友だち。桜の精さんも友だちを連れて来てって言ったじゃない」

(私と心が通じ合わない限り、私の声は聞こえない。大地君は私のことに関心がないみたいだ)

「もういいわ!桜の精さんは大地君が嫌いなのね。友だちにはなりたくないみたいだもの」

 さくらは声を荒げてそう言うと帰って行った。さくらはそれ以来私の元に来なくなってしまった。私より大地という友だちを選んだのだろう。さくらに友だちが出来たのは良いことだ。だが、私はさくらを失ったようで寂しかった。


 さくらがまた、私の元を訪れたのは、小学校を卒業した三月の終わり頃。私の枝の蕾は今にも咲きそうな程に膨れていた。さくらは、もう一度大地を連れて私の所へ帰って来た。

「見て、もうすぐ桜の花が咲きそう」

 さくらは、蕾を見つめてニッコリと笑った。しばらくぶりに見るさくらは、随分女の子らしくなっていた。滅多に笑わないさくらだったのに、優しい笑顔が自然とこぼれている。私は嬉しくなり、さくらに声をかけようとした。

「ホントだ。この木って桜だったんだね」

 私の声は大地の声にかき消された。大地は以前ここに来たことさえ忘れているようだ。「大地君……」

 ふと、さくらは真顔になって大地を見つめた。

「何?」

「わたし達、中学は別々になるけど……休みの日には会いましょうね」

「ダメだよ」

 大地はあっさりと言った。

「僕の行く中学は進学校だから、蒼井さんと会ってる暇なんてない」

「でも……」

 さくらはかなりショックを受けたようだが、それでも微笑んだ。

「メールなら良い?わたし達友だちでしょ?」

「僕達、今日で友だちやめようよ。蒼井さんは中学で新しい友だちを作ったら良いよ。メールも送って来ないで」

「……」

 それ以上何も言えないで、さくらは立ちつくしていた。そして、初めて出来た友だちが去って行くのを黙って見つめていた。

「……友だちなんかじゃなかった」

 大地の姿が見えなくなって、さくらはポツリと呟いた。私に背を向けたさくらの肩は震えていた。

「もう友だちなんていらない……」

(さくらちゃん)

 さくらの悲しみが痛いほど伝わってきて、私は苦しかった。

(私を忘れないで、私はいつもさくらちゃんの側にいるよ)

「桜の精さん」

 振り返ったさくらの顔は、涙で濡れていた。

「……わたしのこと覚えてくれていたの?ゴメンネ、ちっとも会いに来なくて……」

 さくらの瞳から、どっと涙が溢れ出た。綺麗な涙だった。

(忘れるはずないよ。さくらちゃんは私の大切な友だちだから)

 その時、私の蕾の一つがはじけ、一輪だけ花を咲かせた。


 その日以来、さくらはまた毎日のように私の元に来るようになった。桜の花が満開になり、散り、葉が茂り、葉が落ちる……それを繰り返し、やがて時は過ぎて行く。

 紺色に白い線の入ったセーラー服を着たさくらは、グンと背も伸びて日に日に女の子らしくなっていった。相変わらず、1人でいることが好きなさくらだが、以前と比べると明るくなり、しっかりした考えを持つようになってきた。

 そんな中学三年生になったさくらが、寂しそうな顔をして私の元を訪れたのは、9月の初め、秋になりかけたある日の夕暮れのこと。

「桜の精さん……」

 赤く染まった太陽が、海の向こうに沈みかけて、さくらの姿も赤く照らしていた。目を伏せたさくらは、どことなくはかなげに見えた。

「……お母さんが入院したの。すぐに手術しなきゃいけないんだって……」

 さくらは、一生懸命涙を堪えている。

「わたし、ひとりぼっちになちゃう」

(さくらちゃん、大丈夫。さくらちゃんには私がついているから、ひとりぼっちじゃないよ。お母さんの病気もきっと良くなるから)

 さくらは、一筋涙を流して頷いた。

「うん……お母さんも心配するなって言ってたから。私は頑張って勉強して、高校受験するから」

 さくらは自分に言い聞かせるように、そう言った。

(さくらちゃんを応援しているよ。お母さんの病気も治るようお祈りしているからね)

 さくらはもう一度黙って頷くと、静かに微笑んだ。その顔には、力強さがみなぎっていた。さくらは芯の強い女の子、きっと大丈夫。私は心から願った。


 その年の暮れには、手術を成功させた母親が退院し、さくらは満面に笑みをたたえて報告に来た。そして、さくらは希望校に合格し、私が桜の花を咲かせる頃、さくらは高校に入学した。

 満開を過ぎた私の花が、そろそろ散り始めた時、さくらと母親は私の元にお花見にやってきた。シートを広げて腰を下ろし、手作りのお花見弁当を美味しそうに食べ始める。さくら親子がお花見に来たのは初めてのことだった。母親は楽しそうに笑っていたが、随分と痩せて弱々しく見えた。持って来たお弁当も、ほとんど食べてはいなかった。

「さくら、写真を撮ってあげるわ」

 母親はカメラを取りだし、私とさくらの写真を撮ろうとした。さくらが小学校に入学した日が、昨日のことのように思い出される。

「綺麗な桜の木ねぇ……さくら、笑って」

 今日のさくらは、ニッコリと微笑んだ。私の満開の桜の花よりも、さくらの笑顔は美しかった。

「わたしもお母さんを撮ってあげるわ」

 さくらは立ち上がると、母親からカメラを受け取った。

「わぁ、綺麗。桜吹雪」

 ふと、海からの風が吹いてきて、私の花を散らせた。

「お母さんも笑って」

 桜舞う木の下で、さくらは母親の写真を撮った。満開の桜の花、風に舞う桜が、母親の笑顔と共に写真に写った。


 さくらが撮したその美しい母親の写真が、黒い縁取りの遺影となってしまったのは、それから二年後。さくらが高校三年の十二月のことだった。

 さくらの母親は末期ガンで、最初の入院の時には、既に手遅れの状態だった。その後も入退院を繰り返したが、年明けを待たず帰らぬ人となった。

 年が明けて一月の終わり頃。私の枝にうっすらと雪の積もった凍り付くように寒いある日。さくらは、白い息を吐きながら私の元にやって来た。さくらはもう大人の女性のように見える。容姿だけではなく、内面から溢れる知性、意志の強さがさくらにはあった。

「桜の精さん、私、春になったらこの町を出ていくわ。母さんの故郷で一人暮らしをして大学に通うの」

 さくらには、悲しみを乗り越えた力強さがあった。それでも、ひとりぼっちになってしまったさくらのことが、私は心配だった。

(さくらちゃん、大丈夫?お父さんの所へ行った方がいいんじゃない?)

 さくらは首を振った。

「お葬式でお父さんに会って、お父さんにもそう言われたわ。……でも、私は1人で生きていきたいの。お母さんが残してくれたお金と私がアルバイトしたお金でなんとかなるから。大学生になってもアルバイトは続けるつもりよ」

(でも、ひとりぼっちは寂しいよ……)

 私も寂しかった。さくらが遠い所へ行ってしまう。

「大丈夫。わたしは小さい頃から1人が好きだもん。心配しないで、桜の精さん、毎年春になったら会いに来てあげるから」

 さくらを慰めるつもりが、逆にさくらに慰められた。私が人間なら、涙を流していただろう。……寂しいよ。さくらちゃん……


 その年の三月。

 今年も私の枝には、桜の花が咲き始めた。けれど、今年の桜の開花は、辛い。さくらとの別れの時がついにやってきた。

 花冷えのするある日の朝。大きな鞄を抱えたさくらが、私の元を訪れた。

「じゃあね、桜の精さん。来年、また桜の花が咲く頃、きっと会いに来るからね」

(さくらちゃん、さようなら。私のことを忘れないでね)

 私はようやくそれだけ言えた。

「うん、絶対忘れないわ」

 さくらは微笑んだ。ほっぺたが桜色に染まっている。

「綺麗な桜だなぁ」

 ふと、さくらの後方から若い男性の声がした。飾り気のない薄手のセーターを着た青年が、じっと私を見上げていた。

「こんな所に桜の木があるなんて知らなかったよ」

 誰に言うわけでもなく、1人で喋っている青年。私は不思議な親近感を覚えた。

(あなたは、この町に来たばかり?)

 私は、ふと青年に話しかけていた。

「そうだよ。先週越してきたばかりだ」

 青年はさくらの方を見て、そう言った。

「え?……」

 さくらは驚いて青年を見つめた。私もさくら以上にびっくりした。青年はきょとんとした顔で、さくらを見ている。さくらが話したと思っているのだろう。

「あなたも桜の精さんの声が聞こえるの?……」

 さくらはマジマジと青年を見つめる。

「桜の精?」

(そう、私は桜の木に宿る桜の精)

 不思議な顔をして桜の花を見上げている青年に向かって、私は声をかけた。

 彼の名前は、片桐洋介。私の声が聞こえる二番目の人間。さくらのいない間、私は洋介と話をすることが出きる。そう思うと嬉しかった。

「私は蒼井さくら。今日、この町を出ていくけど、桜の精さんをよろしく頼むわ。一年後、桜の花が咲く頃また帰って来るから」

 さくらは、洋介に話しかけていた。私が一目で洋介のことを気に入ったように、さくらも洋介のことを気に入ったみたいだ。

 連絡先を交換する二人。出会ったその日にお別れだけれど、遠く離れていても心は繋がっている。私とさくらのように。さくらは、決してひとりぼっちではない。

 一年後、私の桜の花が咲く頃、私とさくらと洋介は再会を約束した。春の風は別れと出会いを運ぶ。何かが始まりそうな予感に、私は心を弾ませた。  完

読んで下さってありがとうございました!

長い短編となりました…(^^;)さくらの成長を桜の精を通して書いてみました。短期間でパパーッ!と勢いに任せて書いてしまいました。やはり、短編は難しかったです。しかも、真夏に桜の花のイメージを浮かべるのは、なかなか厳しかったです。でも、真夏でも桜の木は存在しているので、近所の桜の木を見つつ、ああやっぱり春以外の桜の木は地味だなぁと実感したのでした!(^^;)

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― 新着の感想 ―
[一言] 季節の移り変わりの書き方が上手かったですね。 言葉の使い方も、分かり易く共感の持てるものが多かったので話により溶け込めました。 変わっていくさくらの心境も、違和感が無いのでとても良いです。 …
[一言] こんにちは僕一人と申します。 夏に書いたと書かれていましたが、冬場に読んでも乙でした。雪景色の中で花見をしているような…… 「何かが始まりそうな予感」いい言葉ですね。桜の花言葉になってもよ…
[一言] 素敵なお話発見(笑)!文章が綺麗で、最後まであきずに読めました。涙もろい私は、2回ほど目頭が熱くなりました(^_^;)ただ、少々盛り上がりに欠けるので、桜の精の孤独感やさくらの変わってゆく過…
2006/07/20 16:16 霜月 沙羅(W3166A)
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