第一話 神のうた
連載第一作です。”神”や”異世界”といったファンタジックな題材を、リアリティー重視で描きたいと思い、今作を投稿しました。なお、年齢制限を設けました、念のため。
鳥居の方から南風が吹いて煙草になかなか火がつかない。平日の昼間、社前は観光客と思われる老夫婦しかいない。老夫婦はベンチに座って、名物の餅を幸せそうに食べていた。俺は煙草を諦めてただ呆然とその光景を見る。そしてこの場所に帰ってきたことを深く後悔する。神など存在しなかった。それを痛いほど味わったというのに、何ゆえ此処にいるのか。
「だってやること無いんだもん」
平たくいえば、そう云うことだ。ただ俺は今日、"神"に呼ばれて此処に来たんだ。そんなぶっ飛んだ動機なんて誰も信じないだろう。だが、俺にとって信じるか信じないかはあまり重要ではない。
都内の大学院を辞め、親や恋人から見放された俺にとって、これから起こり得る事象はすべてプラスに変わる。これぞ究極のプラス思考、今の俺に怖いモノなんてない。
「ジュル…ジュルジュル…ジュル…」
鳥居の真ん前で抹茶シェイクを飲んでいる女と昨夜セックスした。その女は意気揚々、
「明日自殺するから、記念にエッチさせてあげる」
と駅前で彷徨く俺に話しかけた。こんな田舎でも美人局なんてあるんだな。俺は断わった、面倒くさい。「断る」「えー」「死ぬなら勝手にしろ」「じゃあ、冷夏のこと幸せにして」「やだ」「お金ちょうだい」「やだ」「壺買って」「やだ」「もうー、やだやだ男やだー」女はわざとらしく頬を膨らませた。そして俺の男性器をじろじろ見ていた。
「私、美人局じゃないんだけどなー」「わかった、千円やる」
俺は財布を鞄から出した。女は眼をキョロキョロさせた。「じゃあ、行こっ!」女は俺の手を引っ張った。なんだこいつ、痴女かよ。女の名前、鷹野冷夏。冷夏に生まれたからレイカと云うのだと説明された。歳は18歳、バストサイズはA。職業を聞くと「神」と答えた。バストサイズ以外、嘘だろうな。俺はどうでも良くなってきた。究極のプラス思考が発動する。
廃墟みたいなラブホテルに入ると、彼女はいきなり俺に抱きつく。そして、セックス。そして、朝。彼女の姿はない。俺は念のため財布を確認した。金、ある。見覚えのない紙、ある。その紙には「神宮で待ってる」と記されていた。俺は顔を洗い煙草を三本吸ってから、外に出た。朝日はひどく眩しく、潮の匂いが全身を蹂躙する。俺は駅前の売店で菓子パンとコーヒー牛乳を購入し、電車に乗った。最寄り駅に着くまでの7分間、懐かしい風景を見ていた。そして、現在。
「来てくれたんだね、嬉しい!」
素性のわからない女は俺に満面の笑みを見せた。
「ここで何をしている」「貴方は何をしているの」「俺は神に会いに来た」「じゃあ一緒に行こうよ」
俺と鷹野冷夏は鳥居を潜り、ザクザクと小石を蹴りながら境内に入った。小銭を賽銭箱に投げる。カラカラと澄んだ音が鳴った。手を合わせ目を閉じると、冷夏が口を開いた。
「神など存在しない」「いま、喋ってる」「私は神じゃない」「知ってる」「でも昔は神だった」「前世の話か」
「ううん」「じゃあ何ゆえ、神から普通の女の子になった」「この町を…この町の人々を…不幸にさせた」「ふーん」
メンヘラ構ってちゃんな彼女と正真正銘の精神病患者である俺との会話がつづく。
「この町は変わってしまった、私のせいで」
「お前の影響力半端ないな。でもな、何も変わってないぞ。一年ぶりに帰ってきた俺が言うんだから間違いない」
「貴方は変わった、不幸な人間になってしまった」「…」
はっきり言うなよ。
「でも俺が不幸になったことと、町が不幸になることは別だろ」
「いえ、この町に生まれしもの、それは町を構成する要素の一つよ」
「でも俺はお前のせいで不幸になった訳じゃない。それとも、風が吹けば桶屋が儲かる的にお前が俺を不幸にさせたとでも言うのかい」
「違う、貴方は根本的に間違った解釈をしている」
「はあ…」
「でも、貴方は私と同じ、だから安心して」
「どういうこと」
「貴方は神になれる、その素質を持っている。だから"貴方は此処に来た"」
「意味わからん」
「天野輝、貴方のために私はうたを唄う」
鷹野冷夏はいきなり唄い出した。その歌声は透明感があり綺麗だった。しかし、絶望的に【音痴】だった。いい加減、付いていけなくなり、俺は瞼を開いた―――
―――目の前に女はいなかった。
女どころか、人ひとり見当たらない。おまけに、景色が大きく変化していた。境内は、忘れ去られたように寂れていた。大量の樹木は、折れたり枯れたりしていて「御神木」とは程遠い姿に変化していた。空はどんよりと曇り、光は失われていた。どうやら、俺の精神は重傷レベルまで悪化したらしい。俺は長い夢を見ているのだ。精神病院の隔離病棟のベットで、四肢を鎖で繋がれながら。
「とりあえず腹減ったな」
俺は今朝購入した菓子パンを鞄から出して食べた。味がない、不味い。こんなに不味い菓子パン、初めて食った。とりあえず空腹を満たせればそれでいい、そう思い残さず食べた。
鳥居のある場所、つまり社前まで戻ってきた。社前は荒廃としていて、ベンチも喫煙所も消えていた。ただそこには一人、人間がいた。老人だ。よく見ると、今朝社前にいた老人だ。彼は何かを探していた。
「おまえさん、わしの女房を知らんかね」
「知らない」
「そうかい、呼び止めてすまんのう」
「いや、結構。それよりおじいさん、アンタは己が不幸だと思うかい」
「わしはいま、このときが不幸じゃよ」
「奥さんのこと、愛しているんだな」
「そうじゃよそうじゃよ、カヨ子はわしの生きがいそのものじゃ」
老人は入れ歯をむき出しにして笑った。
「わしはカヨ子が見つかるようにと、祈りに来たのじゃ」
「ふーん」
そう言うと、老人は俺の目の前で手を合わせた。突然、カヨ子という名の老婆のイメージが明確に俺の脳内に浮かぶ。この老婆は既に交通事故で亡くなっている。事故現場の片隅には、リボンで装飾された老人へのプレゼントが転がっていた。老婆の命日は老人の誕生日だった。
「カヨ子さん、貴方の女房はもう死んでいる」
「…」
「だからいくら探しても見つかるはずがない」
「…そうかい…」
「だから、もう家に帰るんだ」
「…」
「わかったか」
「カヨ子は…カヨ子は最期…幸せだったのかのう…」
老人は泣いていた。だが、そんなこと俺に聞くな。俺は神でも何でもない。
「わからない」
「そうかい…すまんのう…すまんのう…」
「わからない、だがカヨ子さんの幸福はおじいさんの幸福だ。だから、おじいさんが幸せであることを誰よりも願っている」
「うう…うう…じゃが、泣いてる場合じゃなさそうじゃな。わしの幸せは婆さんの幸せなのだから」
「気づくの遅すぎだぜ」
「情けないことじゃ…」
向かい合う老人と俺。
「ありがとうな、青年」
「ああ」
「お前さんに、これをやろう」
老人はゴソゴソと上着のポケットをま探る。
「何これ、切符」
行き先は神宮最寄り駅の隣りの駅だった。日付を見た。「**/**/**」、”今日じゃない”。だが今更日付が違うくらいで驚かない。
「カヨ子を探そうと買ったものだ、駅の場所はわかるじゃろ」
「ああ、でも、この世界に駅とか電車なんてものあるんだな」
「そりゃあそうじゃよ、わしみたいな老人でも利用しちょる」
「わかった」
「じゃあ達者でな、わしは境内へ行く必要がなくなったから、家に帰る」
「ああ、気をつけて」
俺と老人は別れた。老人は別れ際、俺に向かって手を合わせた。俺は”切符をもらったから”というロールプレイングゲーム的論理で、駅方面へと歩き出した。俺は鷹野冷夏に会ってから今に至るまでを思い出す。色々と不自然だ、頭が痛くなる。それらを一つひとつ考察する気はない、頭がおかしくなる。しかし、否が応にも推測できる事実が一つ或る―――。
【俺はこの世界の神だ】
どういう経緯で、神になったのかは分からない。鷹野冷夏のあの下手糞な唄のせいなのか、このカオスな世界がそうさせるのか、さっきの老人のせいなのか、それとも元々俺は神だったのか…。まあどうでもいい、俺は元の世界に戻ることができれば、神じゃなくてもいい。だから俺は一先ず、鷹野冷夏を探すことに決めた。あいつ何でも知ってそうだしな。といっても、彼女に関して、何の手掛かりもない。
しばらく歩くと、猫田彦神社と思われる場所から、青白い煙が舞っていた。俺はそこへと吸い込まれる――――――。
第一話「神のうた」END
☆物語の舞台となる町のモデルは、実際に ”神都” の異名をもつ町のことです