我が子を喰らう魔界神
残酷描写にご注意ください。
魔界も今でこそこのように荒れ果てておりますが、かつては緑が豊富で、高度な文明国家が存在する、楽園の様な世界でありました。しかし、それも昔のことであります。きっと貴方は、暇を弄ばれていると思いますから、ひとつ魔界がこのようになるに至った所以を語って差し上げましょう。
魔界の成立は創造主なくして有得ません。優れた御威徳の創造神があらせられましたからこそ、魔界はあのように豊かな世界であったのです。その創造主には、一人のお子様がいらっしゃいました。名はアリス。お二人は誰が見ても微笑ましいほどに仲の良い、素敵な親子でした。
主は凛として玲瓏。冬を思わせる美しい女性でありましたが、優美で柔らかな人となりで、お声は春を告げるように優しい方でしたから、誰からも慕われておりました。
アリス様は、お母様のご性格やお声を外見に宿されたのでしょうか。春の様な愛嬌のあるお子様で、年頃にご活発で朗らかでありました。夏の晴れ晴れとした空を彷彿とさせる、そんなかわいらしいお子様でした。
春は花を愛で、夏は皆で海山に遊び、秋は月夜を眺め、舌鼓を打ち、冬は懐かしみて歌を詠う……高貴で雅に四季を楽しまれる様は、今思い出してもほうっとしてしまうほどであります。
しかし、あれはお嬢様が、丁度十歳になられたかなられなかったかという頃でした。病を患われ、次第にそれが重くなって参りました。如何な薬草も魔法も、全く効果がありません。ただ徐々に活力が奪われ、生気を失う恐ろしい病でありました。主も何とかこの子をとご尽力なされましたが、ついにはむなしくおなりになられたのです。
主の絶望は余りあるもので、死後もお子様を土葬、火葬にせず、ただ近くにおいて毎日嘆き悲しんでおられました。如何といへど、死肉の腐らざることはありません。次第に腐臭が漂うようになってまいりました。それでも、主は決してお嬢様から離れようとはなされませんでした。
それからしばらく、秋の昔の空憎らしく、秋雨の悲しき調べに心陰鬱な夜に、お休みになられてくださいと主に申し上げようと参りましたとき。げにおそろしい惨状を見ました。
そこには、わが子を喰らう魔界神のお姿があったのです。
戦慄、微動だにすることもかなわず、ただ恐ろしくすくんでおりましたところ、くちゃり、くちゃりと音を立て、死肉をすする主は、おもむろに私を見て、恐怖の笑みを浮かべたのであります。
なんということでしょうか。あのお美しさがこれほどに恐ろしいとは。凛として玲瓏。されど残酷で狂気。魔王……まさしくあれは、魔王と表現するより他にありません。今思い出しても、身の毛がよだつほどです。
そうして、風がどこからかひゅうっと吹き、血生臭いにおいに一瞬うっと嫌悪したその直後には、ただ無残な死体が残されただけでありました。そのご遺体のなんとかわいそうなことか……目は抉り取られ、唇が噛み千切られ、首筋から脳をすったのでしょう、酷く喰らわれておりました。しかしそれ以上に恐ろしいのは、腹部の損傷で、あぁ、恐ろしい。確かに子宮が……
私はご遺体と、お嬢様が生前大切になされていた魔道書と、手慰みにお作り申し上げた人形の一つを持って、よく遊ばれていた白き花の美しき丘に埋葬して差し上げようと行きました。
秋雨は晴れましたが、霧が深く、むしろ恐ろしいくらいで、胸元にお嬢様のご遺体を抱えていることを思うと、一層背筋が寒くなりましたが、かといってあのままでは余りにもお可愛そうでありますから、何とか己を奮い立たせ、おぼろげなる月明かりを頼りにして歩みました。
このあたり、今は花も咲いてはいないだろうが、それでも春には咲いて汝ら、ともに弔えと思い、土を掘り、土葬致しました。懇ろにお祈り申し上げ、さて、帰ろうと思いあたりを見回すと、そこは見たことのない、いと霧深き森でありました。あぁ、なんということか。道を間違えてしまったのかと思いましたが、今更なんともし難く、諦めて帰って参りました。朝霧はまだ晴れず、されど朝焼けを伺う頃、戻り見た光景は、無残にも焼き尽くされ、滅び去った城の跡で御座います。きっと、魔王が、全てを滅ぼしたのでしょう。それ以降、魔界はこのように、何一つとしてない荒野になってしまいました。
魔界が消滅しないのは、どのような理由なのか私には存じませんが、恐らくはまだ、魔王が生きているのでしょう。ですが、どこにいるのかなどは分かりません。魔界から超越し、他の世界まで滅ぼさんと欲しているのやも知れません。それも推測に過ぎません。
しかし……母の愛とは、なんとも純粋で強く、そして恐ろしいものであります。私は子を持ちませんから分かりません。しかし、子を失って、なおも保つべき価値あるものは一つもないと、そう言っているかのように思えてならないのです。
あぁ、それにしても、恐ろしいことだ。まさか、死肉を喰らうなどとは。
『雨月物語』の『青頭巾』と、ゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』から着想を得ました。前から書いてみたいと思っていたのを、ちょっと時間があったので書いて見ました。