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義姫、影より語る

秋の空は薄く曇っていた。城山を取り巻く木々は、まだ色づききらぬ葉の端だけが黄を帯び、石垣の上を巡る番兵の甲冑が雲間の光を鈍く返している。


城門の内側は静かだった。怒号も笑い声もなく、足音だけが土と板の上を乾いた調子で行き交う。槍の穂先は僧衣の裾と、懐に抱いた文箱にだけ冷たく向けられているように見えた。


羽黒玄照は門の内で一礼した。門番は名乗りと用向きを受け、文箱を一瞥してから槍の穂先をわずかに下げる。声も動作も、すべてが抑えられている。


中門をくぐると、空気はさらに細くなった。庭の砂利はよく掃きならされ、踏むたびに同じ音が返る。植え込みの松は形よく刈られ、軒の裏や塀の角にだけ、人の気配が薄く貼りついている。


曲がり角を曲がると、ふっと香の残り香が流れてきた。寺で焚く沈香とは違う、軽やかな匂いだ。廊下の板には、まだ人の温度が残っている。障子の桟が一枚、風もないのに微かに震えた。


前を行く小姓が声を抑えて告げる。

「ただいままで、御屋形様がお通りでございました」


その言葉が消えると、廊下には香と板の軋みと、言葉の余韻だけが残った。案内の足が止まり、襖の前で小姓が深く頭を下げる。脇に控えた侍女が一歩進み出て、息を整える。


襖の向こう側の空気だけが、わずかに重く沈んでいる。庭の光は変わらないのに、畳の色が一段沈んで見える。文箱を捧げ持つ両の腕に、ほんの少しだけ重みが増したように感じられた。


静かな擦過音とともに、襖がゆっくりと開く。室内は薄暗く、障子から差す光は控えめだ。床の間の花も掛け物も色を抑え、そこに座する女の姿だけが、静かに場を支配している。


義姫は裾をきちんとまとめ、姿勢を崩さずに座していた。顔立ちに若さは失せているが、目の奥だけが油断なく光っている。玄照は畳の定められた位置まで進み、深く額を畳につけた。


「出羽羽黒山の僧、玄照にござります。最上殿よりの御意を奉じ、駒姫様御事につき、義姫様御前に参上仕り候」


義姫はしばらく返事をしなかった。香炉の煙が細く天井へ昇る。やがて、その視線だけを玄照に向ける。


「……駒の文を、お持ちか」


声は乾いていた。涙も怒りも、水気を捨てて久しい者の声である。


玄照は文箱を両手で捧げ、畳の定位置にそっと置いた。

「御辺御自筆の御文、たしかにお預かり仕り、本日に至りようやくお届け奉りました。中身につきましては、拙僧の口より申し上ぐる役目にはございませぬ。ただ、したためられました御心の重さのみ、お察し賜ればと存じ奉り候」


義姫は文箱に目を落とし、蓋の縁を指先で軽く打った。独り言のように呟く。


「兄も、よく筆を取ったものです。駒のことを文にするなど、本来ならしたくない仕事でしょうに。それでも書いたということは……まだ、この先を諦めてはおらぬのでしょう」


玄照は頭を垂れ、その声の平らさに耳を澄ます。義姫の口ぶりには慰めも責めもない。ただ事実を見据える冷静さがある。


ふいに義姫は話題を変えた。

「政宗のことを、お聞きになりたいのでしょう? 伊達の御屋形様の御心ばえと、最上殿のお心を。山の端に生きる身としても、見誤りたくはございませぬ」


玄照が頷くと、義姫の口元に笑みとも溜息ともつかぬものが浮かんだ。彼女は淡々と語り始める。


「政宗は、鋭い子です。幼い頃から人の顔と心のずれをよく見ておりました。笑っている者がどこで歯を食いしばっているか、黙っている者がどこで刃を研いでいるか。そういうものに勘がよい子でした。だからこそ、人を試す。家臣も、敵も、母も」


その声音に誇りも嘆きも混ざらない。玄照には、それがかえって重く響いた。


「戦はうまい。運もある。豊臣の世が揺らげば、いち早く次を見に行くような子です。ただ、そういう者のそばにいたいと望む人間は、多くはありません」


玄照が最上の殿について問うと、義姫は少し遠くを見るように答えた。


「兄は慎重で、よく考える人です。若い頃から伊達にも上杉にも呑まれまいと、一歩引いて世の流れを見ておりました。城を一つ預かるとは、そういうことだと早くから弁えていた人です。腰が重いと見る者もありましょうが、兄は血の色を長く覚える人。一度流れた血を背負うのは自分だと知っている。だから、最後の一足を出すまでに時間がかかる」


義姫は香炉の煙を見つめ、続ける。


「政宗は記憶を抱えつつも、歩みを止めはしない。それを冷酷と呼ぶか、覚悟と呼ぶかは、人の側の勝手です」


玄照は言葉を探し、やがて口を開いた。

「柱と、風のようなものでございましょうか」


義姫は軽く首を傾げる。

「兄・義光は家を支える柱のような人。根を張り、動かず、上からの重みを受け続ける。政宗は風。形なく掴めず、吹けば何かを動かし、時に壊す。柱だけでは世は変わりませんが、風だけでも家は建ちません」


声は終始平らだ。義姫は続ける。


「どちらがよいとも申しません。ただ、あなたがたのような方々は、どちらの傍に立てば長く生きられるかをよくお考えになるとよろしい」


その視線が玄照を真っ直ぐに射た。玄照は合掌の指先に力を込める。

「柱と風、そのあいだに立つは、たやすきことにあらずと、肝に銘じまする」


義姫はわずかに目を細め、静かに言った。

「柱と風のあいだにおられる方々は、たいへんですね。折れず、飛ばされずにお帰りなさいませ」


それは、下がれという合図でもあった。玄照は文箱を置いたまま額を畳に近づけ、辞する礼をとる。襖が静かに閉じる直前、義姫の姿は香の向こうに溶けていった。


廊下に出ると、空気がわずかに軽くなった。庭から吹き込む風が障子紙を薄く押し、竹垣の向こうで小鳥が一声だけ鳴いた。それきり、また静けさが戻る。


同じ廊下でも、足音の響き方が違って聞こえた。義姫のいる一間を背にして歩き出すと、板の軋みはたちまち他人の城の音に戻っていく。文箱の重みだけがそこに置き去りにされたことを、腕の軽さがはっきりと告げていた。


玄照は心のうちでひとことだけ結んだ。

柱も風も、こちらを顧みはしない。されど、そのあいだに立つ石ころひとつが、路をねじ曲げることもある――。


その思いを胸に押し込み、玄照は静かに城の奥を辞していった

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