玄照、義光の前に、立つ。
第二話です。
山形城の土塀は夕焼けに染まっているが、どこかすすけて見えた。城下のざわめきの向こう、建設中の専称寺の屋根がむき出しの木肌をさらしている。専称寺――駒姫(義姫)の菩提を弔うため、義光が天童・高擶から移してきた寺だ。
羽黒宵一は虎口をくぐり、その屋根をちらりと見上げた。京から戻って数日。住職から聞かされた話はあったが、義光と向き合うのはこれが初めてだ。胸の奥に押し込んだ記憶が、歩幅ごとに重くなる。
「殿が、お前に直接話したいそうだ」側近の声が低く響く。書院の前で小姓の頭が下がる。襖を開けると、義光が座していた。背筋は変わらず伸び、畳の前には刀と数珠が静かに置かれている。刀の冷たさと数珠の温もりが、これまでの道行きを象徴しているようだった。
「遠路、ご苦労であったな」義光の声はいつになく柔らかい。宵一は膝をつき、頭を下げる。
「申し訳ございませぬ」
その一言に、京でのすべてが籠もっていた。宵一は短く、しかし鮮烈に語った。三条河原の泥、叫ぶ女たち、駒姫の白い顔――その一瞬を切り取るように。義光は目を閉じ、拳を畳に押し付ける。指の節が白く浮いた。
「駒は、戻らぬ」
その静かな宣告が、宵一の胸を深く締めつけた。言葉は短いが、重さは計り知れない。
義光は前に置いた数珠を指で押し出した。動作は静かだが、そこに決意がある。
「宵一。お前の足はこれまで血の中を走ってきた。だが、これから先、その足をどこに向けるかはお前次第だ」
宵一は数珠を見下ろす。木玉には小さな傷があり、その傷に義光の迷いと決意が刻まれているように思えた。
「山形に専称寺を移す。駒姫の菩提のためだ。わしはそこで乗慶に帰依するつもりでおる」
「存じております」
義光は言葉を切り、宵一をまっすぐ見据えた。
「お前にも、その寺に立て。忍びとしてではない。わしの娘を失ったこの出羽の行く末を、少しでも良く導くための――忍び僧としてだ」
義光は数珠を差し出した。所作は簡潔で重い。
「名をやる。羽黒玄照。闇を知りながら世を照らす者の名だ」
その名は、紙に書かれた文字より重かった。宵一は息を呑み、胸の内で古い影と新しい光が交差するのを感じた。
義光はさらに言葉を続けた。
「だが、まずは諸国を巡れ。仙台に限らぬ。政宗の動向を探り、各地の風を聞け。表向きは慰問と殿の手紙の使者として振る舞え。遺族や関係者にわしの言葉を伝え、城の意を示せ。だがそれだけではない。人の動き、旗の色、酒席の相手――所作を見て回れ。言葉より所作を見よ」
義光は短く間を取り、畳の上の刀に視線を落とした。
「そして、わしからも僧に偽装した羽黒衆を各地に送り、連絡を取り合う。お前はその中心となれ。必要ならば密を取り、合図を交わし、帰って来て報告せよ。お前の足はまだ使える。まずは諸国で風を聞け」
刀を畳に置く義光の所作が、命令の重さを際立たせる。
「殿、諸国を巡るにあたり、特に留意すべき点はございますか」
「人の顔と手つきと、酒の席の配置だ。表の言葉は飾りだ。裏の所作が本心を示す。お前はそれを見抜ける。必要ならば、僧に偽装した者たちと合流し、情報を繋げ。寺に立つのはその後でよい」
宵一は数珠を両手で包み込み、深く頭を垂れた。
「承りました。諸国の風を聞き、殿の言葉を届け、羽黒衆と連絡を取りながら報告して参ります」
義光は満足げに頷き、畳の上の刀に手を伸ばした。
「これは預かっておこう。いずれ、お前が本当に数珠だけで事を成せるようになったとき、返してやる」
「案外、すぐかもしれぬぞ」義光は薄く笑った。その笑みに、覚悟と諦念が混じる。
書院を出ると、山形の空は薄暮に沈みかけ、専称寺の屋根越しに一番星が瞬き始めている。宵一は懐の数珠を握り締め、短く息を整えた。忍びとしての影は簡単には消えないが、闇を知る者にしか見えない光もきっとある。
「羽黒玄照、か」小さく呟き、宵一は城下へ歩み出した。足音はこれまでと同じ静けさだが、向かう先は諸国へと定まった。風を聞き、慰めを届け、殿の手紙を託し、羽黒衆と網を張る旅は、今、始まったばかりだ。




