弥生 啓蟄 ワケギ(後編)
「うちはちょっと他の店と違うて……わしが勝手に雇えんけぇ」
「なにそれ。オジサン、店長じゃねぇの?」
高校生の目が鋭さを増す。
「店長じゃけど、この店を仕切っとるんはわしじゃないんよ」
「オーナーがいるってこと?」
「ま、そんなとこじゃ」
「じゃあ、そいつもそのオーナーが雇ったってこと?」
「そうじゃ。わしもこいつも雇われの身じゃけぇ」
「じゃあ、オーナーに言ってよ。面接してって」
「な、なんで……ここで働きたいんですか?」
僕は勇気を出して高校生に訊いてみた。
この店は普通じゃない。
ここはお勧めしない。
でも、それを客に言ってはいけない気がした。
見えないけど、きっと今も神様が僕らを見ている。
「このオジサンだったら俺を雇ってくれそうだったけぇ」
高校生はそう言ってチラ、と一瞬僕を見て、視線を手元に落とした。
「俺って見た目がこんなじゃん? じゃけぇ、髪黒くして服もきちっとしたって……どうせどっこも雇ってくれんけぇ。オジサンもホンマは俺を雇いたくなくて、オーナーとか言うとるんか?」
そう言って顔を上げた高校生の目は怒りに満ちていて、凄みを増していた。
「わしがあんたを雇わんのはこの店があんたに向いてないけんじゃ。あんたがこの店に、じゃないけん、意地悪で言うとる訳じゃない。それにあんたは今、客じゃけん、面接はせん。食事をしんさい」
そう言って店長は料理を盛り付けた皿を差し出した。
ごま油の良い香りが店いっぱいに広がっている。
それをじっと睨みつけつつも不服そうに受け取って、高校生はおしぼりで手を拭いて箸を取った。
「辛子酢味噌和え、肉巻き、チヂミの三種盛りじゃ」
店長は簡単に料理を説明した。
ぬたしか思いつかないと言っていたのにぬたが入っていない。
辛子酢味噌和えは茹でたワケギを一株ずつ、葉の部分を根元に巻き付けてある。
綺麗に並べられたワケギの上に辛子酢味噌がかけられているので、正確に言うと『和え』ではない気がする。
肉巻きはワケギの束を豚肉で巻いて、一口大にカットされていた。
店内に広がるごま油の香りはチヂミだろう。
四角くカットされていて、糸唐辛子がかかっていた。
「ネギみたいじゃけど、ネギより食べやすいじゃろ」
店長が声をかける。
高校生は無視して黙々と食べている。
「見た目はネギと変わらんが、同じ料理をネギで作ったら辛味があって味は全く違うで。ワケギじゃけぇ、この味になるんで。あんたも見た目でちょっと損しとるが、中身を知って貰うたら相手の見る目も変わるんじゃないかねぇ?」
店長の言葉に高校生は箸を止めて顔を上げた。
「俺だって何もせんかった訳じゃない。髪も黒くしたし、ピアスも外した。でも、目つきが接客向きじゃないとか、高校生は雇わんって言いながら、次にその店の前通ったら高校生が働いとったし」
「……そもそもなんでそんなにバイトしたいん? まだ高校生じゃろ?」
「……うち、母子家庭でさ。学費とかのために母さんは朝から晩までいろんなパート掛け持ちしててさ。俺も高校生だから働けるじゃん。でも、どこ行っても雇ってもらえんで……俺、小学生の頃から喧嘩強くてさ。なんとなく強い奴とつるんでたら、こんな感じになって、勉強すんのはダサいみたいなのがあって……今更真面目になんかできねぇし、学校の奴等も俺に学校にいて欲しくないってのが……なんとなく雰囲気とかで分かるじゃん? だからさ、高校出たら働こうと思ってるけど、バイトすらできないんじゃ就職なんて無理じゃん。じゃけぇ、どうしていいか……一体俺にどうせぇって……」
語尾は怒りで震えているように感じた。
「これは茹でただけじゃ、こっちは肉で巻いて焼いただけ。そしてこれはいろんな具材と一緒に混ぜて焼いとる。どれがあんたの好みじゃった?」
店長が不意に料理を指さして言った。
「あ?」と高校生が店長を睨みつける。
けれど、店長は笑って「どれ?」と再度訊いた。
「……全部美味かったけど、一番はチヂミかな?」
眉間に皺を寄せたまま、高校生がそれでも素直に答えた。
「チヂミかぁ……辛子酢味噌の、これのネギバージョン、一つ食べてみんさい」
思惑が外れたのか、店長はそう言って皿に一つ、ネギで作った同じ物を載せた。
「んっ……なんかクセがある」
一口に食べた高校生は眉間に皺を寄せ、不味そうな顔をした。
「じゃろ? 見た目はほとんど変わらんのに、全然違うじゃろ? この料理に合うんはワケギじゃあ思わんか?」
「思う」
「なんにでも向き不向きはある。さっきも言うたが、あんたはこの店に合わん。合わんところにおったら、そりゃ嫌な思いをする。このネギだって他の料理になっとったら美味しいって食べてもらえとったのに、今はあんたにそんな顔されとる。あんたも焦って無理して自分に合わんことしとるんじゃないか?」
「俺は別に。俺の場合は見た目がこんなだからで……」
「その見た目が気に入っとるんか? そうせんといけんって勝手に思っとるんじゃないか?」
「髪とか服装とかじゃなくて顔が怖いって……」
「そりゃ、そんな睨んだりしとったら誰でも怖いわ。この店入って来てからまだ全然笑った顔見とらんで。目は口ほどに物を言うって知らんか? 黙っとっても目とか仕草や態度から醸し出す雰囲気っちゅうんがあるけぇね」
店長が笑顔を向けると、高校生は不服そうに店長を見上げた。
「笑えって言われてもすぐに笑えるかよ」
そう言って再びチヂミを頬張った。
「無理して笑わんでもええ。ただ口角を上げるだけでも違うで。その眉間の皺も伸ばして」
ニッと店長は笑って自分の眉間を指さした。
「そういや今、ちょうど『わけぎ祭』をやっとるんじゃなかったかのう?」
フッと思い出したように店長が視線を斜め上に向ける。
「ここ尾道はワケギの生産が日本一じゃけぇ。それで旬の今の時期じゃった思うが、イベントやっとったはずで」
「祭って具体的に何するん?」
「どっかの会場で開催されるんじゃのうて、参加店舗が祭の期間にワケギ料理を特別に提供するんじゃったような……? 和洋中、いろんな料理があって面白い思うで。和の食材じゃけど、どんな料理にも合うけぇね」
「尾道で日本一のもんが作られとるって知らんかったわ」
高校生はそう言って食べ終わった皿を見つめた。
「しかもワケギは縁起物なんで。一個の球根からたくさん増えるけぇ、子孫繁栄や子供の成長を願いが込められとるんよ。昔から縁起物を旬に食べるとええ言うけぇね」
「この店は祭に参加せんの? こんだけワケギ推しなのに」
「うちは……その祭には合わんけぇ」
「こんだけワケギ食わせといて合わんって……」
「向き不向きがあるっちゅうたじゃろ。うちは『違う』けぇ」
高校生は店長の言葉に首を傾げながら席を立った。
「ま、よう分からんけど、なんか話したらスッキリしたわ。ワケギも美味かったし。で、幾ら?」
ポケットから財布を出す高校生に店長はニッと笑んだ。
「『ごちそうさん』言うて笑ってくれたらそれでええ。金はいらんよ」
「あ? なんだよ。金取らんってマジ?」
高校生は店長を見、次いで僕を見た。
「え、マジで金いらんの?」
「はい。うちは誰からもお代を頂いてません」
僕がそう言うと、驚いた表情で僕と店長を交互に見た。
「え、じゃあまた来ていい?」
「あんまりうちには来んほうがええんじゃが……まあ、来てしもうたら全力でもてなしちゃるよ」
店長が笑うと、高校生は眉間に皺を寄せて変な人を見る目で僕らを見た。
が。
「変なの」
そう言って苦笑した。
苦笑いだったけど、店に入って来た時の怖い顔は消え、笑った顔は優しく見えた。
「ごちそうさまでした」
高校生はそう言って僕らに向かって丁寧にお辞儀をした。
その瞬間、何かが床に落ちたので近くにいた僕が拾う。
『虎田』と書かれた名札だった。
怖い印象が虎に重なる。
「お、ありがとう」
渡すと高校生は笑みを見せて受け取った。
「こ、こちらこそありがとうございました」
僕は店を出て行く高校生を見送った。
久し振りに店の外の風景を見た。
前回の牛尾さんの時は外を見る余裕はなかったけど、今回は入口で見送れたので外をしっかり見た。
晴れた空に雲一つなく。
どこまでも空が広がっていて。
その下に尾道の町並みが広がっていて。
そして、海が僅かに見えた。
店はこんな坂の上にあったんだ。
ここに来た時は住所を頼りに迷いに迷ってて、坂を上って来たという感覚は薄かった。
坂の上から見る景色はとても気持ち良かった。
出られるんじゃないか。
そんな気がして、一歩、外に出ようと足をそっと出す。
が、何かが足にぶつかる。
透明な壁があるみたいにやっぱり外には出られなかった。
「わしはまたちょっと消えたで」
店長はニッと笑って僕の隣に立った。
「僕はっ?」
「全然薄くもなっとらんな。接客らしい接客しとらんかったじゃんか」
まあ、確かに。
今回は最初から諦めてしまったし。
「そこで今日あんた見とって思ったんじゃが……話しかけるだけが接客じゃないで。茶のお替りを勧めたり、荷物はこっちへ置いてくださいとか、なんかあるじゃろ。客が気持ちよく食事できるようにするんが接客じゃけぇね」
なるほど。
次はそういうことを頑張ってみよう。
僕はそう決意して、外の世界をしばし見つめていた。




