弥生 啓蟄 ワケギ(前編)
三月。
再び客が来る十二日の前日。
夕食後に僕は店長に接客の極意を訊いてみた。
「極意言われてもなぁ……」
店長は両腕を組んで困ったように天井を仰いだ。
「ま、慣れじゃ」
そう言って僕の頭をぽんぽん、と叩いて「頑張り」と言われた。
僕が聞きたいのはそういうんじゃなくて。
「なんかコツとかないん? なんかこう……上手く話すコツとか、なんか誰にでも通用する話題とか」
「なんかなんか言われても、そんな一朝一夕でどうにかなるもんじゃないけぇ。こういうんは場数踏んで慣れるしかないけぇ」
「場数って月に一人しか接客せんのに、踏んどる間に爺さんになるじゃん。早うこっから出て手紙届けにゃいけんのにぃ」
「そがぁなこと言われても、口で説明してできるんじゃったら、とっくに教えとるわ」
店長は面倒そうにそう言って、「風呂入って来る」と逃げた。
外に出られず、店長と常に二人きりの生活にも大分慣れ、僕も広島弁がちょいちょい出るようになっていた。
店長の広島弁はどちらかと言うと結構上の世代が使うような訛りがキツいもので、そのせいか僕もつられて出るようになった。
ドラマとかだと若い人が自分のことを『わし』って言ったりするけど、あの歳で言う人は地域性もあるかもしれないけど、僕が知る限り少ない。
「もしかして人間じゃないのかも」
神様がやってる店の店長なんだから、妖怪とか神様のお遣い的な何かなのかもしれない。
そう考えると、店長が歳の割に年寄り臭いのも妙に納得できる。
あの見た目で実は中身は百歳を超えてたりして。
そういえば、店長が作る味噌汁には油揚げが入っていることが多い……気がする。
まさか店長は……狐、とか?
そんなことを考えていたら、なんだか急に店長が怖くなってきた。
「まだ店におったんか。風呂上がったけぇ、入って来んさい」
不意に声をかけられ、思わずビクッとなってしまった。
そんな僕に「なに驚いとるんじゃ」と店長は笑った。
その顔が狐っぽく見える。
「明日は緊張すな言うても無理じゃろうけぇ、首のことは気にせんこう、力抜いてやりんさい」
優しい言葉に僕は少し複雑な気持ちになる。
店長も僕もこの店に囚われた同じ境遇の人間だと思ってた。
でも、もし店長が人間じゃないとしたら、僕に優しくしてくれる理由は何だろう?
「……接客のことじゃけどな。わしの場合はここに来てから話し相手っていやぁ、月に一度来る客だけじゃったけぇ。それでなんでもええけぇ、よう喋ってしまうんよ。あんたが来てから常に話し相手ができたけぇ、寂しゅうはのうなったが……それでもやっぱりなんか言うたら返事があるんはええな」
僕が黙っていたら、店長はさらにそう言って励ましてくれた。
確かに僕がここに来るまでは店長はずっとこの家に一人だった訳で。
外にも出られないし、テレビもインターネットもないから誰とも繋がることができなかった訳で。
それがどれ程の孤独だったか、想像できる。
僕は三年間、部屋に引きこもっていたけど、家の中には親がいた。
直接話すことはなかったけど、ドア越しに話しかけられたり、メールしてくれたり。
人の存在を感じられた。
でも、ここは本当に人の気配がない。
家の中に誰もいない状態だったら、僕は引きこもりを続けられただろうか。
誰とも繋がりたくない。
そう思って引きこもっていたけど、孤独になりたかった訳じゃない。
ただ一人になりたかっただけだ。
それは他人には同じことのように思えるだろうけど、僕にとっては全然違うことだ。
「お風呂、入って来る」
僕がそう言うと、店長は「おう」と頷いて、一緒に二階へ上がった。
翌日。
お昼時が近づくにつれ、僕は檻の中のライオンのように店内を無駄にうろついた。
いや、僕の場合、ライオンというより……ネズミかも。
店長は相変わらず普段通りに落ち着いていて、食材を前に腕を組んで考え込んでいた。
今朝、台所に現れた食材は。
ワケギだった。
僕にはネギにしか見えなかったけど、ネギとは違う物らしい。
「簡単に言やぁ、ネギと玉ねぎの間みたいなもんで、ぬたにして食べることが多いんじゃが……ぬただけ出す訳にもいかんし……どがぁしょうかぁ」
そう言って悩んでいる様子だったが、少しして料理を始めていた。
そして。
ガラッと勢いよく店の戸が開き、入って来た客は。
背が高くて、髪はグレーっぽくて、ピアスしてて。
目つきが鋭い強面の、高校生だった。
「いらっしゃい」
店長が声をかける。
が、僕はその見た目に一瞬、ビビッて声が出なかった。
今日こそは接客を頑張るぞ、と気合を入れていたのに、無理、と速攻で心が折れた。
高校生は黙ってカウンターのど真ん中に座り、店内を見回して。
「メニューは?」
僕にそう訊いて来た。
「うちはメニューないんよ。今日はワケギ料理じゃけど、ええ?」
僕が答えられずにいると、店長が代わりに答えてくれた。
「ワケギって何?」
「ネギみたいなもんじゃけど、ネギより柔らこうてクセもないし、辛味も少のうてどっちか言うたら甘みがあるけぇ。それを今日はチヂミやなんかにしよう思うとるんじゃが」
「ふぅーん。ま、それでええわ」
高校生は素っ気なくそう言って、スマホをいじり始めた。
が、すぐに「圏外かよ」と舌打ちをしつつ、けれどまだスマホをいじっていた。
「お茶とおしぼり」
店長に小声で言われ、僕はハッと我に返る。
小さなお盆に熱いお茶と温かいおしぼり、それと箸を載せ、おずおずと出した。
僅かに手が震える。
それを横目に見た高校生はスマホから顔を上げ、僕を真っ直ぐに見上げてきた。
「あんたも高校生?」
問われて、小さく頷く。
「この家の子? それともバイト?」
「……バ、バイトです」
事情を説明する訳にはいかないので、その二択ならバイトと答えるしかない。
すると、高校生は僕を頭の先から爪先までじっくり観察するように見た。
それから店長の方を向いて。
「オジサン、やっぱ飲食だと髪黒くせんといけん?」
そう質問した。
「うちはそんなん気にせんけど、一般的にゃ食事を提供するんじゃけぇ、清潔感は大事じゃろうね」
「清潔感……って、俺の場合はどうしたらええ?」
「ほうじゃのう……髪と爪は短こうして、服もキチッと着るだけで印象変わるじゃろな。そのダブダブした服は料理したり、食事運ぶのに邪魔んなるじゃろ」
高校生は下は制服だったが、上は黒のオーバーサイズのパーカーを着ていた。
「じゃあさ、言う通りにしたらここで雇ってくれる?」
その質問に僕も店長も眉間に皺が寄った。
もしかして、客じゃなくてバイトの面接に来た?
そう思ったからだ。




