第8話『満了の日、別れを告げるその声は』
秋が深まるロゼリア王立魔法学園。
中庭の銀葉が色づき始め、生徒たちの制服も冬用に変わっていた。
カイ・クロスは、講師棟の窓際に座りながら、静かに紅茶を啜っていた。
(……もう一か月か)
ふと、自室の壁にかけられた日めくり暦に目をやる。
そう。あれから、ちょうど1か月が経った。
ルーティア・フォン・ヴァレンシュタインとの“仮の恋人契約”。
王子との婚約破棄の火消しとして始まった関係。
期間は、1か月限定の取り決めだった。
◆◇◆
その日、いつものようにカイは授業を終え、校舎の渡り廊下を歩いていた。
ふと振り返ると、かつてよく顔を見せていた少女――
フィリア・エストレアの姿がない。
最近、彼女はめっきり顔を出さなくなっていた。
以前はよく、質問と称して放課後に実験室へやってきた。
熱心に魔法陣の理論を尋ね、ノートを片手にカイへと食いつくように学んでいた。
だが、数日前、廊下の陰で偶然見かけたとき、フィリアは王子――レオン・アーデルハイトと一緒にいた。
「フィリア。あの教師の元に近づく必要はない。……俺が、直接教える」
「……はい。レオン様がそうおっしゃるなら、私は……どこまでも、ついていきます」
それきり、彼女は二度と現れなかった。
(……やっぱ、そうなるか)
カイは、どこかで分かっていた。
彼女の視線が、最初から自分には向いていなかったことを。
そして、別にそれで構わないと思っていた。
関わりすぎるつもりはなかったから。
◆◇◆
夜。教師寮の灯がほのかに灯る頃。
カイの部屋の扉が、三度、コンコンコンと静かに叩かれた。
「ん? 空いてるでー」
ゆっくりと扉が開き、そこに現れたのは、予想通りの人物だった。
ルーティア・フォン・ヴァレンシュタイン。
淡いラベンダー色のガウンに身を包み、どこか張り詰めた表情で立っていた。
「……久しぶりね」
「やな。1日ぶりくらい?」
「……冗談言わないで」
カイは苦笑しながら、机の横の椅子を指差す。
「どないしたんや。今日は、なんや真面目な顔してるやん」
ルーティアはコートを脱ぎ、静かに腰を下ろした。
そして、視線をまっすぐにカイに向けて告げた。
「カイ。……“仮の契約”、今日でちょうど1か月よ」
「……うん」
「だから、正式に……ここで、契約終了としたいと思うの」
カイは、頷いた。
「そっか。……まあ、予定通りやな」
「……うん。予定通り」
2人の間に、妙な間が空いた。
その沈黙が、どこか居心地悪く、そして惜しくもあった。
「この一か月、思ったよりも……楽しかったわ」
ルーティアがぼそりと呟く。
「最初はただの“カバー要員”でしかなかった。だけど……」
カイは、黙って耳を傾ける。
「あなたがアメを差し出してくれたり、関西弁で適当なことを言ったり、魔法が使えなかった子を励ましてたり……」
「……ほんとに、全部“自分らしく”やってたのね」
「ワイはな、よう言われんねん。“真面目そうに見えへんけど、中身がガチの教師”やって」
「ふふ……納得」
そう言って笑ったルーティアは、どこか寂しそうやった。
「でも……私は、これ以上、一緒にいたらダメな気がするの」
「ん?」
「……自分が、自分じゃなくなりそうで。気持ちの整理がつかなくて」
「……」
「だから、終わりにするの。私自身のために」
その言葉には、一切の嘘がなかった。
けれど、それでも、ほんの少しだけ揺れていた。
カイは静かに立ち上がり、部屋の棚から飴の入った小瓶を一つ持ってきた。
「ほな最後に、恒例の“契約終了アメちゃん”や」
「……何それ、そんなの初めて聞いたんだけど?」
「ワイが今作った。世界で初や」
「……ほんとに、あなたって、何者なのよ」
ルーティアは、笑いながら飴を受け取った。
けれどその手は、ほんの少し、震えていた。
別れ際。
ドアの前で、ルーティアは振り返った。
「……カイ。私はもう“恋人”じゃないから、これからは……普通に接するわ。教師として、友人として」
「ええよ。ワイは変わらんからな。教師で、アメちゃん配る変なやつのままや」
「……うん。知ってる。じゃあね」
扉が閉まり、静寂が戻った部屋の中で、カイはしばらく天井を見つめていた。
(“仮”の関係やったはずやのに、なんでやろな。ちょっとだけ……胸のあたりが、寒い気ぃするわ)
一か月前と、同じように始まった日常。
けれど確かに、もう戻らない何かが、そこにはあった。




