第19話『もう遠慮はしないわ! 奥様気分の令嬢』
王都学舎の朝は早い。
けど関西人の朝はもっと早い。
なぜなら教卓の引き出しに忍ばせたアメちゃんの在庫確認があるからや。
(これが切れると授業が回らんのや……国家的インフラやで、アメちゃんは)
教室のドアを開けた瞬間、視線が一斉に集まった。
新しい噂の種なんぞいくらでも転がっとる学舎やけど、最近の主役は決まってる。
「カイ先生」と「その奥さ……令嬢様」や。
「おはようさん、
今日は“魔力の揺らぎ入門”や。
先着二十名は――」
「はい、先着二十名は“私”が配るわ。
整列なさい、列は二列よ、押さないで」
かぶせ気味に高らかな声。
ドアをすべり込むように入ってきたのは、真紅のリボンが朝日を弾く公爵令嬢ルーティア・フォン・ヴァレンシュタイン。
開幕十秒で教卓の引き出しを迷いなく開け、アメの瓶を抱え込み、にこり。
その笑顔は優雅やのに、やってることは完全に“食堂のおかん”である。
「ちょ、ちょい待ち。
ワイのルーチン崩すのやめて?」
「カイは授業に集中。
甘いものの配給は奥様の仕事よ」
「奥様言うな! まだ婚姻届どこにも出してへん!」
「書く紙が違うだけで、実質的には提出済みよ。
ほら、あなたも早くチョークを持って」
すでに白衣のポケットからハンカチを抜き、わいの指先についたチョーク粉をふきふき。
(はい、これが“めっちゃ自然”にできるのが怖いねん……手慣れすぎや)
列に並ぶ生徒らは、令嬢の動線指定で綺麗に蛇行。
彼女は“公平原則”とやらを主張し、並びを見事に整流化していく。
「昨日もらった子は今日は後方ね。
カイのアメは希少資源だから、分配は効率と公平の両立よ」
(おい……それガチの運用理論や。
“ガレシャプ最適”とか口走りかけたやろ今)
「カイ、飴はミントとハチミツ、どちらにするの?」
「今日は喉のコンディション的にハチミツで――」
「ミントにしましょう。
頭が冴えるから。
はい、あーん」
「いや“あーん”はやめぇ!」
どよめく教室。
最前列の貴族男子が机に突っ伏して肩を震わせてる。
真面目組の女子はノートに『本日の漫才開始:八時三分』と記録。
(記録すな)
黒板に描くのは、波線と円の重なり。
魔力の時間揺らぎを、ゆっくり大きく描いて見せる。
「揺らぎは怖ない。
“リズム”や
このリズムを数式で掴めば、誰でも操縦できる。
sin と cos って二人三脚みたいなもんやからな」
後方から小さなため息がひとつ。
フィリアや。
彼女は今日も一番後ろで静かにノートを取り、真面目にうなずく。
呆れ半分、尊敬半分の、落ち着いた目。
(それでええねん。
君は君の好きなところで輝いたらええ)
「カイ、喉が渇いたでしょ。
はい、温かいハーブティ」
「ちょ、なんでポット出てくんねん教室で!」
「あなたの声は学園資産だもの。
維持管理が必要よ」
ルーティアは、喉が枯れそうな瞬間をピタリで差し込む。
板書がおわれば、すかさず黒板消し。
消す方向は常に横、粉を舞い上げないプロの手つき。
(絶対家で練習してるやろ)
質問が飛ぶ。
「先生、ここがわからないです!」
「はいはい、行列でな。焦らんでも式は逃げへん」
と、ここでルーティアがすっと前へ出る。
「質問は整理券制にします。
番号札は一から三十。
討論スペースは窓側、静穏スペースは廊下側。
先生、三番まで先にお願いします」
完全に秘書。
完全に奥様。
そして完全に手際がいい。
教師陣の何人かが廊下で腕組みしながら見ているが、誰も止めない。
止められない。
家柄も成績も振る舞いも、全部“正解”やからや。
授業終わり。
拍手。
そして例の掛け合い。
「本日の“夫婦漫才”採点、どうやった?」
「夫婦じゃないわよ。
でも九十八点」
「辛口講評来たな!」
笑いがこぼれる。
こうして午前は過ぎていく。
◆◇◆
昼休み。
食堂は今日も戦場や。
皿、皿、皿。
肉、パン、ルルパン、ドラフ鳥、マギスープ。
行列は場当たり的やけど、ここでもルーティアの采配が光る。
「カイはこっち。
日陰の席を確保してあるわ。
声帯保護の観点から日向は厳禁」
「なんで声帯の話まで把握しとるん……?」
「はい、まずはサラダ。
トマトは小さく切っておいたわ」
「子ども扱いすな!
ワイそれぐらい噛める!」
「じゃあ食べて。
はい、あーん」
「また“あーん”かい!」
周囲が一斉に俯いて肩を震わせる。
向かいのテーブルで、若手教師がコップを落としそうになり、隣の中堅が無言で受け止める。
物音一つで崩壊する静けさ。
食堂のおばちゃんが目を潤ませて言う。
「ええ子やねぇ……先生、幸せにしとあげや」
「いやまだ婚姻届を――」
「書く紙が違うだけで実質提出済みです」
「本人が乗ってきたーー!」
会計。
ここで大阪の血が騒ぐ。
「おばちゃん。
いつも世話になってるし、今日三人分も買うたし、ちょっと……」
「まけません」
秒で砕ける値切り。
横からすっと黒のカードを差し出す令嬢。
公爵家の紋章。
周囲が凍り付く。
「お会計は“わたくし”が。
学園に寄付扱いで処理しておいて」
「ちょ、寄付扱いはやめぇ! ワイの立場が消し飛ぶ!」
「じゃあ“カイ先生の研究費”に計上するわ」
「それもなんかアカン!」
「なら“未来の家庭の食費”で」
「それが一番あかん!」
食べ終わりのタイミングで、ハンカチがぬっと差し出される。
口元のソースをひと拭い。
「動かないの、私の仕事を奪わないで」
「おかんやん……」
「奥様です」
「言い切った!」
少し離れたテーブルで、フィリアが同級生に囁かれていた。
「エストレア嬢、もう……なんというか」
「先生は先生です。
尊敬しています。
でも、あの方の隣が似合っているのは――今は彼女です」
笑うでも泣くでもない、まっすぐな声。
(強い子や)
◆◇◆
午後の自習監督。
教室後方、ルーティアは書類を積み上げて仕分け隊長。
「この出席簿、順序がバラバラ。
学年、科、出席番号で三段ソートするわ」
「ちょ……エクセルない世界でソートはやめぇ」
「箱に“仕分け番号”を書けばいいだけよ。
カイ、赤チョーク貸して」
赤、緑、白で色分けされる箱。
高速で並ぶ出欠票。
気づけばわたしは、今日の演習課題にだけ集中できている。
(……楽)
(完全に“支えてもらってる”やん、ワイ)
「カイ、姿勢。
椅子の高さが合ってない。
腰にくるわよ」
「どこの整体師や」
ちょっとだけ椅子を下げられて、びっくりするくらい楽になる。
「素直に感謝して」
「ありがとう」
「よろしい」
生徒らが、こっそり“夫婦漫才スタンプカード”なるものを作って回している。
ツッコミを入れるたび、スタンプが一つ。
満了でアメ一個。
(勝手な経済圏作るな)
◆◇◆
放課後。
廊下の向こうから駆けてくる一年生。
「先生っ、今日の補講お願いできますか!」
「おう、ええで。
でも順番な」
背後から令嬢が静かに差し出す。
“予約札 No.1~20”
「はい、配布。
奇数は算術、偶数は幾何枠。
質問は一件三分、延長は追加一分。
カイ、五番から」
「ここどこの区役所や」
でも、流れは最高にスムーズ。
誰も怒らない。
誰も退屈しない。
質問が終わった子には小さな包み。
アメちゃん。
「今日のあなたはよく頑張ったわね」
令嬢の微笑みに、貴族の子も平民の子も同じ顔で照れる。
(これよ。
ワイがやりたかったんは、こういう教室や)
控室に戻ると、教師陣が妙に静か。
中堅の厳格教師が、眼鏡の縁を指で押し上げてから小さく咳払いする。
「……カイ先生」
「はい」
「その……令嬢の振る舞いについては、学園として……特に、問題は」
「ないです」
「はい」
なかった。
誰も続けない。
全会一致で沈黙。
その沈黙の中、湯気の立つ茶が机に置かれる。
ルーティアが、みんな分のカップを並べて回っていた。
「お疲れさまです、先生方。
糖分と水分、そして敬意は、現場を回す燃料です」
重鎮が思わず笑い、若手が「勉強になります……」と頭を下げる。
(この子、怖いぐらい学園に馴染んでるやん)
◆◇◆
夕暮れ。
校門の影が長く伸びる。
鞄を肩にかけたところで、背後からストールがふわりと乗った。
「夜風は喉に悪いわ。
カイの声は、私の一番好きな音だから」
「直球やねぇ」
「遠慮はしないって、言ったでしょう?」
彼女は少しだけ頬を染め、そのまま腕にしがみつく。
生徒らが小さく悲鳴を上げ、教師の一団がそっぽを向く。
フィリアは、少し遠くで見ていた。
その瞳は静かで、まっすぐだった。
「先生、また授業、聴きに行きます。
教え方、やっぱり好きです」
「おう、
待ってるで」
「……令嬢様、先生をよろしくお願いします」
「もちろんよ」
短く交わされた敬意とバトン。
(ええ。
この空気が守りたい)
◆◇◆
夜。
寮の部屋。
机の端には、今日の採点済みの小テストが山。
赤ペンで丸をつける手元に、温かいカップが滑り込む。
「はちみつジンジャー。
明日の公開演習、喉を潰したら泣くわよ」
「泣くのはアンタやないやろ」
「私が泣いたら、あなたも困るでしょ」
「せやなぁ、
困るわ」
素直に笑う。
彼女も笑う。
窓の外で風がやんだ。
静かで、あったかい夜やった。
机の隅、今日の黒板写真の裏に、生徒が貼った小さな紙。
『本日の夫婦漫才スコア:97点 ※“あーん”が自然で加点 ※先生の照れ顔で+2』
(やかましいわ)
でも、心は軽い。
明日も、教える。
笑う。
ツッコむ。
飴を配る。
そして、彼女は横で全部を支える。
(もうええか
“奥様”でも)
窓の外に二つの月。
机の上に二つの湯気。
同じ熱が、並んで立ちのぼっていた。




