第11話『風の国からの使者と、再び動き出す運命の輪』
その日、ロゼリア王立魔法学園の空は、鈍い風に包まれていた。
雲の流れが早く、季節外れの風が塔の尖端に鳴り響いている。
だが、それはただの天気のせいではなかった。
「――風の国“エルストラ”より、特命使者として参上した。魔術師団【疾風の梟】所属、レミオ・エル=ハウゼと申す」
彼の姿が校門に現れたとき、空気が明らかに変わった。
灰銀の髪をなびかせ、精悍な目をした青年。
その装いはロゼリアとはまるで違う。幾何学模様を縫い込んだ法衣に、風属性の魔力が宿っている。
「……また、ややこしいのが来たな」
カイは屋上からそれを見下ろしながら、肩をすくめた。
(なんでワイが“外交問題”に巻き込まれとんねん……ワイ、数学教師やぞ……?)
「王立魔法学園のクロス・カイ殿に、我が国の王より正式な招聘を申し上げる」
レミオは、学園本部の会議室で直立しながら告げた。
「君の“数理魔導論”は、エルストラ魔術師団にとっても非常に価値が高い。
よって、当国への技術顧問としての在任を要請する。滞在期間は……まず半年」
それは“引き抜き”だった。
それも、かなり本気の。
「……いや、ワイ、教師やから。ここで教えとるだけや。生徒おるし、アメちゃんも配らなあかんし」
「……アメ?」
「いや、こっちの話や」
魔導省の監視下にあるとはいえ、カイはあくまで“自由意志の教師”である。
エルストラはその隙を突いてきた。
◆◇◆
一方その頃、ルーティアは生徒たちと共に、談話室でその噂を聞いていた。
「クロス先生、隣国にスカウトされたらしいよ」
「えっ、じゃあこの学園、辞めちゃうの?」
「嫌だよ……クロス先生の授業、他の誰も真似できないのに……」
ルーティアの心臓が、ズキリと疼いた。
(……また、“距離”ができる)
(今度こそ、本当に……“もう話すこともない”関係に、なるかもしれない)
不安が押し寄せる。
この一か月で、ようやく日常が戻ったはずだったのに。
でも、ただ戻っただけじゃない。
カイの声が、姿が、言葉が、気づけば彼女の中に“溶けて”いた。
◆◇◆
その夜。
ルーティアは思わず、自分でも信じられない行動に出た。
教師寮の前まで、足を運んでしまっていた。
(なにやってるの、私……もう“契約”は終わったのに)
それでも、足が止まらない。
ドアの前で、ノックもできずに立ち尽くしていると――
不意に、扉が開いた。
「……あれ、覗き見か?」
「ち、違うわ! 今、ちょうど通りかかっただけで!」
「まさかのこの時間に教師寮を?」
「いいから黙りなさい!」
……そして、いつの間にか、カイの部屋の椅子に座っていた。
「エルストラの話、聞いたわ」
ルーティアが切り出す。
「……ああ。ワイとしては行く気ないけどな。めんどいし」
「めんどいって……国が動いてるのよ? どれだけ大事か分かってるの?」
「分かってるからこそ、面倒や言うとんねん。ワイは“目の前の生徒”を教える方が性に合うんや」
「…………」
ルーティアは何かを言いかけたが、言葉が出なかった。
ふと、カイがソファの横から飴の瓶を取り出し、差し出してくる。
「ほれ。お嬢様、久々にアメちゃんでも食うとき」
「……また、それ」
けれど、断らなかった。
包み紙をほどき、飴を舌にのせると、ほんの少しだけ甘さが心に染みる。
「……ほんとはね、ずっと見てたの。あなたの授業も、生徒とのやり取りも」
「せやったんか?」
「私……分からなくなったの。“仮”の関係を終えたら、楽になると思ってた。でも――」
言葉が喉の奥で詰まる。
カイは、何も言わずにただ静かに見つめていた。
ルーティアは立ち上がり、ドアの方へ歩き出す。
けれど、手をかけたところで、振り返った。
「……あなたが、どこに行くかなんて、私には関係ない。
でも……“この学園の教師”でいる限り、私は“あなたの生徒”でいるから」
「……おう。教えることは山ほどあるで?」
「ふふっ、楽しみにしてるわ」
そう言って、今度こそ彼女は静かに去っていった。
◆◇◆
そしてその夜、学園の外れ。
風が巻くように空間が歪み、レミオ・エル=ハウゼが報告の封筒を広げた。
「……やはり、“数理魔導”はこの王国においても異物だ。
放っておけば、均衡は崩れる」
彼の隣には、もう一人、仮面の女魔術師が立っていた。
「では……始めましょうか。“排除”の段階に」




