表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

第3話「奪われる前に、捨てろ」

夜の匂いは、湿った舗道に沈んでいた。

夜咲雫は、アルトの背を追いながら人気の途絶えた商店街を歩く。

シャッターに貼られた張り紙の日付は去年のまま止まり、路地裏からは微かな鉄錆の匂いが漂ってくる。


「……どこに行くの?」


「“夜市”だ」


アルトは振り返らずに答える。足音は軽いが、進む方向は迷いがない。


「都市の影にできる裏の市場。血も、肉も、記憶も、金と同じ値で取引される場所だ。

 そこに、お前が探してる吸血鬼は……まだ属していない」


「じゃあ、なんで――」


「教えるためだ。刀の使い方をな」


やがて二人が立ち止まったのは、古びた時計店。

ショーウィンドウの中の時計はすべて午前零時を指し、ピタリと秒針を止めている。

アルトが扉を叩くと、奥で鈴のような音が響き、錠前が自動で外れた。


中は、空気そのものが歪んでいた。

天井近くに影の帳が垂れ、棚に並ぶ小瓶の中には、人間の眼のように瞬きする光が漂っている。


「……これ、全部、記憶……?」


「そうだ。切り離された断片。数分のものもあれば、人生の半分もある」


その説明を遮るように、奥のカウンターから痩せぎすの店主が現れた。

顔の皮膚は紙のように薄く、目は妙に大きい。

ゆっくりと雫を見回し、口端を吊り上げる。


「おや、眩しいな。まだ削れてない記憶の匂いがぷんぷんする」


雫の背筋に寒気が走る。

だがアルトは素知らぬ顔で、道の奥を顎で示した。


「払ってもらうぞ、お前の“要らない何か”を。──訓練だ」


「……要らない何か?」


アルトの目が、わずかに真剣になる。


「血刀は、斬るときに何を代償にするかを決められる場合がある。

 獲物に集中する瞬間、その記憶を強く意識すれば、狙って失えるんだ。

 敵に奪われるより、先に自分で捨てろ」


その言葉に、雫は息を呑む。

奪われる前に、捨てる――そんなことを、本当にできるのか。


「やるしかない。これから相手にするのは、“連鎖喰い”だ。

 一人を噛めば、その人の記憶に繋がる人間からも断片を吸い取る。

 妹のことまで巻き添えにされたくないだろ?」


心臓が、どくんと跳ねる。

あの顔が消えるなんて、絶対に許さない。


突然、店の奥の壁が波打ち、人影が滑り出た。

長い手足、歯の奥で蠢く黒い舌――人間の形をした生きた感染源。


「チッ……嗅ぎつけたか」


怪物は雫を目に留め、笑った。その瞬間、周囲の空気が重くなる。

頭の奥に、他人の笑い声や足音が雪崩れ込んでくる感覚――記憶を辿って侵入してくる。


(やられる……!)


刹那、雫は刀を引き抜いた。

脳裏に浮かんだのは、小学校の通学初日。転んで膝を擦りむき、泣きじゃくった自分を、妹がからかう笑い声。

大切だけど――足手まといにされるほどの記憶じゃない。


(これを……捨てる!)


刃が空を裂き、怪物の腕を断った。

次の瞬間、胸の中のその「笑い声」がふっと離れ、戻ってこない。

代わりに──押し寄せていた侵食が、ピタリと止まっていた。


「……やった……?」


怪物は驚愕の声を上げ、残った腕で壁にしがみつきながら後退した。

だが、逃げる前にアルトの長剣が貫き、影となって消滅する。


静寂が戻る。

雫は刀を納め、眩暈を堪えながらアルトを見上げた。


「……捨てられた、な」


「……気持ちのいいもんじゃない」


「だが、守った。妹の記憶ごと、な」


アルトの赤い瞳は、わずかに柔らかくなっていた。

その視線に、雫は自分でも訳の分からない安堵を覚える。


外に出ると、夜市の入り口に人だかりができていた。

ざわめきと恐怖が広がっている。


「何が……?」


「“夜啼き”が活動を始めたらしい。

 街ひとつ丸ごと眠らせて、夢を喰う化け物だ。……ここからが本番だぞ、雫」


その名を口にしたときのアルトの声は、今までで一番低かった。


雫は刀の柄を握る。

奪う者と、奪われる者。その境界線に立つ覚悟が、少しだけ重くなった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ