表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1話「妹を喰った夜」

夜はいつも、灰色からやって来る。


街外れの川沿い。湿った空気の中、夜咲雫は屋上の縁に立っていた。

制服のスカートを握りしめる手は、細かく震えている。

足元の木箱の中に、それは眠っていた。


――刀は、冷たい呼吸をしている。


指先が鍔に触れた瞬間、骨の芯まで凍るような感覚が走った。

その声なき囁きが、脳の奥に直接流れ込んでくる。


「引けば、奪う。奪えば、消える」


思い出すのは、あの夜。

妹・灯の笑顔が、血の色に染まったこと。

暗闇の中で、微笑む長身の影。牙と、赤い瞳と、しなやかな白い手。

吸血鬼は笑いながら灯の喉笛に噛みつき――

その瞬間、雫の中の何かが決壊した。


「……赦さない」


鍔に力を込める。

刃が鞘を離れた刹那、空気が裂ける音。

鋼の煌めきが屋上の闇を裂き、彼女の視界の隅が淡く削り取られた。


――チクリ、と胸の奥が痛む。

何を失ったのかは、すぐにはわからない。

だがこの痛みが、代価として支払われたことだけは理解できる。


屋上の向こう、路地に人影があった。

背筋の曲がった老女……の皮を被った何か。

それは血のにおいを撒き散らしながら、階段をひたひたと登ってくる。


「人間は早い方がいい、嬢ちゃん。ぬるくなった血は不味い」


しゃがれた声。笑った瞬間、その口の奥に鋭い牙が光った。


雫は一歩踏み込み、刀を水平に払った。

金属同士が打ち合うような、不快な悲鳴。

次の瞬間、吸血鬼の首が宙を舞った。


刀身に、闇色の靄が絡みつく。それがスッと彼女の額へ吸い込まれた。

視界が一瞬、真っ白になる。


息をつき、辺りを見る。

だが――

そこにあるはずの「妹と並んで歩いた通学路」の映像が、頭の中から滑り落ちていった。

思い出そうとしても、どうしてもその道筋が浮かばない。


「……また、ひとつ」


吐き出すように、呟く。

勝利の代償は、痛すぎる。けれど、それでも――


雫は刀を握りしめたまま、夜を睨んだ。


耳元で、低く澄んだ声がした。

気づくと、銀髪の青年が屋上の縁に腰掛けていた。

月明かりを受けたその目は、宝石のように赤い。


「面白い道具だな。それは――血刀、だろう?」


雫は息を呑む。

青年は牙を見せもせず、静かに続けた。


「お前、まだ知らないだろう。奪われた記憶は――返ってこない。

 それでも、振るうか?」


彼の瞳には、奇妙な同情が浮かんでいた。


第一夜は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ