── 第五章・嵐の幕を織る ──**
七月、蝉の声が窓の向こうで鳴き始めた頃――
書道部は地域文化祭に向けて、最後の仕上げに入っていた。
放課後の体育館は、今日だけ書道部専用。
普段はバスケやバレーのコートになっている床に、
真新しい真っ白の横断幕用布が静かに広げられていた。
咲良が布の端を踏んで、全員に言った。
「今日で、この大布を完成させる。
本番では、この布が私たちの『桜嵐』の舞台になるんだ。」
大地が太鼓を確認し、楓と美琴が布の端の固定を入念にテープで留める。
詩織は、手にした大筆をそっと握りしめた。
「詩織ちゃん、いける?」
美琴が小声で尋ねる。
詩織は、小さく頷いた。
――もう怖くない。
自分の線を、この白布に刻むだけだ。
咲良は痛む右手を包帯で隠し、左手で拍子を取る。
「じゃあ、太鼓! 始め!」
ドン――! ドン――!
太鼓の低い響きが体育館に満ちる。
詩織が一歩、布の中央に踏み出す。
最初の一文字は、咲良が示した構成案では『嵐』の『風』を意味する『颯』。
詩織の肩の力が抜けると、筆が自然と走った。
ザッ――
大胆な一画が、真っ白の布を切り裂くように生まれる。
楓と美琴は、その後を追いかけて次の文字を繋いでいく。
『舞』『桜』『煌』――
布の上に、春と嵐の物語が墨で編まれていく。
途中、墨が飛び散る。
太鼓のリズムが一瞬ズレる。
だが、誰も止めない。
書道のパフォーマンスは、線の完成だけがすべてじゃない。
咲良が、息を詰めるほどの思いで詩織を見守っていた。
(……行け、詩織。
君の線が、私たちをここまで連れてきたんだ。)
太鼓が一際大きく鳴り、詩織は最後の一筆を振り切った。
「――っ!」
大布いっぱいに広がる『桜嵐』の物語が、ついに完成した。
美琴が息を切らして叫んだ。
「できた……! 最高の横断幕が……!」
楓も墨まみれの手でハイタッチを求める。
大地は太鼓を置き、黙って深く頭を下げた。
詩織は、大布の中央に座り込んだ。
額から汗が滴り、墨の匂いが鼻を突く。
だけど、その匂いが愛おしかった。
咲良がそっと隣にしゃがんだ。
「ありがとう、詩織。
これで、私たちの『嵐』の旗が立ったね。」
完成・桜嵐の舞台布
体育館の高窓から、夕日が布の上を優しく照らす。
そこには、みんなの想いが混じった
一つの『嵐』が、確かに存在していた。