── 第三章・試しの嵐 ──**
梅雨が明けたばかりの土曜日、午後。
体育館のステージに、書道部のメンバーが勢ぞろいしていた。
今日は初めての 通しリハーサル。
照明、音響、太鼓、フォーメーション。
全てを本番と同じ手順で試す一日だ。
太鼓を前に構えた大地が、スティックを握り直す。
汗が手のひらを滑っていくのがわかる。
咲良が深呼吸して声を張る。
「……じゃあ、リハーサル、始めます!
太鼓、カウントいくよ!」
ドン―― ドン―― ドドン――
体育館の床を伝って、低い振動が全員の胸を揺さぶる。
詩織は大布の端に立ち、大筆を握りしめた。
視界の先では、美琴と楓がフォーメーションを切り替えながら、踊るように布の中央へ進んでいく。
「風――!」
咲良の掛け声に合わせ、布の上に最初の文字が刻まれる。
美琴が大胆に線を走らせ、楓がすぐ後ろに重ねていく。
墨が飛び散り、体育館の空気にかすかな匂いが混ざる。
詩織の胸の奥がざわつく。
――次は自分の番だ。
大筆を構えた手が、ほんのわずかに震える。
太鼓の音がひときわ強くなり、咲良が低く指示する。
「詩織――行けっ!」
詩織は前に踏み出した。
太鼓と咲良先輩の声だけが耳に届く。
大布の真ん中へ。
墨をつけた筆を一気に振り下ろす。
ザァッ――!
筆先が走り、白布に力強い線が生まれる。
掠れなんか気にしない。
今はただ、心の中の嵐を――
だが――
「……あっ!」
足元の布がわずかにめくれ、筆が一瞬浮いてしまった。
次の瞬間、線が途中で切れ、墨が大きく滲んだ。
太鼓の音が止まる。
咲良の声も、誰の息遣いも消えた。
詩織は筆を握りしめたまま、声も出せずに固まった。
静寂を破ったのは、美琴の明るい笑い声だった。
「ナイス滲み! でも今の筆の振り切りは最高だったよ!」
楓もすぐに手を叩く。
「踏ん張りが足りなかっただけ! 布はちゃんとテープで固定しとく!
もう一回やろう!」
咲良は詩織の肩に手を置き、微笑んだ。
「大丈夫。嵐は一度止んでも、何度でも起こせるんだから。」
体育館の外には、夏の青空が広がっていた。
その空の下で、書道部の『桜嵐』は、確かに少しずつ形になっていた。