魔法を使わなくても、ちょんちょんってつついたら案外簡単に崩れるのよ☆
寵妃の取り巻きの一人が大変なことになってる~?
妾、魔法なんか使ってないわよ~☆
(by亡霊姫★)
ヴェルカ公爵夫妻は、その日も息子を交えて家族団欒の時間を過ごしていた。
無邪気に遊ぶ子どもと、穏やかに見守る両親。
大貴族とは思えないような、長閑で幸せな家庭の風景がそこにはあった。
長男ハルバードの存在がなかったもののようにされていることに、目をつぶればであるが。
遊び疲れた息子が眠り込んでから、ルシアーナはまた説得を始めた。
「どうか……この子を跡継ぎに。ご指名を下さいませ」
「それは……だが。貴族の家は、長男が継ぐものと決まっているだろう」
「それでも……です。ジディスレンはフィオラ様によって生まれ変わりつつあります。
今こそ旧習に囚われず、新たな道を探す時ではありませんか?」
公爵が返事を濁し、困った顔をしたのを見て、ルシアーナは俯いた。
「愚かで執拗な女とお思いでしょうね。
ですが……恐ろしくてたまらないのです。
ハルバード様が家長におなりになったら……
私もこの子も、死んでしまいます」
フィオラの計らいで、彼女は嫁いでからずっと、夫の心を自分に傾ける努力をしてきた。
当主でありながら孤立するように、自分の言葉だけを聞くように、ずっと。
ハルバードや家臣の諫言も嘆願も、秘密裏に握り潰してきたのは彼女だ。
それを一切感じさせず、息子の寝顔を見つめながら涙を浮かべてかき口説く。
何としてでも証を得なければいけないのだ、あの女が出張ってくる前に――
「後生でございます。どうか、どうか……旦那様の一筆を」
「そう、だな。それでは……」
公爵の手が筆を執り、紙の上に伸びる。
現家長である公爵自身の指名があれば、それは容易には覆らない。
ようやくここまで漕ぎ着けた。
疲労と達成感で酩酊したようになり、視界がくらくらする。
あとわずか数秒で、ルシアーナの勝利――そのはずだった。
「あらあら。久方ぶりに様子を見に来てみれば……一体何をしているのですか?」
筆先と紙がすぐそばまで近づいたその時、声が響いた。
ルシアーナは一瞬凍りつき、弾かれたように振り返る。
そこにいたのは、優雅な身なりをした老婦人だった。
公爵は途端に動きを止め、すぐにそちらに駆け寄る。
「は、母上……!こちらにいらっしゃったのですか、お体の調子は……」
「ありがとう。領地で静養したこともあって、大分良くなってよ。
……貴女にも、大層なお見舞いを頂きましたわね」
あからさまな皮肉と悪意と蔑みを込めて、老婦人はルシアーナを一瞥した。
公爵は幼くして父を亡くしたために、物心つくかつかぬかという頃に家を継いだ。
それからというもの、ずっと家と息子を守り育てた母に今でも頭が上がらない。
母の言葉は絶対という心をこちらに傾け、言うことを聞かせるには随分骨を折った。
そんな老婦人は視線を公爵に戻して、これみよがしにため息をついた。
「全く。あなたという子は……いつになったら、私を安心させてくれるのですか?」
「は、母上……」
「どちらが公爵家を継ぐべきかなど、論じるのも愚かしい。
ハルバード以外にありえません。良いですね」
斬りつけるような鋭い声。
それに公爵は目を瞬き、憑き物が落ちたような顔で、
「――はい。母上の仰せのままに……。
煩わせてしまい、申し訳ございません」
そう答えた。それを、ルシアーナは呆然と見ているしかなかった。
公爵家の親子は近況を話し合っていたが、やがて母親の方が明らかに冷ややかで、邪険な視線を送った。
幼い息子が、怯えたようにドレスにしがみついてくる。
「……あら、貴女。いつまでそこにいらっしゃるの?それを連れて退室なさいな」
「…………承知、致しました。失礼致します」
勝敗は決した。もう、何もできることはない。
ルシアーナはただ俯き、敗北を噛み締めた。
どんな手を使ってでもこの老女を殺しておくべきだったのだと、そう焼け付くような後悔に駆られながら。




