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第二話 教育係と通訳と、嫁ぎ先の手痛い歓迎①

 翌朝のことだ。与えられた部屋で王妃が目覚めたのを見計らい、侍女たちは連携して動き出した。


「おはようございます、皇女殿下」

「…………」


 王妃は微笑み、こくりと頷いて、侍女たちの手に身を任せた。

その微笑は、朝の光の中で見ると一層美しい。

エデルはすべきことも忘れて、つい見惚れてしまいそうになった。


(美姫との誉れ高かった祖母君と生き写しって聞いてたけれど……本当の本当に、そうなのね)


 帝国の皇族であり北の女王であり、そしてジディスレンの王妃である主人の名は、クリスベルタという。

人というより蜃気楼のよう、初対面で真っ先にそう思った。

聞き知った生い立ちから、雨に打たれる花を思わせるような、嫋々たる憂いに満ちた姫だろうと思っていた。

しかしいざ目にすると、そんな悲壮感は特に感じられない。


 エデルは慎重に櫛を使い、華奢な肩に零れる黒髪を梳かした。

長く豊かな髪なのに、重たげな印象はまるでない。

星を渡る夜風を紡いだような、細く儚げな髪だ。

慎重に手を動かし、髪と化粧を整えて、華奢な体にドレスを着付けていく。


 靴、手袋、首飾りと整えていき、最後に冠を被せれば完成だ。

全ての工程を終えた時にそこにいたのは、女神の手になる芸術品のような姫君だった。

身なりを整えるとすぐさま初老の女と青年がやってきた。

彼らは完璧な帝国語で挨拶を述べ、慇懃に礼をしたが、口にする中身には棘が含まれていた。


「王妃殿下、始めまして。私はヴァリナと申します。こちらは甥のヨゼフです。

我々はこれから、貴方様にこの国のことをお教えするよう仰せつかりました」


「ヨゼフと申します。妃殿下のお言葉と、貴族たちとの会話をお助け致します。尤も、ゆくゆくはジディスレン語を習得して頂きますが」


 妃殿下。その呼びかけに王妃のまつ毛がぴくりと揺れる。しかしそれ以上反応はなかった。

その様に「思いの外与しやすそうだ」と判断し、ヴァリナ夫人は一層居丈高に言い募る。


「ジディスレン王妃になられたのならば、この国の言葉と作法を身に着けて頂かねば。

そうでなければとても、公の場においでにはなれませんわ。

一日も早くこの王宮に馴染めるよう、妃殿下を助けてやって欲しいと、フィオラ様から仰せつかりました」


 王妃は既に、完全な身支度を整えていた。

部屋の椅子に帝国式に腰掛けたその姿から、長い袖と裾、トレーンが花のように床に広がっている。

豪奢な布とレース、宝石類を幾重にも連ねたそれを、ヴァリナ夫人は冷ややかに見つめる。


「まず、ドレスを変えて頂きませんと。

そのような甲冑の如きドレス、この国の風土には適合しておりませんわ。

妃殿下にはお分かりにならないやもしれませんが、その場その場で、適した格好というものがあるのです」


 傲慢な帝国から嫁してきた、鼻持ちならない王妃。

その先入観が彼らの中にはあったし、それを矯正するのが自分たちの務めだと信じてもいた。

ヨゼフも同じ思いだったので、加勢して言葉を連ねる。


「ジディスレンの言葉を解しておられないと伺いました。

恐れ多くも妃殿下は、帝国とジディスレンの架け橋となるべくいらした御方。

この国の貴族たちに受け入れられるためにも、いち早く覚えて下さいますよう」


 王妃は、ただ微笑む。そして囁くような声で、ゆっくりと流麗な帝国語を紡いだ。

細く優しげな、鈴のような声からは、どこまで状況を理解しているのか読み取れない。


「特に問題はないのではありませんか?帝国語くらい、誰でもご存知でしょう?」


 自覚しての発言かどうかは知らないが、如何にも帝国的な傲慢な物言いだった。

ヴァリナ夫人は渋面を浮かべ、ぐっと胸を張り、声に棘を増やして反論した。

気分としては殆ど、叩き伏せるような気持ちだった。


「確かに、この王宮には帝国から嫁いでいらした貴婦人方もいらっしゃいます。

そうでなくてもある程度の貴族ならば、帝国語くらい修めていて当然です。

ジディスレンの言葉が不自由だからといって、意思疎通に不都合が生じることは少ないでしょう」


 理屈の上ではそうだ。しかし、ことはそういう問題ではないのだ。ヴァリナ夫人は、一気に畳み掛けるために語気を強める。


「しかしジディスレンの王妃となっておきながら帝国語しか話せないなど、大変に恥ずかしいことですよ。

会話は必ず、このヨゼフを通すようになさって下さい。

まずはお召し替えです。どうぞ早く、着替えのお支度を」


 そう告げるが、帝国から随行した侍女たちは誰一人動こうとしない。

代表らしき夫人が無表情で、王妃を窺うように見つめるが、王妃は微笑んで小首を傾げるだけだった。


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