魔女は神話がきらいなの①
天の神々はかつて創世神たる母を殺し、冥界に沈めた。
そのため地上には、病や死やあらゆる不幸が満ちたとされている。
そして母の苦しみを慰めるために自ら冥界に下った女神が、主神ラシエの妹であり妃たるアプネルだ。
その道行は過酷なものだった。
生まれたばかりの冥府において、彼女は断り無く侵入してきた異物だった。
進むアプネルの前には、異物を排除せんと多くの障害が立ちはだかったのだ。
死の獣に追われ、毒の海を渡り、混沌に満ちた冥界への道行を踏破した。
そうして母の骸の前に馳せ参じたアプネルは、壮麗な殯宮を創り上げ、自身を冥界の管理者と定めた。
アプネルはそれから歌い続けている。
死した魂を導くため、輪廻を正しく回すための魂呼ばいの歌。
それが、天上の女神としての全てと引き換えにアプネルが得たものだ。
そして残されたラシエには天上を統べ、地上を見守るという自らに課した使命がある。
天と地と冥界は神といえど、容易に行き来できるものではない。
それ故、冥界の女神となったアプネルと逢うことは叶わない。
もしもそれが叶うとすれば、全ての命が絶え、世界が無に帰し、冥府が役目を終えたその時のみ。
その瞬間までアプネルが解放されることはない。
かくして二柱は生き別れとなった。
天地開闢から、片時も離れず傍にあった愛妃を失ったラシエは深く嘆き、悲嘆の余り地上に雷雨を降らせたという。
そして雨が上がった時、とある丘に、祝福の証のように葡萄が一房実っていたと言われている。
これが帝国最古の葡萄畑であると言われている。
この丘から採れた葡萄を使って作ったワインが「ラシエの涙」と呼ばれる由縁だった。
今も天上界には神々がおり、人の世を見守り、時に加護や罰を下す。
その神話と教えを伝え、人を導くのが、ラシエ教とそれを奉る神殿だ。
そして主神ラシエが人間として生まれ、地に降臨した時の名がエヴァルスであり、現在使われている暦はその誕生を起点にしたものである。
エヴァルスの子孫を謳う皇帝は、つまるところ神の子孫である。
この神話を背景に、帝国は傲岸不遜に、そしてそれに恥じぬ実力を以て歴史を牽引してきた。
千五百年もの間である。
神の血を引き、その歴史を担う皇帝は、他国の君主とはそもそもの格が違うのだ。
そしてそれは貴族も同様だ。
帝国の公爵家は、他国のそれとは格が違う。
まして公爵家の中でも五指に入るパエルギロ公爵家当主となれば、他所の王家にすら引けを取らぬ力を持つ。
そもそもこの王宮に帝国公爵が乗り込んでくるなど、ここ数十年なかった異例の事態だ。
そのため彼は到着以来、ほぼ休み無しで国使の任に専念していた。




