第一話 お飾り人質王妃ですが、何か?③
今のフィオラは実質的な共同統治者として、王の子の母として、ジディスレン王宮の女主人として君臨する存在だ。
彼女がここに至るまで、決して平坦な道のりではなかった。
血筋ばかりを誇る貴族たちに、下賤な成り上がり者よと散々に見下され、嘲られながらもひたすら擦り寄って、足場を築いた。
そのためにどんな犠牲も厭わなかった。
そうして積み上げたものを、あの王妃は血統だけで軽々と手に入れる――そんなこと、許せるはずがない。
考えるだけで暗い憎悪が燻った。
幼いあの日、凍りついた夜の森で自覚して以来、絶えず身を焦がし続けた感情だ。
あの時は己の片割れがいた。目に鮮烈な光を宿し、震える手を強く握り返してくれた。
その熱を思い出して、フィオラは己を奮い立たせる。
(そう、王妃が妊娠さえしなければ、それで良い。
帝国での婚礼は手出しができないから気懸かりだったけれど、陛下が籠絡されることもなかった。
ならば負けるべくもない……)
目下の問題は、王妃が身籠るかどうかだ。
ジディスレンでの王の渡りは何としても阻止する。
たとえ身籠ったとしても産ませるものか。
そうすれば、時間はかかろうとも、流れは再びこちらに来るはずだった。
いくら皇女だろうと、王妃であろうと、権威の根拠となる子がいなければ実権は握れないのだ。
皇族に邪魔はさせない。行く手を阻むなどさせるものか。どんなことをしてでも、望む世界を実現させてみせる。
唇を引き結び、そう決意を新たにした。
(政治の世界にも根を広げ、足場を固めてきた。ここからすべきことは……)
彼女はまず、王の寵愛を勝ち取り、その心に入り込んだ。
言葉巧みに話と情報を引き出し、最初は相談と助言という形で。
やがて会議の場で、王の隣に自分用の椅子を置かせ、実質的に政治の実権を握った。
王を操ることも、今の彼女には容易いことだ。
考えをまとめてから、優雅に王の瞳を覗き込んだ。
「……ですが、そうなるとお気の毒になってきますわ。何かできないでしょうか」
王はそれに、怪訝そうな顔をした。
「あれはそなたが心をかけるような存在ではないぞ?
……帝国への人質として、ここで息をしてさえいれば良いものなのだ」
「ええ、勿論、お力になることはできないでしょう。
ですが、あのお姿を実際に拝見すると、何だか痛ましい思いが込み上げてきて……」
王妃に一瞬視線を向けて、優美な仕草で扇を閉じたフィオラは、胸に手を当てて目を伏せる。
さながら雨に打たれた花のような風情であった。
「……あの御方、十二のお歳までまともな教育を受けておられなかったのでしょう?
そんな状態で、縁もゆかりも無い異国へいらしたのが、とてもお気の毒で……
余計なことかもしれませんが、私の友人を遣わしたいのです。陛下にお認め頂ければと」
「無論だ。そなたは本当に優しいな」
「そんな……ただ、申し訳ないだけですわ。
陛下の御心が変わらなかったのは嬉しいことですけれど、安堵する一方心苦しくもありますの」
現時点で動かせる配下の顔と名前が、目まぐるしく脳内を動く。
……ヨゼフとヴァリナで良いだろう。
あの王妃には指一本分の自由も与えない。
息をすること以外何もさせず、この王宮の片隅で屍のように生きていれば良いのだ。
そんな燻る憎悪を、彼女は優雅な微笑みで覆い隠した。