第九話 浮いて通れば良いじゃないの
その日は朝一番、王妃に災難が降り掛かった。
「まあ、妃殿下!」
「何と、無礼な……!」
侍女たちは一瞬絶句し、口々に憤懣を零した。
一方王妃は扇で顔を覆い、腐臭を避けて顔を背ける。
佇む道の先には、動物の死骸らしき躯が放棄され、蝿を纏わせて死臭を放っていた。
場所は王妃宮に繋がる通路であり、王妃と関係のない者は殆ど通らない場所だ。
王妃にとって、こうした嫌がらせは初めてではない。
嫁いでから暫く、庭に獣の死骸を捨てられたり、通る道に虫が湧いていたり。
始めは鼠など取るに足らないものだったが、嫌がらせは徐々に加速していっていた。
侍女の代表であるファビエンヌが静かな声で指示を出し、観察する。
「今日は、猫のようです。……すぐに退かせましょう」
だが、死骸そのものは撤去できても、汚れた道はそうすぐに元には戻らない。
直進すれば汚れるし、迂回すれば時間がかかる。
かくして王妃は、思いがけぬ二択を迫られることとなった。
「――……」
目を伏せた王妃は細く、ため息をついた。
扇で顔を一部隠しながら、儚い風情で目を伏せた。
今にも崩れて消えてしまいそうなほど、その声は弱々しかった。
「…………ああ、恐ろしいわ。わたくしはそうも疎まれているのかしら」
「王妃陛下!……いえ、ご安心下さい、すぐに片付けさせますので」
「此方へ。御気分が優れぬようでしたら、少しお休みになりますか?」
途端に侍女たちの顔つきが変わり、収拾に向けて動き出す。
来たばかりの頃は浮足立っていた彼女たちだが、ここ最近で急速に結束しつつあった。
その時、騎士が一人進み出た。
「お待ちを。王妃陛下」
そう言って躊躇なく、騎士団の紋章が抜いとられたマントを脱ぐ。
騎士の誇りとも言えるそれを、惜しげもなく汚泥の上に広げてみせた。
「どうぞ、お通り下さいませ。王妃陛下」
「…………まあ」
王妃はやや目を見開き、そして騎士に視線を当てた。
見るからに穏やかで端正な容姿をしている。
数秒見つめてから、僅かに表情を緩め微笑みかける。
「貴方は……護衛として、何度かついて下さったわよね」
「覚えていて下さいましたか。……その通りです。
一介の騎士の身ですが、王妃陛下の名誉のためなら、いつでも身を捧げる覚悟であります」
「…………そう。そうね。嬉しいわ。……貴方、お名前は何と仰るの?」
「はっ、光栄です。ハーバー家の長男、レナートと申します」
「そう、レナート。……またお会いすることになるでしょう」
王妃は優雅に裾を捌き、広がったマントの上に踏み出した。布地が血に沈むとともに、赤い色彩が端から染み出した。王妃は静かに微笑んだ。
「今回はありがとうございました。貴方の献身を覚えておきましょう」




