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第六話 そんなつれないこと言わないでよ!!④

「……!」

 エデルは、咄嗟に背筋に走った悪寒に櫛を落としそうになった。

危ない、こんなところで粗相をしては不敬も良いところだ。

幸い誰にも気取られてはいなさそうだった。

すぐさま表情を繕い、何食わぬ顔で香油を受け取った。


 場所は代々の王妃に与えられる南の離宮、通称王妃宮の奥の間だ。

南国風の情趣に満ちたその部屋には歓待の花々が飾られ、巨大な寝台が設えられていた。

あちこちに置かれた優雅な曲線の陶器が、薄暗い空間に淡い光を投げかける。


 部屋の中央に佇む主人の周りには、複数の侍女が侍り、就寝の支度を手伝っていた。

ちなみにエデルは、解かれた長い黒髪を整えている。


(一本ずつが細くて軽くて柔らかい……目を閉じれば、霞に手を入れているようだわ)


 遥か北方、王妃の母国たるイーハリスでは、髪が美の基準の大半を占めるのだという。

彼の国の、かつての貴族女性たちは、その美しい髪を結わずに優美に流していたと聞く。

そしてそれを彩るのは、大小様々の宝石をあしらった、ため息が出るほど荘厳な帽子や冠……実家で聞かされた話を思い出し、改めて王妃の髪の美しさに感じ入る。


 主人と会う前は色々と不安だったのだが、想像以上に稚く繊麗な姫君に、少しだけ緊張が解れるのを感じていた。

少なくとも、常に緊張を強いるような威圧的な佇まいではない。

四六時中仕える者としては、それだけで大分気が楽だ。


 不意に、髪と同じ色をした睫毛が揺れた。

侍女たちの世話に身を任せ、されるがままに無反応だった瞳が動く。

月光に濡れた琥珀のような、不思議な青味を浮かべた金だ。


「…………」


「皇女殿下、何かございましたか」


 髪の手入れを終えた主人は、首をめぐらして侍女長を見つめた。

その視線の先にいるのは、姿勢の良い、見るからに謹厳とした初老の婦人の姿だ。

慇懃な問いに、ひっそりと涼やかな声が答える。


「ねえファビエンヌ、わたくしたちはどうも、歓迎されていないようね」


「我々は異分子、言葉を選ばず申するならば人質でございますれば。

賢明に立ち回る以外に、生きる術はございません。

皇女殿下ご自身が、誰よりもご存じのことと存じますが」


「ええ、そうね。ここまでともに来てくれた皆を無駄死にさせるわけにはいきません」


 主人は微笑んで頷いた。それを受けて、侍女たちの表情もやや明るくなったのが分かった。

その瞬間、再び侍女長の静かな声が響く。


「……誠に僭越ながら、皇女殿下。

ジディスレン王宮にて王妃となられた以上、帝国のドレスやティオネル香のご使用は推奨いたしかねます。

ジディスレンにはジディスレンの格式というものがございます。

ティオネル香の香りは、この国の風土に馴染むものではございません。

お召し物も帝国風のままでいては、要らぬ誤解を招くのではないでしょうか」


 主人はそれに小さく曖昧な笑みを浮かべ、同時に軽い音とともに、夜着の紐が全て結ばれる。

完全に夜着に着替え終え、他の寝支度も終わる。

片付けを始めた侍女たちを目で追う主人に、何か他に入用のものはあるかと尋ねてみる。


「ありがとう。今日はもう良いので下がって頂戴。

皇帝陛下から何か届いたら何であれすぐに報せるように……ファビエンヌ、忠告はしかと受け止めました。

ですがわたくしは、己の流儀を変えるつもりはありません。

明日以降も、全てを今まで通りに整えるように」



 一人、また一人と侍女たちが退出していく。

扉が閉ざされ、部屋には静寂が満ちた。

この僅かな時間だけ、彼女は一人になることが叶う。

王妃は夜着の裾を捌き、花弁が散り敷くように膝をつく。

そして護符を額に当てて祈り始めた。

声には出さず、口の中で沈めるように聖句を唱える。


 それは帝国でもジディスレンでもなく、母国イーハリスの作法だ。

といっても、彼女に母国の記憶はほぼ存在しない。

物心ついた頃から虜囚の身だった事情から、イーハリス語も満足に話せない。

だからこれは帝国にいた頃に教わり、時折密かにしてきた習慣だった。

やがて、皇女は優雅に頭をもたげ、頭上の一点を見て微笑した。


「…………貴女の出番は、まだ先よ」


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