第一話 お飾り人質王妃ですが、何か?①
その夜のジディスレンの王宮には、華やいだ宴の景色が広がっていた。
夜の暗がりに匂い立つ、目を見張るほど鮮やかな春。
甘く暖かく輝かしく、噎せ返りそうなほどの春の息吹が辺りに流れている。
琥珀色の灯りが、開放的な列柱の間を揺らめいている。
濡れたような白金の壁が光を反射する。
解放的な白亜の広間は、南国の夜風を招き入れるように壁面の多くが開放されており、風に揺れる紗幕と藤の花が幻想的な影を落としていた。
広間には楽の音色が華やかに鳴り響き、貴族たちの舞踏が輪を描く。
それは現王ヘルヴァルト三世の結婚と、帰還を祝う宴だった。
彼は先月、北のエヴァルス帝国で皇族の姫と挙式し、妃となった彼女を連れ帰ったばかりだった。
王妃を迎えた宮廷で最初に開かれる、言わば披露宴だった。
しかし、その輪の中心にいるべき王妃は孤独だった。
群青の絹にびっしりと銀糸を織り込んだ、最上級の帝国式のドレスをまとった彼女は、一隅に設けられた大理石の座席に静かに腰かけていた。その姿勢には、十五の娘には似つかわしくないほどの静けさと気品がある。
雪の結晶を思わせる淡い肌、遠くを見つめるような淡い青の瞳。
彼女が座るだけで、辺りは静謐な聖域に変わるかのようだ。
けれど、誰も彼女に話しかけない。
目も合わせない。
王の隣には出立前と何も変わらず、白と金のドレスに身を包んだ寵姫がいたからだ。
王が長年彼女を熱愛しており、帝国の縁談に屈辱を感じていることは周知の事実だった。
「……可哀想に。あれが、帝国の押しつけてきたお飾り王妃ですって」
「気の毒だけど、あれでは陛下も……ねえ?」
「ここに来てから、一言も喋っていないそうよ。帝国語しか理解できないんですって」
「護衛も少なくて、輿も地味なものでしたわ。お可哀想に……」
ひそひそと、誰かの笑い声がこだまする。
それを聞いてか聞かずか、寵姫がひときわ楽しげに微笑むと、王は彼女の手を取って軽やかに踊り、頬に口づけさえした。
王妃は姿勢を僅かも乱さず、硝子玉のような瞳でそれを見つめる。
記憶から蘇るのは、王が王妃に、皇宮を発つ前に吐き捨てた台詞だ。
『……言っておくが。お前を愛することなどはない』
「…………」
初来訪の異国の王宮。仲睦まじい王と寵姫。晒し者に等しい状況。四方八方から注がれる、好機と侮蔑と憐憫。
しかし王妃は、緩やかに口角を持ち上げる。
そのままにこりと、上品に笑う。
まるで何も理解できていないかのように、瞳を曖昧に揺らし微笑んだ。