第五話 歯車が回り始めたわ③
「何なんだ今の状況は!!」
レナートは憤りを込めて、酒杯を机に叩きつける。彼は王宮に仕える騎士であり、帝国派貴族の家の所属であった。
そんな彼から見て、最近のあれこれは目に余る。
「そうなんですかあ。どこも色々大変みたいですねー」
そして向かいの亜麻色の髪をした青年は、気の抜けた声で相槌を打つ。
彼らは、この酒場で馴染の飲み仲間だった。出会って二年ほどになる。
レナートの目下の悩みは、王妃についてだった。
貴族出身で王宮の深部と関わる機会が多い彼は、現在の情勢に歯がゆい思いを味わっていた。
「王妃陛下は、さぞお心細いことだろう。
ただでさえ人質同然に異国に寄越されたというのに……ご自分の言葉がどれだけ歪められているか、ジディスレン語で何を言われているかも知らず、理由も分からず孤立していくと思うと……!」
それらは面白おかしく吹聴され、尾びれ背びれをつけられて飛び回る。
王妃が輿入れしてからまだ半月ほどしか経っていないというのに、それは恐ろしい勢いで膨れ上がっていた。
「この国の料理は味が濃すぎて下品ですわ」
「肌を見せるのがお洒落とは、はしたない風習ですこと」
「フィオラ様?娼館にいたら人気が出そうな方ですわね」
……特に最後の言葉は王の面前で言われ、激昂した王によって叱り飛ばされたと聞く。
王都民もその顛末を、驚きと怒りの感情で受け止めた。
寵姫フィオラは福祉にも熱心で、それなりに民の人気を得ていたためだ。
瞬く間にあることないこと、王妃の様々な悪評が囁かれるようになり、それを元にした風刺画まで流通し、あっという間に「傲慢な王妃」の像が作り上げられた。
王妃が発言してからそこまで、あまりにも手際が良く、見識者は何かしらの関与を察するには充分だった。
「ヨゼフ……あの逆臣が!
あの男の悪意に満ちた曲解のせいで、王妃陛下は誤解されているのだ。
それなのに言葉が不自由なばかりに、何かあればあのように虐げられて……」
侵略の尖兵。傲慢なる帝国皇帝の孫娘。
寵姫派が振りまいた風評と、元々の偏見も手伝って、王妃の悪評は燃え広がるように伝播していた。
だが、彼はそれが違うと知っている。
護衛として従っていた彼には、一度だけ風の悪戯で真実を聞く機会があった。
「はあ。でも、王妃様が本当にそう仰った可能性もあるでしょう?
聞くところでは一昨日も『ジディスレン文化の理解不能な野蛮さに仰天しています』とか仰せになったのだとか?」
「違う!あの時王妃陛下は、『帝国との文化の違いに少々驚いております』と仰ったのだ!
近くにいた俺の耳にははっきりと聞こえた!!
なのにあの通訳が……このままでは、王妃陛下があまりにもお労しい……」
「そうですねえ。あ、すみませーん。チーズ盛り合わせもう一皿下さーい」
「……お前、何をそんな他人事みたいに……立場的にはお前こそが率先して、王妃陛下の苦境の打開に尽力すべきではないのか?」
「そう言われましても。今我々は、色々と肩身が狭い立ち位置ですからねー。
いやはや、寵姫様の好き嫌いには敵いません」
亜麻色髪の男は、笑って肩を竦める。
すぐに数種類のチーズを乗せた皿がやってきて、指で一つつまみ上げる。
出自の高さが匂い立つような、何気ないが上品な仕草だった。
「……では、こういうのはどうでしょう?
もしも貴方の眼の前で王妃様が困っていれば、助けて差し上げるというのは?
きっと王妃様、感激なさると思いますよ?」
「それは、機会があればお助けしたいのは山々だが。
俺に何かできる局面が来るかどうか……」
「だから、賭けをしましょうよ。
まず、貴方がここを奢って下さい。
妃殿下がお困りのところを貴方が助ける……本当にそういう場面が訪れたら、貴方の勝ちです。
その場合、今日の飲み代は僕が払うということで」
「お前それ、この場をただで呑みたいだけだろ……」
「まあまあそう言わず。酒場の代金で帝国と縁ができるかもしれないのだから、悪い話ではないでしょう?
こんな願掛け程度でも、意外と効果があるかもしれませんよ?」