貴人に名乗りを上げるのは、古式ゆかしい栄誉だわ
あらあら、狂気の宴の後に名乗り出てくる男がいるわ☆
一体、誰かしら~?
(by 亡霊姫★)
強烈な血と料理の香りが混ざりあい、惨事の名残に彩られている。
そこに残っているのは数人の使用人と処刑人、そして国王夫妻だけであった。段取りを考えれば清掃を始めるべき頃合いだったが、王母の命によりまだそのままにされていた。
『……人間とは、憐れで浅ましいもの。まあ私も元人間だけどねえ。あれも、これも、それも。本物だったわね。演技じゃないわ』
亡霊姫が言うのなら間違いはない。何かと鬱陶しい女だが、こういう時は便利だ。ふわふわと漂う亡霊姫に、王母は冷え冷えとした目を注ぐ。
あの貴族どもも、これで二度と逆らえまい。今は良いが、冷静になってからが本当の意味での地獄だ。
悍ましい記憶への後悔と恐怖は骨身に刻まれる。寵姫の仇討ちだの、まして革命云々など馬鹿げた寝言も二度と呟けまいし、安眠など一生訪れることはないだろう。
「――……」
王母はゆるゆると唇に笑みを刷く。眼下を見守る彼女の胸に滲み、溢れ出す満足感、達成感は大したものだった。
ここまで励んできて良かったと、心から思う。一年間の全てが報われた。やはり悪しき者が血と苦痛に塗れ、泥濘に沈む様を見るのは、本当に気分の良いものだ。深く浸るような悦楽が込み上げる。王母は微笑み、まだかすかに響いている血の音色に陶然と耳を傾けた。
「嗚呼、美しかったこと……」
王母は童女のように微笑んで、胸の前で指を組み、そう呟いた。だがふと目を開き、視線が揺れる。打って変わって嫌悪に満ちた目を死体に向け、片付けるよう命令した。
その隣でヘルヴァルトは微動だにしない。最初から最後まで、硝子玉のような目を見開いて座っていた。
愛する女とその恋人と、そしてその仲間たちの死を何一つできずに見守った彼が、今どのような心境でいるのかは誰にも窺い知れない。それは王母が、王宮で捕らえた彼に大量に投与した薬の影響であった。
人を仮死状態へ導く薬。そして量次第では、強力な麻酔として作用する。それが皇族に伝わる秘薬「アプネルの涙」の効能だった。
「素晴らしい幕引きでした、皇女殿下」
どれだけの時間が経ったのか、不意に暗がりの中で気配が揺れる。待ち構えた物陰から音もなく現れた、神官服を着た人物は、愉快そうに微笑んだようだった。亜麻色の髪のその男に、渋々労いの言葉をかける。
「……一連の騒動でパエルギロ公には無理をさせました。反逆者たちの人質となることを厭い自裁か、或いは戦火に巻き込まれ殺されるやもと思っていましたが。よく公爵を救ってくれました」
「いえいえ、あの御方は祖父の朋友でしたからねえ。お助けしなければ草葉の陰から恨まれてしまいます」
声の調子が微妙に変わる。出会ってこの方、この人物が私的なことを口にしたのは初めてだった。相手もいよいよ、取り繕った外面を剥がす気でいるようだ。
「今ここにしゃしゃり出たのは他でもありません。紙面ではとうにお伝えしておりますが、ここで今一度の名乗りをあげる栄誉を我が身にお授けくださいますか?」
「……許しましょう。聞かせなさい」
「それでは改めまして……この度は拝謁の栄に浴し恐懼の念に絶えません、麗しき皇女殿下。
始祖は初代皇帝エヴァルスが直臣、グラホーフのオスリュート。ロートベラール公爵家の不肖の三男、エドモンと申します」
亜麻色の髪が音もなく揺れる。薄闇に異彩を放つ、緑がかった目が三日月型に歪む。現れた神官はそう名乗りを上げ、優雅に身を屈めて、完璧な帝国式の礼をとった。