反乱
*
帆が風を、舵が波を切るのが全身に伝わってくる。飛沫を受けるマリクの顔に自然と笑みが浮かぶ。
その様子を浜辺で眺める三人は「…まあ、そこそこ上達したんじゃないか」
とジムが言うと、グランが盛大に鼻を鳴らし「舵を切るタイミングがまだまだだな」
「操帆も操舵もまだまだだ!」と切り捨てるフランシスに、大人二人は自分が叱られたように首を竦める。
「だいたい小船の扱いが上達したくらいで喜んでどうする。あいつは船長にならなければならない人間なんだ」
ジムとグランは顔を見合わせ
「じゃあ、お前は納得したんだな。マリクが船長になることに」
「いくらジョン船長の意思とはいえ、内心反対なのかと思ってたぜ」
フランシスは青い水面を軽快に走る赤い頭を見つめ
「たしかにあいつは物覚えも悪ければ優柔不断でおまけに根が怠惰で自堕落だ」
「そこまで言わなくても…」大人二人が声を合わせる。フランシスは気にも留めず
「けれど、私が一番不信だったのはあいつの生きようとする意志だ。どんなに優秀な人間でも…死に急ぐような人間に何かを任せることはできない」
自分にも思い当たる節があるのか、フランシスはわずかに言いにくそうにしながらも
「結局…ジョン船長は最初から見抜いていたんだ。あいつの生きる力を…」
「…見抜いていたと言うより」ジムが頬杖をつきながら
「引き出してやったんだろうな…マリクのなかから」
「ああ」と隣のグランも頷き
「生きる力なんて本来誰でも持ってるもんだろ。要は人とのつながりだ。お前だってその力を引き出してった一人じゃねえかフランシス」
フランシスはちらりと二人を見やり
「…もしそうなら、仮にも医者としての本分を果たせた…のかもしれないな」
とたんにジムとグランが吹き出した。
「な、何だ!」
「医者としての本分ってお前…自分の歳を考えろよ」
「お前でも照れることがあるんだなあ。案外、変わったのはマリクだけじゃないかもしれんぞグラン」
「うるさい!二人ともからかうのをやめないとジョン船長に言いつけるぞ!」
「やーいフランシスが照れてらー」
「うるさい!」
と、そこへマリクの乗った小船がスルスルと近づいてきた。
「…どうした」
船を飛び降り、波をかき分けてくるマリクの様子にフランシスが眉をひそめる。
「船が…」マリクは息を切らしながら
「船が近づいてくる…」
三人は立ち上がった。
「よく見えないけど…軍艦みたいだ」
「…上から確かめる」
言うなり背後の山に駆け出すフランシスに、マリクと大人二人も後に続いた。
太陽がちょうど西に傾き、望遠鏡を覗く目を邪魔する。顔をしかめたフランシスはそれでも目を凝らし
「一隻だが…たしかに軍艦のようだ」
受け取った望遠鏡を覗き込んだグランが身を乗り出す。
「おいおいあのてっぺんに揚がってる旗はひょっとして…」
「緑に銀の獅子…恐らくグランド艦だ」
「グランド…」肉眼ではまだ豆粒くらいの黒い影をマリクは見つめる。四人はいま、あの墓が立ち並ぶ山に中腹から海を見ていた。
「まっすぐこっちに向かってくるように見えるが…この島で水でも汲む気か?」
「いや…」顔をしかめたままのフランシスが
「グランドからここまでの距離で水の補給が必要になるとは思えない…第一、何故この島の場所が分かるんだ」
「えっ」マリクが思わず声を上げた。
「だってこの島はちゃんと海図にのってたよ?」
ジョルジュと天文観測をしたとき、確かに海図にはこの島が描かれていた。
「コンパス偏差って言ってな」グランが望遠鏡をジムに渡し
「この辺りはコンパスが東に偏りやすいんだ。いま出回ってる海図はそれを知らない昔の船乗りが記したもので、実際の位置より東に二十度近くずれてる」
「まあ…こんなちっぽけな島が見つけられなかったところで誰も気に留めないだろうから…隠れ処としてはうってつけだったわけだが…」
望遠鏡をのぞくジムが「まずいな」と呟く。
「開きを変えた…明らかにこっちに向かってくるぞ」
「何故だ…」フランシスが焦れた様子で
「何故この島に…何が目的だ…」
そのとき、はっと顔を上げたフランシスが初めて見るように三人を見つめた。
「ドクター…ララミイ」
ドクターララミイはいまこの島にはいない。あの南の大陸の人々を乗せたグランドの奴隷船をダムピール号が捕らえたとき、船医は二人もいらないとだろうと言って、ハーベイ号の乗組員とともにボートに乗って去っていったのだ。
「この島の正確な位置を教えられるのはジョン船長とグラン…それに…」
「マリク!」
最後まで聞かず、マリクは坂道を転がるように走り出した。何が起きているのか、何が起ころうとしているのか何一つ分かっていなかった。ただ一秒でも早く、ジョン船長に報せなければと思った。
(船長…軍艦が…グランドの軍艦が…!)
小屋の集まる麓にたどり着いたとき、その場の異様な雰囲気に、マリクは足を止めた。そこにいたダムピール号の乗組員たちが一斉にマリクを見る。険しい顔のパーチェスが近寄ってくるなりマリクの胸倉をつかみ上げた。
「おい、他の連中はどうした!」
マリクはとっさに、乗組員たちは逃げ出すために集まっているのだと思った。
「いま後から…あのっ船長は…」
しかしマリクを突き飛ばしたパーチェスは
「逃げ隠れしたって無駄だからな。島中に火をつけて燻り出してやる」
周りを見ると、全員がこちらを見ている。ギルも、マーティンも、他の乗組員全員がどこか冷たい目でマリクを見下ろしていた。
「マリク」
振り返ったマリクはその姿にほっとした。船長の小屋から出てきたらしいジョルジュが、ゆっくりと近づいてきながら「ジョン船長の姿が見えないんだ。知らないか」と訊ねた。マリクは首を振り
「分からない…でも早く逃げないと…」
がっと頭に衝撃がはしった。ジョルジュがマリクの髪をつかみ上げ
「正直に言ってくれないかマリク…時間が無いんだ」
低いその声はまるで別人だった。全てを拒絶する冷たい目がマリクを見下ろし
「君はいい子だろうマリク?私に逆らったりしない…とてもいい子だ」
穏やかな口調とは裏腹に、マリクの髪はちぎれそうなほど引っ張り上げられる。
「君は従順ないい子だ…たとえ奴隷でも」
「マリクを放せ!」
林から飛び出るなりフランシスが怒鳴った。その後からジムとグランが現れる。
グランは帽子の下から険悪な目付きで辺りを見据え
「とうとう本性を現しやがったな下衆ども」
「けっ海賊風情が偉そうに!」
吐き捨てるパーチェスの横でギルも
「俺たちは別に海賊になったつもりはない。ジョルジュに付き合ってお前らの船に乗っただけだ」
「まあ、そんなとこだろうとは思ってた」
ジムが肩を竦める。マリクは痛みも忘れ一人混乱していた。
「皆…早く逃げないと軍艦が!」
「そうして落ち着いているのが何よりの証拠みたいですね」
ジョルジュに一歩近づきフランシスが言った。
「この島の位置を教え…グランド艦を呼び寄せたのはあなたですね」
「ああっ!ひょっとして修理とかぬかして島に行くように仕向けたのも計画的だったのか!?」睨むグランにギルが鼻を鳴らし
「今頃になって喚くな。全部舵輪を握ってて気づかなかったお前のお陰だよ」
相手につかみかかろうとするグランをジムが羽交い絞めにする。「おっと」また一歩近づいたフランシスに、素早くナイフを取り出しジョルジュが突きつける。
「君は賢い子だフランシス…これ以上近づけばどうなるか分かるだろう?」
「マリクを放せ」
ジョルジュが小首を傾げる。
「前言撤回かな…いまどちらが命令できる立場か分からないかい?」
見ると他の乗組員たちも拳銃やカトラスを握り、こちらを睨んでいる。
「どうして…」マリクはまだ混乱したまま
「どうしてこんな…皆仲間じゃ…」
「仲間じゃねえよ」ぞっとするほど低い声でグランが言った。
「こんな奴隷船乗りの下衆野郎ども」
マリクがゆっくりと振り返る。ジョルジュの左目が静かに微笑んだ。その向こうで、軍艦の黒い影がどんどん大きくなってゆく。
「…目的はジョン船長でしょう」
動かずにフランシスが言う。
「けど残念でしたね…船長は島のどこかに避難しています。絶対見つからない場所に」
「おいおい同じセリフをまた言わせる気か?」パーチェスが首を振り
「俺は島中に火をつけて燻り出してやるって言ったんだぜ」
その言葉に呼応するように、山から幾つもの火の手が上がった。フランシスは拳を握り
「船長を殺す気はないんだろう」
「もちろん。これは君たちを追い詰めるためだよ」ジョルジュが微笑む。
「そして…仲間が追い詰められる姿をどこまでジョン船長が黙って見ていられるか」
ぐいっとマリクの頭が持ち上げられる。
「よく分からないって顔をしてるねマリク」
覗き込んでくる左目をマリクは見返す。
「あなたは…いい人です」
ジョルジュは尚も微笑み
「無理しなくていいんだよ。私も自分がいい人間だなんて思ってないからね」
マリクの眼前に冷たい刃がかざされる。
「私が分からないかい?理解できないかい?」
狂気を帯びた左目が、目の前で揺れる。
「ならマリク…君も生きながら顔の皮をはがれてみろ…徐々に…もがき苦しみながら!」
ナイフがマリクの顔に突き立てられた。全ては一瞬の出来事だった。マリクが砂の上に
崩れ落ちる。
「…あなたはいつも私の邪魔をする」しびれた手を押さえ、砂の上の砕けたナイフを見つめジョルジュが呟いた。フランシスが背後を振り返り叫んだ。
「船長…!」
グランが隙をついてマリクを担ぎ出し、ジョルジュたちから引き離す。それを見届けたジョン船長は、握っていた拳銃を砂浜に放り投げた。不安げに見上げるフランシスの肩に手を置き、船長はジョルジュに向かって歩いてゆく。代わりにジムがフランシスの肩を押さえた。海の上では軍艦からボートが下ろされ、海兵隊が乗り込んでいるのが遠目にも分かる。
「…私一人を捕らえるのに随分と手の込んだことをしたものだな」
「とんでもありませんよ船長…いえ、艦長」
痛みにもうろうとするマリクの目に、砂浜で対峙する船長とジョルジュが映る。
(艦長…?捕らえる…?)
「マリクを傷つけたところで復讐にはならないだろう」
ジョルジュが乾いた笑い声を上げた。
「失礼ですが艦長、あなたは何も理解していない。何一つ。本当に…」
その左目は怒りに燃えている。
「殺したくなるくらいに」
身を乗り出すフランシスをジムがつかむ。
「けどただ殺すだけじゃ私の気が済まなかったもので。もちろん、そんな簡単な死に方はさせませんよ」ジョルジュの背後に広がる海から何艘ものボートが近づいてくる。
「あなたにはもっと惨めに死んでいただかなければ…。私が味わった苦しみを少しでも理解していただくために」
ジムの手のなかでフランシスが身動ぎする。砂浜に乗り上げたボートから、銃を構え降りてくる海兵隊に紛れララミイ医師の姿があった。ボートから降りるなりララミイはジョルジュに駆け寄り、何やら耳打ちしている。
「…ありがとうございますドクター。お陰で」ジョルジュはジョン船長を見やり
「ようやく私たちはこの男から解放される」
「てめえ…難破しかけてたのを船長に助けられたのを忘れたのか!」
「忘れる?忘れられるわけがないじゃないですか…そうでしょう船長?もっとも…あなたの傷は名誉の負傷何でしょうけど」
顔の右半分を覆う布を戦慄く手がつかみ
「あなたが本当に私たちを助けたなんて思っているなら教えてあげますよ船長…たしかにあのとき私たちの船は難破しかけていました。積んでいた奴隷たちの反乱によって」
ジョルジュの言葉にマリクがはっとする。
「しかしその前に私たちは襲われていたんですよ。海賊船に」
パーチェスたちが勝ち誇ったようにこちらを睨んでくる。「まさか…」狼狽えたようにフランシスが呟いた。
「分かりませんか」あくまで冷静なジョン船長を見据え
「あなたが解放した、元奴隷の海賊船ですよ」
「そんな…どこにそんな証拠が」
「その連中がはっきり言ってたんだよ」ギルが忌々しげに吐き捨てる。
「『俺たちを解放してくれたバレンツ船長の名のもとに、俺たちの同胞を解放する』なんて偉そうにな」
「その連中と、解放されていい気になった奴隷たちに俺らの船長は海に放り込まれたんだ!おまけにジョルジュは…」
口ごもったパーチェスがちらりとジョルジュを見る。ジョルジュはジョン船長を見据えたまま何も言わない。
「だがそれで船長を恨むのは筋違いだろう」ぼそりと呟くジムにグランも大声で
「そうだ!そもそも奴隷なんか運んでた、お前らが悪いんじゃねえか!どんな目に遭おうと…」
「当然だとでも言いたいのか」
その声にさしものグランもたじろいだ。ジョルジュの殺気を帯びた怒りがこちらを威圧してくる。
「言っておくが俺たちは積み荷を運んでいただけなんだぜ。その積み荷と海賊に襲われた被害者なんだよ」
「それもこれも全部、奴隷どもを解放した挙句増長させている、そこの偽善者のせいだろうが!」
「勝手なことぬかしやがって…!」
ギルとパーチェスに挑みかかろうとしたグランを、ジョン船長が微かな身振りで制した。砂浜に新たなボートが着き、またララミイがジョルジュにささやいた。
「スペンサー艦長です」
ボートから海軍士官の身なりをした金髪の男が降りる。「ジョン船長」そう呼びかけるジョルジュは、心から微笑んでいるように見えた。
「いえ、ジョン・ウィロビイ・バレンツ艦長。あなたには英雄ではなく、罪人として死んでいただきます。あなたには…それが相応しい」
そこへ、海兵隊に守られたスペンサー艦長が近づいてきた。小柄な艦長はまずジョルジュに、次にジョン船長に目を据えてから「バレンツ艦長ですね」と高い声で訊ねた。
「失礼ですが…お会いしたことが?」
明らかに鼻白んだ艦長は、咳払いをすると
「以前…バルジの海戦で、あなたの艦に我が艦を拿捕されました。レディ・バーバラ号です…」
「そうでしたか」と頷いた船長の声にも表情にも何の感情も表れていなかったので、逆にスペンサー艦長の態度は怒気を含んで
「勘違いするな。我々は我が国の多くの商船を襲った罪により、海賊バレンツ船長を捕らえに来たのだ。従って、貴様に艦長に対する敬意を払うつもりはない。…おい」
艦長が顎で指図すると控えていた海兵隊たちが船長を取り囲んだ。「ああ」とそこでようやく艦長はジョルジュたちに目を向け
「君たちのことはドクターララミイから聞いている。もちろん、バレンツ船長にむりやり海賊にされた君たちを罪に問うようなことはしない」
その言葉にマーティンたち乗組員がほっと安堵の表情を浮かべる。
「ちょっと待てよ!むりやりって」
「ありがとうございます艦長」
グランの言葉を遮るようにジョルジュが進み出て
「お陰で私たちはまたもとのまっとうな船乗りに戻れます。海賊の手先はもうまっぴらですから」
艦長は大仰に頷き
「聞けば、君たちはスベリアの人間らしいな。我がグランドとスベリアは同盟国だ。互いの船員を保護するのも我々海軍の重要な責務だからな」
そこでまたジョン船長に向き直り
「海賊に落ちぶれたとはいえ、あなたももとはポルシカ海軍の艦長だ。縄で縛らずとも従ってくれますね」
答える代わりにボートへと歩き出した船長に、銃を構えた海兵隊が続く。ララミイにわずかに頷き、立ち去りかけたスペンサー艦長にフランシスが言った。
「これはグランド国王の命令ですか」
艦長は訝しげに少年を見やり
「我々はいついかなるときも国王陛下のご命令に従って動いている」
「ならばその国王陛下に伝えてください。いつになったら正しいことと愚かな行為の区別がつくのかと」
「フランシス」
見るとジョン船長が立ち止まり、横目でこちらを見つめている。左目でフランシス、ジム、グラン、そしてマリクをしばらく眺めた船長は、それからジョルジュたちを見やり最後によく通る声で言った。
「皆…付き合わせて悪かったな。これからは、自分たちの船で自分たちの進みたい道を進め」
「船長…」連行される船長を追おうとするフランシスをジムがつかむ。
「俺たちがいま下手に動けば先頭の立場を悪くする。それに俺たちを巻き込むのを船長が望んでいないことぐらい分かるだろ」
「けど…!」
ボートに乗せられ、沖の軍艦へと船長が運ばれてゆくのを、マリクは夢のなかの光景のように見ていた。いや、もしかしたらあの奴隷船でジョン船長に助けられたときから始まった夢が、いま終わろうとしているのかもしれなかった。
(どうして…)
問いかけるようにジョルジュの姿を追う。まだこれが、本当にジョルジュによって引き起こされたことなのか疑う気持ちのほうが強かった。
(どうしてこんな…)
と、パーチェスたちと話していたジョルジュがこちらを振り返り、ゆっくりと近づいてきた。身構えるグランやフランシスにジョルジュは笑って
「そんなに警戒することはないよ。君たちのことを心配しているんんだ…これからどうするのかとね。何なら、私たちの船に乗せてあげても構わない」
「私たちの船って…」
「おい!ダムピール号はジョン船長の…」
「さっきの話を聞いていなっかのかい?」
ララミイがいかにも小馬鹿にしたように肩を竦め
「我々が船を失ったのはもとをただせばジョン船長のせいなんだ。つまり、代わりの船を得る権利ぐらいは主張して然るべきだと思うがね」
「相変わらず手前勝手な自己弁護がお上手なようで安心しましたよドクター」
フランシスにどう言い返すべきか考え込んだララミイは置いておき、「マリク」とジョルジュが呼びかけた。
「君が決めればいい。仮にも次期船長だったんだからね」
そう言ってマリクを見つめる目は、親切に航海術を教えてくれたジョルジュのものだった。
(人を…見る目…)
遠ざかってゆくボートは、すでに木の葉のように小さくなっている。背後から漂ってくる煙の匂いが強くなってくる。
「僕は…あなたが悪い人には思えない」
「でも」マリクは顔を上げ
「ジョン船長を海軍に渡した…あなたについていくことはできない」
そのとき相手の左目をよぎった感情を、マリクはとらえることはできなかった。
「そうか」ジョルジュは穏やかに頷き
「ならば君たちには、この島に残ってもらうしかないな」言うなり踵を返し命令を発した。
「船を出す!急げ!」
とたんにパーチェスたちがダムピール号を停泊させている入江へと駆け出す。その後を、ララミイと話しながら遠ざかってゆくジョルジュの後ろ姿に、グランが舌打ちする。
「奴が新しい船長なのも織り込み済みってか?どこまでも悪だくみの好きな連中だぜ」
「しかしなあ…ジョルジュの奴がそんな思いを抱えてたとはなあ」
「感慨になんかふけってんじゃねえよジム」
「皆…ごめん、僕…」
「謝るな」いまさらのように不安になるマリクにフランシスが言った。その目は水平線の彼方に消えようとしている軍艦に向けられている。
「お前は間違っていない。ジョン船長も…きっとこういう事態を予測していた」
どういう意味かマリクには分からなかった。
「ようし、そうと決まりゃ善は急げだ!」
「まあ、船長は助けてくれとは言わないだろうが」
「そんなことは関係ない!おいマリク、グズグズするな」
ジョルジュたちとは反対の方角に走り出す三人を、マリクは慌てて追い駆ける。
やがて、つい数時間前までいた砂浜に出た。そこに置かれたあの小船の上に、ジョージがちょこんと座っている。
「ジョージ!こんな所にいたのか」
「おい」船を覗き込んだグランが呟いた。船のなかにはいつのまにか、小さな樽と麻袋が二つ積まれている。麻袋の片方には堅パンや干し肉が、そしてもう一方にはコンパスに十字儀、海図が入っていて、樽の中は水で満たされていた。
「もしかして…船長が本当にこうなることを予想して」
「それだけじゃないぞ」小船に乗り込んだジムが
「マストの角度も微妙に変えてある」
船尾を覗くグランも笑って
「舵板もひと回り大きくなってるぜ。いったいいつ用意したんだよ船長」
言いながらも鼻をこする。フランシスは船縁を握りしめ
「マストや舵板のことは以前から考えていたのかもしれない…けれど水や食料は軍艦が近づいてくるのを見て用意したんだろう。私たちがこの島に置き去りにされたときのために」
そのとき、島の岩陰から船が現れた。帆を輝かせ、沖へと出てゆくダムピール号の姿は、いつもと同じはずだが全く違う船に見える。静かに離れてゆくその船尾を、四人は黙って見つめる。
「…どこに行くのかな」
「どこへなりと失せやがれ!」
グランが吐き捨てる。ジムが顎を撫で
「船長も言ってたろ?これからは自分たちの道を行けってな」
「しゃべってる暇はないぞ。この火がどこまで広がるか分からない」
背後の山は、すでに半分くらいまで火が回っている。
「どこに行くの?」
船を押しながらまた訊ねるマリクに、「決まってるだろ」とフランシスが答えた。
「グランドへ行って、船長を助けるんだ」