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美女


     **

 湿った、涼しい夜風が吹きつける岸壁で、マリクは夜空を見上げていた。

 緯度の低いポート・コリンでは、うみへび座はだいぶ高い場所に浮かんでいる。

 懐にもぐっていたジョージが小さく鳴き、マリクはようやく視線を下ろした。

「そういや腹減ったなあ。帰るか」

 言いながら立ち上がると、傍らに置いてあった釣り竿とバケツを取り上げた。


「腹減ったあ…」

 夕飯を終えたばかりにもかかわらず、上甲板に佇むオルギア号の面々に満足の表情はなかった。

「贅沢言うんじゃありません!少しは我慢しなさい!」エプロン姿のアルバートが皿を洗いながら怒る。「そうだぞ」とフランシスがコーヒー片手に

「食料品の値段がむちゃくちゃになっているんだ。しばらくはジャガイモとトマトとゆで卵で我慢するんだ。健康にもいい」

「だ、だったら俺たちもあのぶんどった金塊を使って…」

 フランシスに冷たく見返され、マークが首を竦める。

「言っただろう。あれは呪われた宝だ。そんなもので浮かれ騒いでいる他の連中と同類になりたいのか」

「あ、はいはい!呪われた宝の話なら南の大陸にもあるよ!」ワムルが手を上げ

「それはガラガラヘビの卵くらいあるルビーなんだけど、手にした人間は必ず悲惨な死に方をするんだって!全身に謎の吹き出物ができてもがき苦しんだり、槍で顎から串刺しにされたり…」

 ワムルの話に誰もが押し黙った。

「…ガラガラヘビの卵のでかさが分かんねえよ」

「でもさあ」マークが甲板にひっくり返る。

「じゃああの金塊はどうすんだよ?使わねえなら積んでおくことねえじゃねえか」

「それはいずれ考える。それより…気になるのは」

 フランシスは家々のように港に並ぶ海賊船の明かりを見やり

「これだけの海賊が集まっているのに…たとえ値段は上がっても島の食糧が尽きることがない。船の修理用の木材は相変わらず不足しているのにだ」

「ああ、それは」皿を拭いていたウィルが顔を上げ

「市場でちょっと聞いたんですけど、最近大きな商船が入ってきたらしいですよ。もちろん密貿易船でしょうけど、店のご主人の話だと、どうやらスベリア船じゃないかと」

「スベリア船…」

 そもそもこのポート・コリンの住人は、貧しさや境遇など様々な理由で祖国を捨ててきた人々で、その大半はグランドやポルシカの人間だ。当然、国は島との貿易を認めておらず、ここにくる船のほとんどが海賊船と密貿易船だ。

 まして、密貿易などする必要がないほど国が潤っているスベリアの船が、流されでもしない限りこの島に近づくことはない。

「スベリア船が…何故…」

「んなことよりフランシス」ラカムが真剣な表情で

「こんな飯が続いたら俺たちはともかく、グランがもたねえだろグランが。海よりも深い胃袋を持ったグランが」

 隅に横たわっているグランに誰もが目をやる。グランの背中がボソボソと呟いた。

「俺の心配はいらねえ…。ただこの船が動かなくなるだけだ」

「ほらみろ。拗ねちまってるじゃねえか」

「そういえば…もう一人の大食いはまだ帰ってこないのか?」

 甲板を見回すジムに答えるように、マリクが舷側から顔を出した。

「いやあ、遅くなっちゃった。思いがけなく大漁でさあ」

 差し出したバケツには一杯の魚が入っている。

「肉だ…魚の肉だ…」

「貴重なたんぱく質だ…」

「アルバート!いまからこれ料理できるか?できるよな?」

「もうかまどの火は落としましたが」

「じゃあ、甲板で塩焼きにしようぜ!」

「やめろ」

「頼むよー生きがいいうちにさあ」

 ふんっと鼻息で髭を揺らし、アルバートがバケツを覗き込む。

「イワシばっか…」

「だめ!?イワシだめ!?」

「ブイヤベースにするにしても時間がかかりますね…アヒージョにでもしますか。ワムル!ドルガ!手伝ってください」

「ほーい」漁師の息子と船で一番器用な男が選抜されて厨房に入ってゆく。

「ドルガ、ハルは置いていけ」

 フランシスに言われドルガが帽子を上げると、なかから白い鼠が飛び出て甲板のどこかへ駆けていった。ラカムがマリクの肩を叩く。

「よくやったなマリク。この世界一魚に好かれる男」

「それほめてるのか?」

「ずっと岸壁にいたのか」フランシスも近づいてきて訊ねる。

「ああ。と言っても港の端のほうの岸だけど」

「妙な船に気づかなかったか」

「妙な船?」

「どうだ」フランシスが試すようにマリクを見る。

「お前の目の良さと船を見分ける能力だけは買ってるんだ」

「だけ?それだけ?」言いつつもマリクは懸命に記憶を手繰る。

「そういえば、でかい商船がいたな。他のに比べてやけに立派な」

「それで?」

「船尾楼がやけに高かったからスベリアの船っぽく見えた」

「やはりそうか…」考え込むフランシスに、ジョージにバナナを与えながら「あ、そうそう」とマリクが付け加えた。

「その船から降りてきたご婦人にモーガンがついていってた」

「…何?」

「おいおいマジかよそりゃ」

「まあ遠目だったけど…あんな頭した奴はそうはいないだろ」

 

 何本もの、細長く編んだ髪の先にぶら下げたコインが、揺れてカチャカチャと鳴る。

「尾行には向かねえなこの頭は…」

 髪を押さえながらモーガンが独り言ちる。幸い、尾行の相手は気づいた様子もなく先を進んでゆく。

 船での食事がしけていたので、酒場にでも繰り出そうとウロウロしていたら出会ってしまった。絶世の美女に。

 勿論、アン船長のときの失敗もあるので、今回はいきなり抱きついたりはしなかった。酔ってもいなかったので、紳士にその美女をお茶に、いや酒場にお誘いしたのだ。そして数秒で断られた。用事があるからと。しかしそこで挫けるモーガンではない。ならばとボディーガードを買って出た。

「いまこの島は海賊であふれ返っています。もうすぐ陽も落ちます。あなたのような美しい方が一人で歩くのは危険すぎます」

「まあ」とその美女は長いまつ毛を伏せ気味にモーガンを見つめ

「でも…あなたも海賊なんでしょう?」

 モーガンを恋に落とすにはそれで充分だった。美女が立ち去ったあとも、そのあとをこっそりと「海賊紳士の義務」と称してこっそりつけてきたのだ。そしてやはり美しい、その後ろ姿に見とれながらたどり着いたのは、夜目にも白い白亜の建物だった。

「ここはたしか…キース船長の…」

 ホテル・デッドアイの門越しに、美女が消えた玄関を眺めモーガンが呟く。

 海賊が(マリクの話では元海賊になったらしいが)買い取ったとはいえ、ホテルである以上商船の人間と取引があっても不思議ではない。

「海賊の大親分と差しで商談をする女商人かあ…いいねえ凛々しくて」

 門の鉄柵に張り付き、一人かってな妄想に浸るモーガンの肩を誰かがつかんだ。

「あ?」振り向いたとたんに殴られ、倒れ込んだモーガンの体がホテルのなかへと引きずられてゆく。その様子をホテルの窓から見下ろす、キース船長の姿があった。



「知らねえな、そんな女」商船の乗組員はつっけんどんに二人に答えた。「そうか」とフランシスは肩を竦め

「この船からものすごい美女が降りてきたってこいつが言うもんだからさ。どれほどのものか拝みに来たんだが」

 男はちらりとなりのマリクを見やり

「そいつはご苦労なこったな。だが残念ながらこの船はむさ苦しい野郎しかいねえよ」

「ああ、こいつはいつも馬鹿げた勘違いをするからな」

 親指で指され、マリクがニカッと笑う。「大方」フランシスは商船の船首像を見上げ

「この別嬪の船首像と見間違えたんだろう」

「おい」とたんに男の声に力がこもる。

「言葉に気をつけろ…。用は済んだんだろ、さっさといけ」

 犬のように追い払われた二人は、商船から離れながら

「やはりあの船はスベリア船に間違いないな…あの船首像はスベリアの聖人、聖ベルガローナだ。たとえ国がバレる危険を冒しても、聖人の船首像を外すようなことはしたくなかったんだろう…それだけスベリア人にとって聖人の存在は絶対だからな」

「しかし、何でその女の存在を隠すんだ。別に商船に女が乗ってたっていいだろう」

「恐らく…その女は商船の乗組員じゃない。乗船名簿にも記されていない…存在しない女」

「ははあ」マリクが頭の後ろの両手を組む。

「よく分からんがモーガンが厄介なことに巻き込まれらしいのは分かった」

「ああ」フランシスは輝く海に顔をしかめ

「それが分かれば充分だ」


 いい夢を見ていた。やたら力の強い美女に殴られる夢だ。

「…寝ながら笑ってますよこいつ」

「そうね、そろそろ起きていただいたら?」

 とたんに頭を蹴られ、呻きながらモーガンが目を開けると、側にあの美女がいた。しかしもっと側に背の高い男がいて、こちらを見下ろしている。鋭い目つきと色素の薄い髪や肌が、白い猫を連想させた。とびきり凶暴な猫を。

「何故殺さないんです」

 猫男が感情の無い声で美女に訊く。美女は微笑み「私だってそうしたいわ」と答える。その笑顔はあくまで美しい。

「でも船長が理解してくださらないのよ。『怪しきは殺せ』という私たちの常識を」

「何て非常識な!」と言いかけ、モーガンはようやくこの部屋の豪華さと部屋の窓際に立っている人物に気づいた。じっとこちらを見るキース船長の目も、やはりどこか警戒している。

「君は…マリクの船の乗組員だな」

「へ?ええまあ…」

「何を探りに来た」

「はい?」

「とぼけなくていい…マリクの命令で探っていたんだろう。マリクは何か気づいているのか」

「何かって…何を?」

「あら船長」美女が優雅に二人の間に進み出るとモーガンを見下ろし

「尋問ならトトの仕事よ。彼の仕事をとらないでくださる?」

 トトと呼ばれた猫男がモーガンの首根っこを片手で引っ張り上げる。

「ばっ…放せ猫野郎!人を猫みたいに!」

「でも駄目よトト」

 モーガンが放り出される。

「そんな時間はないわ。早く船を出さないと待ち合わせに間に合わないわ」

 美女がトトの腕を取り

「あの方をお待たせするわけにはいかないでしょう?」

 それからモーガンに一瞥をくれるとキース船長に向き直り

「この人の処分はお任せします船長。けれど間違っても、私たちの計画に支障をきたすことにはならないように」

「…分かってますよ、レディ・エ…」

 船長がとっさに口をつぐみ、モーガンがはっとする。名前を呼ばれかけた美女の顔が威嚇するように険しくなった。だがそれも一瞬のことで、いつもの美しい顔に戻ると「軽々しく口にしないでくださる?」とひと言釘を刺した。それでも苛立たしげな足取りで部屋を出てゆく美女と、そのあとに続くトトの姿が消えたとたん、モーガンがキース船長に向かい「名前…あの美女の名前は何て言うんすか」

 ぬっとトトが扉の向こうから顔を出したので、モーガンは口笛を吹いて誤魔化した。

「君は…本当に何も知らず彼女についてきたのか?」

 二人が完全に立ち去ってから、信じられないという面持ちで訊くキース船長にモーガンが「美人ということが分かってるだけで充分じゃないですか!」と言い切った。キース船

 猫男が感情の無い声で美女に訊く。美女は微笑み「私だってそうしたいわ」と答える。その笑顔はあくまで美しい。

「でも船長が理解してくださらないのよ。『怪しきは殺せ』という私たちの常識を」

「何て非常識な!」と言いかけ、モーガンはようやくこの部屋の豪華さと部屋の窓際に立っている人物に気づいた。じっとこちらを見るキース船長の目も、やはりどこか警戒している。

「君は…マリクの船の乗組員だな」

「へ?ええまあ…」

「何を探りに来た」

「はい?」

「とぼけなくていい…マリクの命令で探っていたんだろう。マリクは何か気づいているのか」

「何かって…何を?」

「あら船長」美女が優雅に二人の間に進み出るとモーガンを見下ろし

「尋問ならトトの仕事よ。彼の仕事をとらないでくださる?」

 トトと呼ばれた猫男がモーガンの首根っこを片手で引っ張り上げる。

「ばっ…放せ猫野郎!人を猫みたいに!」

「でも駄目よトト」

 モーガンが放り出される。

「そんな時間はないわ。早く船を出さないと待ち合わせに間に合わないわ」

 美女がトトの腕を取り

「あの方をお待たせするわけにはいかないでしょう?」

 それからモーガンに一瞥をくれるとキース船長に向き直り

「この人の処分はお任せします船長。けれど間違っても、私たちの計画に支障をきたすことにはならないように」

「…分かってますよ、レディ・エ…」

 船長がとっさに口をつぐみ、モーガンがはっとする。名前を呼ばれかけた美女の顔が威嚇するように険しくなった。だがそれも一瞬のことで、いつもの美しい顔に戻ると「軽々しく口にしないでくださる?」とひと言釘を刺した。それでも苛立たしげな足取りで部屋を出てゆく美女と、そのあとに続くトトの姿が消えたとたん、モーガンがキース船長に向かい「名前…あの美女の名前は何て言うんすか」

 ぬっとトトが扉の向こうから顔を出したので、モーガンは口笛を吹いて誤魔化した。

「君は…本当に何も知らず彼女についてきたのか?」

 二人が完全に立ち去ってから、信じられないという面持ちで訊くキース船長にモーガンが「美人ということが分かってるだけで充分じゃないですか!」と言い切った。キース船長はたじろぎ

「そうか…さすがマリクの仲間は何と言うか…変わってるな」

 それから憐れむようにモーガンを見つめ

「君を殺しはしない」

 ほっとするモーガンの向こうで「マチュリン」と呼ばれ、大男が入ってきた。ホテルの従業員の身なりはしているが、不必要に筋肉のついた両腕と傷だらけのいかつい顔が、もともとそうではなかったことを証明している。

「この男を地下室に閉じ込めておけ。死なない程度にな」

「ええっだって殺さないって」

「だから死なない程度にな」

「ええええっ俺閉じ込められただけで死んじゃうと思うなあっほら繊細だからああ」

 喚くモーガンがマチュリンに引きずられてゆく。キース船長は再び窓の外に目を向ける。

 港には相変わらず海賊船がひしめき、そのなかを一隻の船が引き船に引かれて出てゆく。ミス・エヴァたちの行動の速さに船長は内心舌を巻いた。商船はゆっくりと青く輝く海へと進んでゆく。

『お前は海賊には向かないな』

 昔、あの男に言われたことが脳裏によみがえった。片目を細めて笑う相手に、自分は「お前に言われたくない」と噛みついたものだ。あの日がひどく、遠くに思える。

「私が歳をとったせいだろう…」

 しかし自分がやろうとしていることは、ある意味最も海賊らしいではないか。そう思うと自嘲の笑みがこぼれた。彼方に見える水平線は、まだ穏やかだった。



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