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暗雲


  

   **

 規則的な波のうねりに、時折不規則なものが混じる。

 それが戦列艦ロイヤル・ジェイムズ号の巨体をわずかに傾がせ、繊細な乗組員たちの胃を落ち着かなくさせていた。

「何もこんな時期に南にいかなくてもなあ」

 どこかに嵐がいた証拠の黒い千切れ雲が流れてゆくのを見上げ、操帆員たちが小さくぼやく。季節の変わり目のいま、大気が安定しないうえに海水温も上がりやすく、いつとてつもない嵐が発生するか分からない。

 しかし、乗組員たちを落ち着かなくさせているのはそんな天候の問題だけではなかった。グランドを発って五日、ようやく密封命令書が開かれ、いま艦長室で士官たちがこのロイヤル・ジェイムズ号の航海の目的を知らされているのだ。


「我が艦の目的は」 

 スプリングス艦長はそこで切ると、ギロリと部下たちを見回した。陽気さの欠片もない人物だが、何かと勿体つけるのが大好きだった。

 部下たちがジリジリしだすのを確認してから、艦長は命令書に目を落とし

「我が艦の目的は、海賊討伐を行うスベリア艦隊の援護。及び我が国の商船を襲い、我が国の通商を破壊する海賊、マリク・クルドを捕らえ、本国に護送すること」

 自分の言葉をとっさに理解できていない部下たちを、満足げに眺める艦長に副長のカリアスがまず訊ねた。

「あの…海賊一人を捕まえるために…?」

 確かにマリク・クルドと言えば近頃グランドでも人々の口にのぼる海賊だ。曰く、赤い悪魔だの赤い英雄だのと呼ばれているが、赤の男爵アンソニー・キースに比べれば小物の部類で、部下の数もせいぜい数十人程度らしい。

 そんな海賊のために、たとえ第三級とはいえわざわざ戦列艦を派遣したというのか。

「海賊一匹に、随分と大仰ですね」軽口を叩くホークス二等海尉を艦長はねめつけ

「これは海軍省ではなく、国王陛下直々のご命令だ。万が一にも失敗は許されん」

 国王と言う言葉に、オウディ・ドーリス三等海尉ははっとした。

「それに、恐らくこれは君たちもまだ知らんだろうが」

 再びスプリングス艦長は充分に間を置いてから

「マリク・クルドはグランドの人間だ。我が国にとって恥ずべき存在なのだ」

 カリアスとホークスは驚くより訝った。どこからそんな情報を手に入れたのか。

「奴隷船…だからじゃないんですか」

 その言葉に全員の目がオウディに向く。

「噂では、マリク・クルドが襲うのは主に奴隷船だと聞きます。だから…」

「だから何だと言うのだ」スプリングス艦長の額に力がこもる。

「何を積んでいようと、奴が我が国の商船を襲っていることに違いはないだろう」

 ひと呼吸置き、オウディは艦長をまっすぐ見据え

「海賊は国のひずみから生まれ…国と国のひずみの間で暗躍するものです。出現するものをいちいち撃退し、捕獲するのは根本的な解決には…」

「まるで」鼻で笑いながら艦長が遮った。

「国が悪いとでも言いたいようだな。ドーリス海尉」

「私は…」

「いまここで君と海賊や政策について議論するつもりはない」ぴしゃりと艦長は命令書を叩き

「本艦はこのまま偏西風を使って東に進み、一五〇度で南へ転針、貿易風に乗る。目的地は…」

「ドーリス海尉」士官たちが部屋を出てゆくとき、スプリングス艦長が呼び止めた。

「国王陛下の判断に意見するのは、海軍士官として慎んだほうがいい。たとえ君が」

 艦長が口を歪め

「ゆくゆくは国王陛下の相談役になるとしてもな」


「ゆくゆくは国王陛下の相談役になるかもしれない奴に皮肉とは、艦長も言うねぇ」

 甲板に出るなり肩を叩くホークスに、オウディは「よしてください」とその手を払う。「そんなわけないじゃないですか」と言いかけてオウディは口をつぐんだ。この艦に乗っている人間は、艦長を含め誰一人国王陛下が危篤であることを知らないのだ。

「お、おい、そんなに怒らなくてもいいだろ」

 黙り込んで海に視線を向けるオウディにホークスが慌てる。

「たしかに気に食わないな」

「そんな、ヴィルさんまで」

「いや、お前のことじゃない」カリアスは眉をひそめ

「国王陛下は…十二年前と同じことをしようとしているのかもしれん」

(やはり…)当直まで休んでいろと言われ、昇降階段を下りながらオウディが拳を握る。ロイヤル・ジェイムズ号の出航は国王が危篤になる前から決まっていたことだ。つまり艦長が言ったように、国王自身が出したこの命令はそのまま次期国王であるエイレーネへの命令でもあったのだ。

 即ち、グランドの奴隷貿易を継続しろという…。

 新国王として国民にその意思を表明するために、エイレーネにマリク・クルドを絞首台に吊るさせるのが目的だった。

 十二年前のエイレーネの怯えた表情を思い出し、オウディは暗がりで唇を噛む。

 あの方は父親として、娘の手を汚させることもためらわないのか。

 上の甲板から、帆の向きを変える号笛の音が高らかに響いてきた。




「有り得ない!」

 ポート・コリンの市場の真ん中で、アルバートが大声を上げる。

「魚が一匹五十リング!?これは侮辱ですか!?それとも挑戦ですか!?」

「文句があるならよそにいけよ」

 魚屋の店主は面倒臭そうに

「別にあんたに買ってもらわなくたって、もっと高い値で買ってくれる海賊はいくらでもいるんだ」

「い、いきましょうアルバートさん」

 ワナワナと震えるアルバートの袖をウィルが引っ張る。二人は再び雑多な物と人であふれかえる市場の道を歩き始めた。

「狂ってる…病んでますよこの町は!肉も魚もスベリアの十倍の値段ですよ!?有り得ない!」

 まだ憤懣やるかたない様子のアルバートに、既に買い込んだ大量の荷物を抱えたウィルが

「仕方ないですよ。この前の嵐で、黄金を積んだ海賊船がさらに押し寄せてきたんですから。この島はいま、海賊と金であふれているんです…物の値段もどんどん上がっていきますよ。フランシスさんも言ってたじゃないですか」

 しかし、アルバートの表現もあながち大袈裟とは言い切れない。熱帯の強い陽射しの下、市場を行き交う人々の喧騒やその目付きは、興奮を通り越してどこか狂気を帯びている。

 いや、ポート・コリン全体が、海賊と黄金が増えるごとに火薬のような危うさを帯びてゆく気がするのだ。

(船長…)

 市場を見下ろす丘の上に建つ、ひと際壮麗な建物をウィルは不安げに見つめる。

(面倒なことに巻き込まれてなければいいけど…)


 ポート・コリンで最も巨大で堅牢な建物、ホテル・デッドアイは、島の高台にあって港に集まる船を見下ろしている。堅牢ではあるが陽射しに輝く優美な白亜の建物とその名前が不釣り合いなのは、もとはこの島を治めていたスベリアの総督の屋敷だったものをひと昔前の海賊たちが奪って名付けたからだ。

 そのホテルの一室から、港を見下ろしていたキース船長がようやく振り返った。

「やはりパローナとシンガーは来ないようだ」

「あんな連中ほっといてさっさと用件に入ってくれよ。俺は待つのが苦手なんだよ」

 三人掛けの長椅子を一人で占領するヴォリス船長がジョッキ片手に言う。

「ほう?酒さえ出せばどこにでも現れるともっぱらの噂だが」

 一人掛けの椅子でゆったりとワインを傾けるブラウン船長に、ヴォリスはその尖った鼻を鳴らし

「そう言うてめえは船乗りのくせにワインしか飲まねえ気障野郎って噂は本当らしいな。奪ったお宝で上流気取りか?」

「耳が痛いな」キース船長は金色の髪と髭に覆われた丸顔を歪める。船長はこのホテル・デッドアイをスベリア船から奪った財宝で買い取ったばかりなのだ。

「船長は何も上流階級を気取るつもりはないのでしょう」

 涼やかな女性の声が響く。「それより」とアン船長が隣の椅子で鼾をかいている男を見やり「寝ているうちにこの男を撃ち殺していいですか」

 キース船長はため息をつくと声をかけた。

「マリク…マーリーク!おいマリク!!」

 怒鳴られようやくマリクが跳ね起きた。

「す、すみません…この椅子があんまり座り心地が良くて」

「座り心地じゃなくて寝心地だろう。よだれを拭け。さて」

 キース船長は集まった四人の船長を見回し

「四人でも充分だろう…。わざわざ集まってもらったのは他でもない、諸君に折り入って頼みがあるんだ。実は諸君の船に、私の船の乗組員たちを加えてもらいたいんだ」

 しばし沈黙が流れ、四人の船長がキース船長をまじまじと見る。「つまり」アン船長が慎重に訊ねる。

「キース船長は…海賊を…」

「おったまげたな!」ヴォリスが椅子にふんぞり返って笑い出す。

「ちょっとスベリアのお宝を手に入れたぐらいで『赤の男爵』が海賊を引退だあ?ははあ、このホテルは老後の備えってわけか。歳はとりたくねえなあ」

「うるさいぞヴォリス」ブラウンがキース船長に向き直り

「本気なんですかキース船長」

 キース船長は黙って頷く。その穏やかな表情に、強い決心が窺えた。

「当然、乗組員たちも納得済みなんですね」

「ああ。私と一緒に引退するものはポート・コリンで商売を始めるか、このホテルで働きたいと言っている。面倒を見てもらいたいのはまだ海賊を続けたがっている者たちだ」

「何人です?」アン船長が訊ねる。

「ざっと百人ぐらいか」髭を撫で答えるキース船長に、短い金髪をかきあげ「分かりませんね」とブラウンが言う。

「それだけいるならその連中にアナスタシア号を渡して海賊を続けさせればいい」

 アナスタシア号はキース船長の船で、三百トンとポート・コリンに停泊している船のなかで一番巨大だ。キース船長は寂しげに微笑む。

「残念ながら私同様、彼女も歳でね。キール(竜骨)も補強しながら騙し騙し走ってきたんだが…先日の嵐で止めを刺された。ここまでたどり着けたのが奇跡だよ」

「成程ね」ラム酒をあおったヴォリスが盛大なげっぷをして

「その軌跡を天の思し召しだと考えた男爵様は、これを機会に海賊から足を洗って神に仕える決心をしたってわけだ。大海賊の引き際に相応しい話だな」

 アン船長はヴォリスを横目で睨んでから

「しかし、何故私たちにその話を?この島には他にも大勢の海賊が…」

「私が選んだ」初めて鋭くなったキース船長の目が、居並ぶ船長たちを見据える。

「乗組員を託せる人物かどうか、私が見極め選んだんだ。君たちを」

 再び沈黙が流れたあと、ヴォリスが吹き出した。

「『私が選んでやった』ってか?さっすがもと貴族様は言うことが違うぜ」

「ヴォリス」たしなめるアン船長を無視して立ち上がり

「その程度のことでわざわざ呼び出すところが上品な貴族様だって言うんだよ。頼まれなくたって俺の船は誰でも仲間に加えるし、愚図やいけ好かねえ奴はどんな奴でも叩き出す主義なんだよ」

 言いながらラム酒の入った瓶をつかむと、「じゃあな」とヴォリスは部屋を出ていった。

「礼儀を知らないのは生まれのせいじゃないだろうに」

 ヴォリスの背に毒づいてからアン船長はキース船長に向き直り

「私は構いません。アナスタシア号の乗組員は優秀だと評判ですから、むしろ歓迎します」

「私も」ブラウン船長がグラスをかざし

「何人か引き受けましょう。商売敵が減ったうえに人手が増えるのなら、こちらにとってもこの上なく幸運です」

「ありがとう。アン、ブラウン」

 二人に微笑んだキース船長は、ふとその隣のマリクに目を止めた。また寝ているのかと思ったマリクは、その赤毛の下からじっとこちらを見つめている。

「マリク…お前はどうだ」訊ねられたマリクはとたんにおどけて

「うちの船じゃ俺の一存で決められないんです。残念ながら他の船長ほど権限がなくて」

 アン船長が眉をひそめる。

「では…お前の船では引き受けてもらえないのか?」

「検討のため一旦持ち帰らせていただきます」

「政治家か!」

「分かった」キース船長は頷くと、自分よりはるかに若い船長たちに微笑んだ。

「今日はわざわざ集まってもらって悪かったな。どうか…年寄りの最後の願いと思って許してくれ」


 ホテルを出たとたん強い陽射しにさらされ、目まいを起こしかけたマリクの肩に白い小猿が飛び乗った。

「ジョージ、お前どこ行ってたんだ?この暑いなか」

 ふと目をやると、ホテルの門の脇に大男のタンガが立っている。

「マリク」

 呼ばれて振り向くと、ホテルから出てきたアン船長がつかつかと寄ってきて「どういうつもりだ」と訊ねた。

「何が?」

「とぼけるな!フランシスはお前は来る者は拒まないと言っていたぞ!それなのに何故キース船長の申し出に勿体ぶって返事をしなかった」

 マリクは答えず、金色に輝くホテルの白壁を見上げる。

「…いい建物だよな」

「何?」

「ここでホテルの主人としてのんびり過ごすのも…悪くないかもな」

「お前…まさかこのホテルを狙って…」

 くるりとアン船長に背を向けたマリクは

「あんたもロブと話し合ってから決めたほうがいいぞ。俺もとーってもとーっても優秀な副長に相談するから」

「それは嫌味のつもりか!?」

 前を通り過ぎるマリクに「アン船長は立派な方だ」とタンガが言った。

「いくつもの嵐を越えてきた」

 それから見上げてくるマリクの肩を指さし

「そいつから聞いた…あんたもたくさん嵐を越えてきた」

 マリクとジョージが顔を見合わせる。タンガが頭を振り

「そうは見えない」

 背後でアン船長が吹き出し、マリクは顔をしかめ

「悪かったな貫禄が無くて。これでも七つの海を越えて幾つもの嵐に揉まれてき…」

「その嵐じゃない」タンガの黒い瞳がじっとマリクを見下ろす。

「行こうタンガ。こんな鰻か鯰みたいにつかみどころのない奴は相手にするだけ時間の無駄だ」

 言い捨てて去ってゆくアン船長にタンガが従う。遠ざかる二人の背中からまたマリクがジョージに目を向けた。

「お前…本当にタンガと話したのか?」

 ジョージは小さな歯をむいてニッと笑って見せた。


 門を出てゆく赤ずくめの人物を、キース船長は窓からずっと見下ろしていた。

「あんな格好をしていると…全く似ていなくとも思い出してしまうな」

 あの男と酒を酌み交わしたのが、ひどく昔に思える。

「まさか、バレンツ艦長のことじゃないですよね」

 一人残ったブラウン船長が不服そうな目を向ける。そう言えば、この男は元ポルシカ海軍艦長だった。そしてポルシカの人間にとって、あの男はいまでも英雄なのだ。

「それより」とブラウンはグラスを置き

「マリクが断った場合、私とアンで百人を引き受けるのは少々無理があります。いくら船の上はいつでも人手不足と言っても」

「ああ」キース船長は窓を向いたまま

「この際他の海賊にもあたってみよう。乗組員たちも海に出るためなら多少の我慢はするだろう」

「不満があるなら反乱を起こせばいいんですよ。海軍なら死刑ですが、海賊ならそれが許されている」

 ちらりと船長が振り返る。

「ブラウン…いまこの島にどれだけの海賊が集まっているか知っているか」

 ブラウンは肩を竦めて見せる。

「ざっと二千というところだろう。つまり、スベリアの財宝狙いの海賊がほとんど集まっている」遠くに見える港にひしめく船に船長が呟く。

「まさに壮観だな」

 ゆっくりと立ち上がったブラウンがキース船長の背中に言った。

「ほとんどかもしれませんが、全てではありませんよ。それに船長、海賊なんてものは国と国のひずみからいくらでも生まれてくるものです」



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