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海賊島


   **

 ポート・コリンは、新大陸の北と南をつなぐ細長く険しい山脈の東側に浮かぶ小さな島の通称だった。もともとは島にも名前があったが、港町のポート・コリンが海賊たちの街になってからは誰もがその名で島を呼ぶようになった。

「えれえ嵐だったな」

 街の大半をしめるのは宿屋と酒場で、そのほとんどが海賊相手に商売をしようとグランドやポルシカから渡ってきた、いわば国を捨てた人々によって営まれている。

「ああ、俺たちの船も慌ててここの港に逃げ込んだんだ。そしたら明け方には収まっちまったんで船長も拍子抜けしてたぜ」

 数ある酒場の一つ、セイレーン亭には昼間から酒を飲みに大勢の海賊たちが集まっていた。

「おい親父!もっと酒持ってこい!」

「ああ、店にあるだけの酒と食い物だ!」

 やけに景気のいい男たちに、店の主のドッドは太い眉をひそめ

「まさかとは思うが、ブラウン船長とキース船長の両方がお宝にありついたのか?」

「何も知らねえんだな」二人の男が声を合わせ、店中から笑い声が上がる。

「いまやスベリアの船は襲い放題なんだよ。スベリアの連中、陸を守るので手一杯でお宝を運ぶ船は野放しの羊状態なのさ!うちの船長なんかこんなしけた店じゃなくて今頃ホテル・オーランドを借り切って飲んでるぜ」

 と『隻腕』のブラウン船長の手下が言えば『赤い男爵』のキース船長の手下も

「うちの船長なんかホテルごと買い取ろうって考えだぜ!ちょっと南に航路を変えただけで俺たちの目をごまかせると思ってるなんて、ほんとスベリアの連中はお目出度いよなあ?」

 日に焼けた顔に黄色い歯をむき出して笑う海賊たちに、ドッドはビールを注ぎ足してやりながら

「ま、あんたらがこの町でその金を有るだけ使ってくれるんなら、俺からも喜んでお祝いを言うさ」

「けっ業突く張りめ」

「だったらさっさと酒持ってこい!おいお前ら!今日はキース船長の名前で奢ってやるぜ!」

「おいふざけるな!ここはブラウン船長の奢りだ!」

 セイレーン亭に雄叫びのような歓声が響く。ドッドは首を振りながらもニヤニヤして、ちらりと店の隅を見た。そこには店の騒ぎから取り残されたようにひっそりと飲んでいる男たちがいる。

「お宝にありつけなかった運の無い連中もいるらしい…」

 ドッドは独り言ち、酒を取りに店の奥へと消えていった。

「やっぱり妙だな…」

 騒いでいる海賊たちを横目に、フランシスが呟いた。その隣のマークが頷き

「たしかに妙だな。音楽もなしであんなに盛り上がれるなんて」

「そうじゃねえだろ!」どんっと向かいに座るラカムがラム酒のジョッキを置き

「こんな不味い酒で盛り上がれることがだよ!」

「…お前たちを一緒に連れてきた自分がいま理解できない」

 額を押さえフランシスがため息をつく。辺りを窺いながら声を潜め

「これだけの商船が襲われているんだぞ。どうしてスベリアは航路を変えるなり軍艦を増やすなりしない。襲ってくださいとでも言っているようじゃないか」

「それって…罠ってことか!?」大声を上げたマークの頭をラカムがテーブルに押さえつけ、フランシスにニヤリと笑う。

「読めたぜ…こいつあ恐らく…」

 そのとき、店の外からも何やら騒ぎ声が聞こえてきた。

「ここだ!ここに俺の仲間がいるんだよ!そいつらにお前なんかボッコボコに…」

 その声に三人の顔が曇る。何事かと海賊たちが視線を向けた入り口から、一人の男が蹴り込まれた。何本もの細長く編んだ髪の先にコインをぶら下げた、奇抜な頭の男はラカムたちの姿を見つけると

「ラ、ラカム!こいつをギッタンギッタンのケチョンケチョンにしてやってくれよ!俺を猫みたいに引きずり回しやがって!」

 喚く男のあとから褐色の肌をした禿頭の巨人が現れ、海賊たちは一斉に口をつぐむ。蹴り込まれた男はラカムのほうへと這い寄り

「ラカム!何とかしてくれよあの海坊主!」

「どちら様でしょうか」

「つ、冷たいなお前!仲間が危険だってのに!」

「仲間?誰が?お前が!?」

「ラカムー!」

 フランシスが盛大にため息をついた。

「今度は何をしたんだモーガン」

「うちの船長に」巨人が地響きのような声を出した。

「うちの船長に無礼した。こいつ、許さない」

 南の人間らしい、片言の北の言葉で話す大男に、フランシスが南の言葉で話しかけた。

 とたんに大男の口調が滑らかになる。いくらかやり取りが続いたあと、フランシスがにこりと大男に微笑んで言った。

「この男を煮るなり焼くなり好きにしてください」

「ってえええ!?フランシスー!?」

「うるさい。酔っぱらった勢いで彼の船の船長に抱きついたお前に、情状酌量の余地がるのか」

「うわ最悪だなこいつ」

「酒癖の悪さなら海賊一だなモーガン」

「お前ら!大事な掌砲長がどうなってもいいのか!」

 周囲の海賊たちとドッドは突然のこの騒動をニヤニヤと眺めている。

「とにかく、こいつ、罰与える」大男がモーガンの襟首をつかみ上げた。

「ひいいいっ助けてマーク!」

「罰ってどんな?」

「とりあえず全身の皮をはぐ」

「ああ…南の大陸での典型的な刑罰だな」

「納得するとこ!?」

「なあ、あんた」ラカムは笑って大男に

「こんな奴でも俺らの船にいなくちゃ困るんだ。皮をはぐのは勘弁してやってくれねえか」

「だめだ」大男は頑なに

「こいつ、船長に無礼した。重罪に値する」

「ああ?」ラカムの目付きが変わる。

「俺がこうして頼んでるってのに聞けねえって言うのか?」

「これ、こっちとその男の問題。お前、何言おうと関係ない」

 ラカムがゆっくりと立ち上がり、大男と睨み合う。

「あーあ、さらにややこしくしちゃってるよ」

「いけラカム!やっちまえ!」

「…二度とお前たちに上陸許可は出さないからな」

「外に出ようぜ」愛用のカトラスを取りラカムが言う。

「こんなシケた店でも迷惑かけりゃ後々面倒だからな」

 ドッドが何か言いたげに眉を上下させる。

「…いいだろう」

 大男がくるりと背を向けた拍子に、ちょうど店に入ってきた男を突き飛ばした。

「…大丈夫か」派手にひっくり返った相手に大男が訊ねる。頭をさすりながら起き上がった黒髪の男ははっと顔を上げ

「タンガ!もういい加減にしろ!船長だっていまはそんなことより医者を…」

 言っている男の目が酒場でひと際目立つフランシスにとまった。

「あああー!!」

「人を指さすなロバート」うんざりするフランシスがはっとして

「お前がここにいるということは…」

 次の瞬間、ロバートを押しのけまた新たな人物が現れたかと思うとフランシスに駆け寄った。

「フランシス…よかった、あなたがここにいてくれて!この島にはろくな医者がいなくて」

 酒場にいた男たちが突然現れた人物に呆気に取られている。フランシスはしがみつく金髪の美女に優しく微笑んだ。

「私にできることでしたら何なりと、アン船長」

 その名に海賊たちが騒めく。

「アン…?あのアン・ボーネットか?」

「ネメシス号の船長の?」

「まさか…お前が抱きついた船長って…」

 横目で見下ろすラカムにモーガンはふんぞり返って

「いくら酔っぱらってるからって俺が男に抱きつくわけないだろ」

「たしかに」マークが肩を竦め

「女癖の悪さもお前は海賊一だよ」



 

 冷たい廊下に出て重たい扉を閉じると、エイレーネはようやく息をついた。

 威嚇するような暖炉の炎と、居並ぶ人々の沈黙。部屋のなかの全てがいまの自分にとって息苦しかった。

 暗がりのなかで深く息をついたとき、人の気配にはっと目を向けると廊下の隅に軍服姿の青年が立っていた。

「オウディ…」

 数少ない気を許せる人物の姿に、エイレーネはほっと力が抜けるのを感じた。

「てっきり、もう出港したのかと」

「ええ…その前に家のほうに挨拶に寄ったら、伯母がこちらに呼ばれたと聞いて…」

 ためらいがちな相手の口調にエイレーネはうつむく。

「殿下…陛下は…」

「オウディ」王女は友人の目を見ずに話し出した。

「あなたは…こういう場に立ち会ったことがある?病に侵された人間が…何かを言い残そうとしているような」

「殿下…?」

「やっぱり、意識がもうろうとしていて、まともに信じられるような言葉じゃないのかしら…誰でもそう思うわよね?」

「殿下!」オウディが王女の肩をつかむ。暗がりのせいか、王女の輪郭がひどく細く儚げに映る。

「どうしたんですか…陛下は?」

 エイレーネがまっすぐにオウディを見た。その黒い瞳に浮かんでいたのは、オウディの予測に反して怯えや混乱ではなく、それ以外のあらゆる感情だった。

「そうね…きっとあなたの伯母様も証人になってくださるわ」

 徐々に強くなっていく王女の声に、オウディは何かしら巨大なものが闇の向こうから迫ってくるのを感じた。

「お父様は…国王陛下は…」オウディの目はもう王女を見ていない。

「私を次のグランド国王にすると、はっきり仰いました」

(早く…)

 どこかで鐘が鳴っている気がした。

(早く…艦に戻らなければ…)




「ではではーっミスター・ギブズの全快を祝してー!」

「まだ治療したばかりだろ」

「ではーっ遅くないであろう全快を祝してー!」

「最低でも一カ月は安静にしていないと治るものも治らないぞ」

「だあーもお面倒くせえっ!乾杯だかんぱーい!」

 ラカムの怒声で海賊たちは一斉にジョッキをぶつけ合った。ただし、音頭を邪魔されたロバートだけは横目でフランシスを睨んでいる。

 夜のポート・コリンの港に浮かぶオルギア号の上甲板は、ネメシス号の乗組員までが加わり海賊たちであふれかえっていた。

「本当にありがとうフランシス。あなたのお陰で優秀な操舵手を失わずにすんだ」

 アン船長の言葉に、右腕を布で吊ったギブズが片手のジョッキを掲げて見せる。

 災難なことに、ネメシス号はあの嵐のさなか舵輪の綱が切れ、その反動で舵輪を握っていたギブズは甲板に思いきり叩きつけられたのだ。

「幸い、単純な開放骨折で神経にも損傷はないようです。ただしさっきも言ったとおり、一カ月は安静にしてください。飲酒も控えるように」

 ギブズはさっそく仲間にジョッキをふんだくられた。

「骨がつながるより傷口が塞がるほうが早いでしょうが、患部は清潔に。あと、骨折が完治した後もお湯でマッサージするようにしてください」

 アン船長はジョッキのラム酒を冷ますように大きく息をついた。

「フランシス…やっぱりあなたが欲しい」

「はい?」

「船医として…いや、ただいてくれるだけでいい。オルギア号にはかわりにうちの副長をやる」

 ロバートが盛大にラム酒を吹き出す。

「ま、またその話!?」

「私は本気だぞフランシス」

「でしたら喜んであなたの部下になりましょう」

 モーガンがむりやりアン船長とフランシスと間に割り込んできた。

「自慢じゃありませんが私がいれば二百メートル先にいる獲物の船首像を撃ち落とすことも可能です。フランシスなんかよりよほど実戦向きかと」

「悪いが」アン船長は氷のように冷たい目で

「優秀な砲手ならうちの船にもいる。それに私は酒癖が悪い人間が嫌いなんだ。フランシス、乗組員はもっと選んだほうがいいぞ」

「ご存知のとおり、うちの船長は来る者は拒まずでして。それに本人も言っているとおり砲撃の腕だけはいいもので。だけですが」

「これ以上の才能が必要か!?俺が船に乗ってりゃ百人力だぜ!?」

「腕がいいだけじゃ駄目なんだよ兄ちゃん」ネメシス号の掌砲長ホーリーが大きな顔を振りながら

「うちの船に乗るにはな、腕だけじゃなくて品もよくなけりゃ」

 どっと海賊たちが笑い転げる。モーガンはホーリーの薄汚れた格好を訝しげに眺め

「品ねえ…どの口が言ってるだか」

「そうだな。その口が問題なんだ」

「は?」モーガンがフランシスを見る。

「ネメシス号では、下品な言葉を口にすると銃殺なんだ」

「ま、まさかあ…」

「試してみるか?」いつのまにかアン船長がすぐ側で拳銃の銃口を向けていた。可愛らしいその笑顔に「え、遠慮しときますー」とモーガンが引き下がる。船上は大笑いに包まれた。

「ときにフランシス…気づいているんだろう」

 浮かれ騒ぐ乗組員たちを眺めアン船長が言った。

「スベリアの商船が航路を変えたことですか?」

「…正しくは、スベリアのやり方の奇妙さにだ」船長はほとんど口をつけていないジョッキを弄びながら

「航路を変えたぐらいで商船を守れないのは分かっているはずだ…新大陸の沿岸防備で海軍の艦船が足りないならば何故いままでどおりの護衛船団方式を続けない?」 

 フランシスは思わず微笑んだ。

「私もずっとそれが疑問だったんです」

「無防備な財宝船をばら撒いておいて、さも襲ってくださいとでも言っているような遣り口が気になる。裏にあの男がいる気がして…」

 さっとフランシスの笑みが消える。

「それは…考えすぎじゃないでしょうか」

「見るもの聞くもの全部そいつと結び付けなきゃ気が済まないか。女の執念は怖いねえ」

 上から声が降ってきたかと思うと、メン・マストのトップにいたらしいマリクがシュラウドも使わずハリヤードにつかまりスルスルと下りてきた。甲板に着くなりマリクは料理長のアルバートに「おかわり」とジョッキを差し出す。宮廷給仕人のような身なりのアルバートは恭しくラム酒を注いでやる。

「…酔っているのかマリク」アン船長の青い瞳が険しくなる。

「たとえ酔っていても無礼は許さんぞ」

「無礼?」ラム酒をジョージになめさせるマリクはきょとんとして

「本当のことを言うのがいつから無礼になったんだ?さすが育ちの良いお嬢様は考え方が違うなあ」

「何が言いたいんだマリク・クルド!」

 アン船長が怒鳴り立ち上がった。周りの海賊たちはとっくに息をひそめている。

「分かったぞ」アン船長が鼻を鳴らし

「お前は私が海賊をやっているのがただのわがままだと言いたいんだろう?」

「ただの、と言うよりお嬢様のわがまま?」

「じゃあお前がしていることは何なんだ!?」つかつかと船長がマリクに近づき

「奴隷船を襲っては奴隷たちを解放して、それで英雄気取りか?解放された奴隷たちがどうなっていると思う。また奴隷商人に捕まって奴隷船送りだ!お前のしていることこそ無意味な自己満足だろう!」

「ああ」マリクがゆったりと笑った。

「俺は自分のすることに意味なんか求めちゃいないよ。ただ、自分が心から満足できるかどうか…それだけだ」

 アン船長の瞳が一瞬とまどったように揺らぐ。

「ただ、憎しみと恋情をすり替えて復讐だとか仕返しだとか叫ぶのもどうかと思うだけ」

 ガッと硬い音とともにアン船長の拳がマリクの頬を殴り飛ばした。拳をおさめた船長はくるりとマリクに背を向け「興がそがれた。帰るぞ」と言い捨てた。ネメシス号の乗組員たちはジョッキを置き、むっつりと立ち上がる。オルギア号の乗組員たちはばつ悪げに黙り込む。

「あの…アン船長」

 舷側梯子の前に立ったアン船長に一人の少年が呼びかけた。

「俺…俺や村の人たちは…二回も奴隷商人に捕まって、二回ともマリクたちに助けてもらったんです。だから…マリクのしていること…絶対に無意味なんかじゃないです」

 アン船長はしばらく少年の褐色の肌を見つめていたが、やがて「そうか」と呟き、舷側梯子の向こうに姿を消した。うつむく少年の頭をジムがポンと叩いた。

「ありがとう…ワムル」

「しっかしかっこ悪いよな船長さんよ」最後に残ったロバートがマリクを見下ろし

「もう少し女心ってやつを勉強したほうがいいと思うぜ?何せうちの船長は繊細だからな」

「…人を殴り飛ばしといて繊細が聞いて呆れるぜ」口元をぬぐいながらマリクが立ち上がる。

「どっかの副長が甘やかして何も言わないから、代わりに言ってやったんだろ」

「それが」ロバートの拳がマリクの逆の頬を殴り飛ばし、マリクがまた甲板に転がる。

「余計なお世話だって言うんだよ。俺も他の連中もそんなことは百も承知で海賊やってんだ。お前にしたり顔で説教される筋合いはねーんだよ」

 ふらふらと体を起こすマリクが笑って

「そんなに惚れてるんなら何で海賊なんてやらせとくんだ?」

 ネメシス号の副長は肩を竦め

「分かるだろ?うちのお姫さんはとことんやらなきゃ気が済まないんだよ。それに」

 ロバートの目に影が差す。

「まだまだ赦せないんだよ。あの男のことも…自分自身も」

「お前は平気なのか?」立ち上がりつつも警戒しているマリクにロバートが訊いた。

「お前のなかには本当にもう、憎しみも恨みもないのか?」

 フランシスやジム、グランがマリクを見つめる。肩に戻ってきたジョージを撫でながら「さあ」とマリクが答える。

「よく分かんないな」

 ふっと気の抜けたようにロバートが笑う。

「うちの船長もお前くらい馬鹿だったらよかったのかもな」

 むっとするマリクに手を振り

「でもま、それならそれで俺たちがあいつの首を獲っても文句は言われないってわけだ。俺にとっても恩人を殺した奴なわけだし」

「お前も今回のことにあの男が関わっていると思うのか?」

 訊ねるフランシスにロバートは横目で

「スベリア海軍で海賊のことを一番知っているのはあいつで…海賊のなかであいつを一番よく知ってるのは俺たちだぜ」

 その声に潜む凄味にオルギア号の乗組員もわずかに気色ばんだ。しかしロバートはまた表情をころりと変え「ほんじゃ」と舷側に向かう。

「じゃあな、マリク。殴って悪かったな」

 ひょいと舷側から頭だけ出して言うロバートに、マリクは両頬を押さえ

「謝るくらいなら殴るな!飯が食えなくなったら一生恨むからな」

「だいじょーぶだいじょーぶ、お前の食い意地は拳に負けたりしない」

 それからちらりとフランシスに目をやり「じゃあなカタツムリ野郎」と唸るように吐き捨て、ようやく姿を消した。オルギア号の船上には、しばし沈黙が流れた。

「カタツムリ野郎…」

 とんがり帽子に髭面のドルガがぼそりと言う。フランシスが首を傾げ

「どうしてあんなに嫌われるのか、正直分からないな」

 ラカムがため息をつき

「お前がか?カタツムリがか?」

「アルバート!肉くれ肉!殴られたせいで肉が食べられなくなったかもしれん!」

「駄目です。宴は終わりです」

 マリクが両頬を押さえたまましかめっ面をする。ワムルが首を振り

「ああもうかっこ悪いなあマリクは!」

 その言葉に仲間たちが徐々に吹き出してゆく。

「たしかに…」

「かっこ悪い…」

 押し殺していた笑いはやがて爆笑に変わった。

「ほんっと頼むぜ船長!」

「もっと船長らしくしろよ!」

「アン船長のほうがよっぽど海賊の船長らしいじゃねえか!」

 マリクのしかめっ面がどんどん歪み、ついにくるりと背を向けた。

「ご、ごめんマリク…泣いちゃった?」

 震える肩に手を置いたワムルの頭をすかさずマリクが抱え込む。

「泣くわけないだろうが!こら言え!『マリク船長かっこいい』と言え!」

「ぐふうっ…死んでも言わない」

「ノリでも言わないの!?」

「おい!ワムルが襲われてるぞ!仲間を助けろ!」

「ヨーホー!」

「って俺は仲間じゃないのかあっ!!」

 オルギア号の乗組員が一斉に飛びかかりマリクが押しつぶされた。ぎゃあぎゃあと騒ぐ仲間たちを、フランシスたちが少し離れた所から眺める。

「まったく、あれが赤の海賊マリク・クルドだって知ったら海軍の連中ぶったまげるぜ」笑うグランの隣でジムも頷き

「まあ、マリクだからな。仕方ないな」

「あいつは今更変わらない。変わるものなら十二年前に変わっている」

 そう言ったフランシスがふと、仲間にもみくちゃにされているマリクに目をやる。

「いや…変わったのかもな。あいつなりに」

 真っ黒な海から一陣の生温い風が、船上を吹き抜けポート・コリンの街へと駆けていった。フランシスは満点の星空を見上げ呟く。

「また嵐になるかも知れないな」




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