前夜
「まだ連絡が無いってどういうことだ!」
地下道にグランの怒声が響く。
「処刑の日は明日なんだぞ!?いままであんたらのことを信用して待ってたってのに!」
当初の計画では海軍省にいるポルシカの情報員が偽造した書類を使い、グランド海軍に成りすましたアルフォンソ艦長たちがハバティア監獄からジョン船長を連れ出すというもののだった。しかし、その肝心の情報員からの連絡が、処刑日の前日になってもこない。
それでもサミュエルは冷静な様子で
「こちらからも連絡が取れないとなると…恐らく何者かによって拘束されている可能性が高いですね」
「それじゃあ…こっちのこともバレてるってことか?」
「それはないね」ロイがジムに答える。
「現に俺たちに追手はかかってないし」
「そうだな」アルフォンソ艦長も艦からやってきた部下たちを見やり
「その情報員が吐いてたら…商船のふりをして港にいる艦にも役人が来ているはずだ」
「だいぶ怪しまれてはいますけどね」
商船乗りの格好をした三等海尉が肩を竦める。
「砲二十八門の商船なんてブルーバック社だって持ってませんから」
「いずれにしろ…もう小細工を仕込んでいる時間はない」
顔を上げたフランシスとサミュエルの目が合う。
「ここからは、こちらはこちらでやらせてもらう」
「何か策がおありなんですか」
「おいおいここにきて仲間割れもないだろう」
「仲間ではありません」
「仲間だ」アルフォンソ艦長がフランシスに言う。
「バレンツ艦長を助け出すという目的で我々は一致しているはずだ。手を組んだほうがことを有利に運べるに決まっている」
「艦長…何か考えがあるんですか」サミュエルに訊かれ、「ない」とまた艦長は言い切った。
さすがに部下たちは慣れているのか、海尉も水兵たちも顔色一つ変えない。
「だがたしかにもう時間が無い。ここは正攻法でいくしかないだろう」
傷跡を撫でる艦長に、サミュエルや海賊たちは訝しげな表情になる。囚人奪還に正攻法などあるのだろうか。だが海尉は心得ているとでも言うように「艦長ならそうでしょうね」と頷く。
「だが…少々危険ではあるんだが」
「やります」とっさにマリクが言った。全員がこちらを見る。マリクは拳を握り
「ジョン船長は…ペストが蔓延してる船のなか僕を助けに来てくれました。だから今度は僕が船長を助けたい。僕にやらせてください」
その緑色の目には、いままでにない強い光が生まれていた。
ここは息が詰まる。
湿っぽいのもかび臭いのも監獄ならば当然かもしれないが、それは船の最下甲板でも同じことだ。いや、嵐のときに砲門から何からあらゆる穴を閉め、密閉された状態の船のなかのほうが悪臭ははるかに強烈だろう。汚水溜まりやバラストから立ち上る臭いと、ひしめく男たちの体臭が混然一体となって、年季の入った船乗りですら船酔いを起こすほどだ。
それでも、嵐が過ぎれば新鮮な空気を入れることができる。上甲板に出て、雲間から射す陽の光を浴びながら潮風を思いきり吸い込むことができる。
要するに、自分は海を恋しがっているのだ。
何度目かの同じ結論に苦笑して、冷たい壁に頭をもたせかけた。
(フランシスたちは無事に島を出ただろうか…)
ここに入れられてからも、そればかりが気がかりだった。気がかりではあったが、フランシスたちまでが一緒に捕らえられるようなことにならないで良かったと思う。
(これは私の罰だ)
全ては自分自身の罪だ。海賊行為を働いた罪…祖国を裏切った罪…多くの仲間を失った罪…あの男に、深い傷を負わせた罪。それらの罪に四人を巻き込むようなことにならなかったのは幸いだった。
鍵がガチャガチャと鳴り、重い鉄の扉が開く。
「ジョン・ウィロビィ・バレンツ…出ろ」
看守の声に立ち上がりながら、ジョン船長は願った。
フランシス、グラン、ジム、そしてマリクには、この先もずっと、自由に海を渡ってほしいと。