表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悲観主義者でも空は青い  作者: 無知無知
一章
9/187

消えない傷痕 その二

 何か様子がおかしいとは思っていた。元から色白な肌ではあったけれど、それがいつにもまして青ざめていたから。

 反射神経には自信があったのに、いきなり美月が突き飛ばされたときには反応できなかった。オレ自身、あの場に流れていた緊張感に神経を削られていたみたいだ。

 「唯ちゃん、何処行っちゃったのかな…?全部私のせいだ…」

 美月は突き飛ばされたというのに唯のことを案じていた。普段の陽気なお調子者の仮面が剥がれ、脆い素顔が露呈している。もし、これをやったのが唯じゃなくて他の奴だったら平静を保てるか自信がない。

 幸い怪我はなかったが、介抱しているうちに唯は動物園の外まで飛び出してしまった。後から追いはしたが、その頃にはどこにも見当たらなかった。

 二時間近く探しているが、一向に見つかる気配がない。電話をかけてもコール音すら鳴らなかった。電源を切っているのだろう。

 闇雲に探しても埒が明かない、ということで一旦動物園の最寄りの駅前にあるベンチで頭を冷やすことにした。

 辺りはすっかり暗くなって、上着を羽織っていても堪えるほど冷え込んでいる。せめて唯は暖房の利いた場所にいてくれればいいのだが。

 「そうだったんだ…だから唯ちゃんずっと手袋着けてたんだ。なんで気づかなかったんだろう…」

 美月は弱々しい声で一人ぶつぶつと呟いている。ずっと休まないで探すつもりだったので説得するのは骨が折れた。

 オレは手首の傷のことをもちろん知っていた。それを見られないように室内でも手袋をつけていることも。

 俗にいうリストカットというやつだ。薄皮だけを切る浅い傷もあるが、唯のは静脈を切断して、小さな血だまりができるほど酷いものだったらしい。ただの悪ふざけや酔狂ではそこまでは出来ない。

 唯の気持ちを知るために自分で刃物を手首に押し当ててみたことがあるが、血が出るまで力を入れることすら出来なかった。急所に刃物が触れていることで生じる生理的嫌悪感にどうしても抗えない。唯がどれほど追い詰められていたか、あのとき改めて思い知らされた。

 初めて見たのなら驚いても仕方がないだろう。実際知っていても痛々しくて見てられない。

 「私が勝手に見たから、唯ちゃん怒っちゃったのかな……どうしよう…?」

 「気にしなくたっていい、って言っても無理だと思うけど、本当に美月のせいじゃない」

 「……」

 何を言っても美月の表情は変わらない。オレはともかく彼女はこれ以上歩き回ることが出来ないだろう。精神的にも肉体的にもきつい日だった。

 「…美月、もう帰ったほうがいい」

 「は?そんなこと出来るわけないでしょ。唯ちゃんまだ見つかってないんだよ?」

 「家が近くにあるわけじゃないんだ。もう電車にも乗れなくなるぞ」

 「でも…私、まだ…」

 “仲直りしてない”と、か細く呟いた。

 「分かってる、分かってるよ」

  ずっと前から、八年前からそれを悔やんでいたことをオレは知っていた。

 

 人形のように何も喋らず、身動きすら取らなくなった美月の手を引いて駅の中に入った。幸い帰りのチケットは持っていて、発車時刻までは十分とはいえないまでもいくらか余裕はあった。

 改札の前で足を止めた。ここから先はオレがついていくことは出来ない。美月が自分で進まないと。

 振り向いて美月のほうを見る。

 「…………」

 下らない悪戯を仕掛けたり、なんでもないことで揚げ足をとってくることにはうんざりさせられるときもあるが、落ち込んだ時の美月を見ると馬鹿にしてくれてもいいから笑ってほしいと、いつもそう思ってしまう。そうやって油断するとまた調子に乗り出して元通りになってしまうのだが、それが家族というやつなんだろう。

 「美月、大丈夫だよ」

 「…なにも大丈夫なんかじゃない」

 フルフルと美月は首を振る。俯いているせいで表情は見えなかったけれど、大体想像がついた。

 黒く艶のある頭を撫でた。実の姉にこんなことをやるのは気恥ずかしいし、こんなことやったことがないから力加減も分からない。ぎこちない手つきでやられても安心なんてできないかもしれないが、急にしてやりたくなって、その衝動が止められなかった。

 「ほんと気障なヤツ…」

 そういって美月は顔を上げた。目こそ赤く腫れているが、あの小憎らしい笑顔は戻っていた。

 いつも通りの力強くそれでいて優美な足取りでオレの下から離れていく。そして振り向かずにヒラヒラと手を振った

 「じゃ、私帰るね。今度買った服取りに来るから、ロッカーに置いといたの、ちゃんと回収しといてね。汚したらぶっ殺す」

 「分かったから、早く行けよ」

 全くもってこの姉は。やっぱりさっきのしおらしい態度に戻ってもらいたい。

 「美月」

 「翼」

 『会えてよかった』とか『ありがとう』とか柄にもないことを言おうとして名前を呼んだ時、美月も振り向いてオレを呼んだ。顔を見ると気恥ずかしくなって、そんな言葉を口にすることなんてできなくなってしまう。

 「……なんでもない」

 「…じゃあ私も」


 フラフラと暗い街の中を歩いている。フワフワと浮かぶような心地で漂流している。

 不思議な気分だった。私を苦しめていた色々な記憶が今では現実感を失って、悪い夢のように思える。

「昨日、未明〇〇区のマンションで起こったバラバラ殺人。その被害者の身元が判明しました。被害者は神田美音という二十代の女性で…」

 「…フフフ」

 家電屋からだろうか。ニュースキャスターの声が聞こえてきた。なにも面白くないはずなのに愉快な話のように聞こえる。

 

ざまあみろ、私をあんな目に逢わせた罰だ。  


 これは誰の考えだろうか?

 「………」

 私は胡乱な頭で誰かを探していた。誰だったかはよく覚えていないけれど、近くに寄ればきっと分かる。目印をつけておいたから。

 ショートヘアの鋭い目つきをした女性が私の身体にぶつかってくる。真正面から当たってきたのだから、どちらかが、あるいは両方とも転ぶはずだったのだが。

 彼女は私の身体をすり抜けて、そのまま去って行ってしまった。まるで幽霊になってしまったかのようだ。

 「見つけた、あの人だ」

 振り返って無意識のうちにそう呟いていた。足も勝手に動いて女の人の背中を追っている。

 早足で歩くとすぐに女の近くまで追いついた。首根っこを掴んで、そのまま暗がりに連れて行く。

 なにか悲鳴をあげていた気がするが、まったく興味が持てなかった。誰の視線も届かない場所に着いたと同時に女の身体を空き缶のように投げ捨てる。

 「なに、なんなの?」

 尻餅をついた女がまた悲鳴をあげた。やはり私のことが見えないみたいで、何もない場所に視線を投げかけている。

 怯えた愛玩動物のようで見ていてとても楽しかった。右手に握った大きな、とても大きな鋏を突き出して、首を切断するために刃を開く。

 二枚の刃はギロチンのようにゆっくりと首元めがけて閉じていく。肌に金属がずぶずぶとめり込んでいって、女が痛みに顔を歪ませる。構わず力を込め続けて、そして────

 「唯!?」

 慣れ親しんだ声が聞こえて、ぼやけた景色が急に鮮明になる。目の前にいた女は消えていて、路地裏にいたはずなのに、辺りは街灯や建物から零れでる光で満たされていた。

 冷や汗がこめかみから流れる。さっき見ていたものは一体何だったのだろう。夢だったのだろうか。けれど、立ったまま夢を見ることなどあり得るのだろうか。

 何より、さっきまで歩いていた場所と今いる場所はそっくり、いや同じなのだ。一度も通ったことのない場所と空想が完全に一致することなど有り得ない。

 「どこ行ってたんだよ。心配して──」

 声から私を気遣う感情が伝わってくる。数十歩歩けば女の人を殺した暗がりが待っている。

 翼達にどう謝ればいいのだろう。そもそも謝って許されることなのか。

 今のは現実だったのだろうか。あの人を本当に殺してしまったのだろうか。

 考えることが一杯で頭がパンクしそうになる。息が出来なくて視界が暗くなってきた。

 自分の荒い呼吸の音を聞きながら、身体が倒れていくのを感じる。地面に倒れる直前で彼が身体を支えた。

 なんで私は助けられているのだろう。謝罪もせずに逃げ出して迷惑をかけてばかりなのに。

 いっそのことこのまま窒息死でもしてしまえばいいのに、そう思いながら目を閉じた。

よろしければ評価お願いします。励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ