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悲観主義者でも空は青い  作者: 無知無知
一章
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招かれざる客(姉)その一

 雪雲は綺麗さっぱり消え失せ、快晴となった本日、十二月二十日、午前七時。

 唯はまだ起きていない。オレの学校がある日は眠たそうに眼をこすりながら見送りをしてくれるのだが休日の起床はいつも遅かった。どうにも朝に弱いらしい。平日は 無理して起きているのだろう。別にそんなことはしなくてもいいのに。

「ごちそうさま」

 起こそうか迷ったが勝手に部屋に入るのもアレなので一人で軽い朝食を作り食べ終えた。ふと窓から空を見上げる。

 水色に染められた空に綿雲がまばらに漂っている。皆既日食やら金環日食やら、特別なことは何も起こっていないが、だからこそ平和を感じた。

「…ふぁ」

 こんなにいい天気なら外に出なければ損と思う人間もいるかもしれないが、生憎そういうアグレッシブな思考はしない主義だ。今日はゆっくりのんびり家の中にこもっていようか。

 そんな怠惰な思考を巡らせていた時、ヒタヒタと静かな足音が近づいてきた。

「……おはよう」

「あ、おはよう唯」

 ほとんと眼を閉じながらフラフラとこちらに歩いてくる。

 カーテンの隙間から差し込む陽の光が金色の髪を照らす…とでも言えばなんだか詩的に聞こえるが彼女の髪の毛には見事なほどの寝癖がついていた。ちゃんとドライヤーで乾かさなかったのだろうか。野良猫でももう少しまともな毛並みをしていると思う。

「…む?今何か失礼なこと考えてた?」

 不機嫌そうな声を出してこちらを睨みつける、がほとんど線になっているような目で睨みつけられたってちっとも怖くない。

 触れた相手の心を自分と繋げる。それが彼女の力だが、触れずとも大雑把な思考なら読み取れる。そのことを忘れていた。

「うん。野良猫の方がまともな毛並みしてるなって」

「…そういうのは心の中だけに留めといて…」

 聞かれたから答えたというのに…難儀な子だな。彼女は跳ねた髪を押さえて足早に洗面所に駆け込んでいった。すぐにドライヤーの音が聞こえてくる。髪を整えているみたいだ。

「いや、やっぱりオレが悪かったかな…」

 女の子の容姿にケチをつけるようなことはやはりよくなかった。嘘でもとりあえず褒めておく方がよかったのだろう。

 自分の性格の悪さに苦笑しながらテレビをつける。特に何かを期待しているわけではない。なんとなくだ。

 『今日未明。……にあるマンションの一室で殺人事件が起きました。死体は酷く損壊されており身元を現在調査しているとのことです。何十にも分割され……この事件について警察は…』

 昨日のサークルの事件といい最近は物騒な知らせをよく耳にする。

 被害者は女性だが現時点ではそれ以上のことは分からないとのことだ。どれだけ酷い損傷だったのだろう。考えるだけで怖気がする。

『参考人として居住者の男性が現在事情聴取を…』

 住んでいたというその男が犯人なのだろうか、死体をバラバラにするにはかなりの時間がかかるはずだ。家主以外にそこまで長居できる人間はそうそういないだろうし…

「…なんて考えても意味ないよな」

 テレビの電源を落とす。惨い事件だがやはりオレには関わりのないことだ。どうやって冬の課題に片をつけるか考えた方が建設的だろう。

 まだ冬期休暇は始まっていないが既に教科担当から課題は配られている。どれから手をつけようか。

 優先順位を頭の中で決めていたところ、呼び鈴が鳴った。玄関からだ。

「ん?」

 時計を見る。まだ七時を過ぎたばかりで配達が来るには早すぎる。そもそも何かを頼んだ覚えがないし。

 一応念のため返事をする前に扉の覗き穴から来訪者の顔を窺う。物騒な世の中なのだから警戒はしておかなければ。

 そしてそこには―

「げっ」

 肩甲骨辺りまで伸びている黒い髪。凛とした目つき。よく知っている顔だ。そして、今会うのは大変よろしくない。

「まずいぞ…」

 今この家に入ってこられるのはまずい。特に唯が見つかってしまうのは。

 居留守を使おうか、しかしわざわざ県を跨いでまで来た相手を追い返すのは流石に…

『ポーン!ポーン!ポポポーン!』

 呼び鈴が再度鳴らされる。一回だけではなく何度も立て続けに。ドアの向こうで舌打ちしながらボタンを連打している姿が目に浮かぶ。

「まずい…かなりまずいぞ」

 不意に音が止んで静かになった。実際にはドライヤーが空気を吐き出す音が薄っすらと聞こえてくるので完全ではないが、少なくともあの子供の地団駄のような、やっている人間の苛立ちを表現するかのようないやな音は消え去った。

「諦めて帰ってくれたのか…」

 たまには用心もしておくものだ。もし馬鹿正直にドアを開けていたら大変なことになっていただろう。具体的に言うとオレの社会的地位が底値までに大暴落する。

 居留守を使ってしまったことは申し訳ないが後で平身低頭して詫びを入れればなんとかなるだろう。なんにせよひとまず危機は去った。

「ふう。よかった…」

「なにもよくねーよ」

 いつの間にか扉が開いていて赤のコートを羽織った目つきの悪い女が家の中に侵入していた。オレの姉、黒羽美月だ。歳は二つ離れていて腰に届くほど長い髪が目を引く。

「…えっと、鍵をかけてたはずなんだけど…どうやって中に入られたんですか?」

「なんでもなにも私も昔住んでたんだから鍵くらい持ってるっつーの」

 キーホルダーの輪っかに人差し指を入れ、オレに見せつけるようにクルクルと回してみせた。

「…そうだった。そういや一緒に住んでたんだっけ」

 この家はオレが一人で来た時に借りたものではない。美月が産まれた時に父と母が買ったものだ。それから八年間ここで暮らしていたが、とある理由で離れなくてはいけなくなった。唯と連絡がつかなくなる少し前のことだ。

 それをそのまま使っているわけなのだから当然鍵も変わっていない。こういう時の為に変えておくべきだったか。

「…一人暮らしで寂しい思いしてないかお姉さまがわざわざ様子見に来てやったのに…閉め出すとか何考えてるのかなー?」

 口の端は吊り上がっているが表情も声もどこか強張っていた。間違いなく怒っている。冬の真っただ中に閉め出されれば無理はないが。

「いや、今起きたばかりと申しますか…決して無視していた訳では」

「はあ?アンタもう着替えてるじゃん。それにこの時間はいつも起きてたでしょ」

「アハハ…」

 美月は靴を脱いで家の中に上がり込んだ。唯の靴が出たままになっているが幸い気づかれなかったらしい。

「なに?見られたくないものでもあるの?余程えぐいアレな本とか?男ならそれくらいあるだろうし私別に引いたりしないよ。…ネタにはするかもしれないけど」

「余計性質が悪いじゃないか…というかそこまで分かってるなら出直してくれないか。こっちも準備というものが…」

 ズイと押し通ろうとする姉を通せんぼする。今中に入られたら唯が家の中にいることがバレてしまう。別にやましいことなんてしていないが異性を家の中に連れ込んでいるなんて美月や母に知られたら…考えたくない。唯も美月に会ったら気が動転してしまうだろう。

「ホント、ちょっと待ってくれ」

「えー?私早朝から歩き詰めで疲れてるんですけど。ソファで休ませてくれませんかねー」

「あ。トイレの中ならいいぞ」

「しばくぞお前」

「ぐえっ」

 威力の高いジャブが鳩尾をついた。しかし今の状況、完全にオレが悪いから文句も言えない。

「分かった。じゃあ三分だけ待ってくれないか。その…おっしゃる通り見られたくないものとかあるんだよ」

 嘘は言っていない。実際見られたくないものはある。ものというかヒト科ヒト属の生き物だが。

「どうしても見られたくない?」

「ああ。見られたら大泣きする自信がある。アンタに人の心がまだあるならほんの少しだけ待ってくれ」

「なにしれっと人のことを怪物扱いしてんだコラ」

「うげっ」

 今度は肘鉄が飛んできた。今朝食べたパンが胃の中からまろび出そうになったがなんとか堪える。

「もう…はいはい分かりました。三分待てばいいんでしょ、待てば」

 打撃を与えたことで美月の怒りもひと段落ついたみたいだ。長い髪をクシャりとかき混ぜて息をつく。

 心の中で胸を撫で下ろす。二度もぶたれたが猶予は与えられた。とりあえず唯には少しの間外に出てもらおう。

 美月がどれくらいこの部屋に居座るつもりかは知らないが泊まる予定は多分ないだろう。その証拠にキャリーバッグを持っていない。どれだけ長くても夕方までには帰るはずだ。

 とりあえず唯にそれなりのお金を渡した後、彼女を抱えてベランダから飛び降り、その後何食わぬ顔で美月を家に入れる。三分以内に実行するにはちと厳しいがオレならいける。必ずやれる。根拠なんてないがそうでも思わなければこの状況やってられない。 

「じゃあ、三分な。三分間は絶対入ってくるなよ」  

「念押されなくたって分かったって……ったくそんなに焦るほど見られたくないものって一体何なの…よ…?」

 さっそく計画を実行しようとしたその瞬間、美月の表情が固まった。ギイと扉が開く音がする。

「…翼。歯磨き粉が出てこないんだけど、これもう中身スカスカ…」

 背後から間延びした声が聞こえてきた。ドライヤーの音のせいでオレと美月が言い争っていたこと、というより誰かが家に入ってきたことにすら気づかなかったらしい。人見知りだから誰かが家に来れば息を潜めると踏んでいたのだが、そうかそもそも聞こえてなかったのか。この黒羽翼、一生の不覚。最早笑うしかない。

「ハハハ…」

 振り返ると唯は警戒心を滲ませた顔をしていた。そして正面にいる美月は口をわなわなと震わせ耳を赤くしている。前門の虎後門の狼というやつだ。

「二人とも色々言いたいことはあると思うんだけど…まずはオレの話を」

 二の句を継ぐ前に完璧なフォームから放たれたストレートが顔面を打ち据える。頭蓋に響く強烈な衝撃で脳を揺らされ、あっけなく膝を着いてしまった。

「なに女連れ込んでんだ!!この〇〇〇ンクソ野郎!!」

「なんなのこの人!?」

 聞くに堪えない美月の罵倒、唯の悲鳴が穏やかな朝を騒がせる。近隣の住民にはとても申し訳ないと思っているがもうオレに止める術はない。

「…ちょ、ちょっといきなりなに!?警察呼びますよ!?」

「ああん!?呼べるもんなら呼んでみなさいよ!?」

 倒れ伏すオレを他所に罵り合いが始まってしまった。このままこっそり逃げれば責任追及から逃れられそうだがそうすると流血沙汰になりかねない気がするのでなんとか収めなければいけない。

 久方ぶりにゆっくり出来ると思っていたのだが、どうやら今日もまた忙しい日になりそうだ。




 

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