俺の好きな彼女はもういない
後悔っていうのは誰しも一度は経験することだ。
だから、俺はこう質問しよう。
その選択を、心の底からやり直したいと思ったことはあるか。
俺はある。
たった今、そう思ってる。
夜道、歩き慣れている道ではあったが未だに慣れないんだ。
「…………幻」
俺はそっと名前を紡ぐ。
でも、答えは返ってこなくて、ただ俺の声が反響しただけ。
幻は俺の彼女だった人。
今はもう俺の彼女ではないからな、過去形だ。
別れた、といえばそうではない。
あれは、俺が幻を好きになったから起きた悲劇だ。
「えっと……その」
「どうした?」
おどおどしている幻に俺は声をかける。
「最近…帰り道が怖いんだ」
「君でも怖いものあるんだな」
「あるに決まってるじゃん!なんだと思ってるの!」
「彼女、それか将来の妻」
「いや、まぁそうだけど!って、こんなこと話してる場合じゃない」
「そんなに慌てて、君らしくないぞ」
「なんか……視線を感じるんだよ。でも振り返っても誰も居ないんだ……それがものすごく怖いんだよ……」
「ホラーかよ」
まぁでも、そんなこと起きたら誰だって怖いよな。
「んじゃまぁ、いつもはここで別れてるわけだが、家まで着いていってほしいというわけか?」
「うん……お願い。そっちの方が助かる」
安心した顔をする幻。
「本当は今日からやってやりたいところだが、生憎とバイトが入っててさ。悪いな」
「あー、それは仕方ないか。明日からでいいよ」
「ごめんな」
「ううん、突然言った私が悪いし。それにしても貴方……本当に私が彼女で良かったの?姉さんだって候補にあったでしょ?」
「誰を好きになろうが勝手だろ」
「じゃ、私のどこが好きなの?」
「どこなんだろうな」
「曖昧じゃない、ぷー」
「いや、どこが好きだなんて明確に言いたくないんだ。例えば、俺が君の脚が好きだと言う。だったら好きなのは君の脚限定になる、俺はそんなの嫌だな。こういうのは曖昧な方がいいんだ、好き嫌いは直感で丁度いい」
「なるほどー」
そんなこんなで別れの分岐点がやってきた。
「ここまでだな」
「そうだね、また明日」
「気をつけろよ、雨も降ってるから」
「うん!」
幻は帰路につく直前、頑張って背伸びして俺の顎下にキスをした。
「ばいばい!」
とてとてと走っていく幻を見て、俺はバイト先へ向かった。
…………次の日、幻は学校に来なかった。
「はぁ…はぁ…!!」
俺はバイト終わりに一通のメールに気づいた。幻の姉ちゃんからであった。俺はメールの内容を見た瞬間、仕事着のまま飛び出して幻の家に向かったのだ。
「………!!!」
幻の家につく少し前、二人はそこにいた。
「幻の姉ちゃん……幻は……」
姉ちゃんはぐっと、幻を抱きしめていた。何故か幻の服はズタズタで、紅色に染まっていた。
「……幻は……死んだ」
「え………」
幻に異常な愛を持った輩が居たらしい。そいつは俺と幻が付き合ってることが気に食わなかったらしい。まぁ、よくあるよなこういう展開。まさかほんとに起きるとは思わなかったが……
そいつが、幻を殺したんだ。
意味がわからない、殺すこたないだろうが。
「………………」
二人は雨でびしょ濡れだった、姉ちゃんは寒そうな素振りを一切せず、ずっと幻を抱きしめていた。
「……あ」
よく見ると、姉ちゃんの手は鋭利な物で切られたような痕ができていた。もしかして、その輩と争った際にできたのだろうか。
「………あの子だけじゃなくて……この子も失ったのか……私は……」
…姉ちゃんには二人の妹が居た。もう一人の妹は寂滅という。寂滅はしばらく前に病気で死んでしまったという。
「………エルドラド」
「………なんだ」
「…少し物を取りに行ってくる。幻をお願い」
「…わかった」
姉ちゃんから幻を託される。雨で濡れてこそいたが、幻の顔はいつものように白くて綺麗だった。
「幻……痛かったよな……寒かったよな……」
……どうして、幻が死ななくちゃいけないんだろう。
しばらくして、姉ちゃんが何かを手にして戻ってきた。
「それは?」
「…これは『黄泉帰り時計』っていう懐中時計だよ。過去に黄泉帰る、つまり時を戻す代物だ」
「…こんなこと言うのもあれだが、胡散臭いな。本当に出来るのか?」
「出来たから言ってるんだよ」
「…………え?」
まさか、姉ちゃんは………
「ほら、エルドラド。早く使うんだ」
「……えっ、どうして俺なんだ?」
「私はもう過去に縋るのはやめた、この時計を使うのをやめたんだ。それに、貴方と一緒に居る幻はとても幸せそうだった。だから、貴方に使ってほしい」
姉ちゃんは悲しい決意の顔をして、俺に時計を差し出す。俺はその時計を受け取った。
……でも、ごめんな姉ちゃん。俺は姉ちゃんが思っているような選択肢は選ばないよ。
『……幻と出会う前までに戻してください』
瞬間、視界が暗転する。平衡感覚が無くなる。しばらくして、落下しているような風を感じた。
やがて………
「…ここは」
気がつくと、目の前がピンク色に染まっていた。桜だ、確かさっきまで秋だったはずだが。
「………はっ」
どうやら、本当に俺は過去に戻ったらしい。だとすれば……俺は階段を上る。そこに、彼女達が居た。
黄泉 幻とその姉である叡智と寂滅。
俺の彼女だった人。俺の義理の姉だった人。
抱きしめたかった、でも無理だ。
彼氏彼女どころか友達ですらないんだから。
そして、もう付き合えない。俺に関わったら幻はきっとまた死んでしまうから。
俺は彼女達に気づかれないように上る。ここで出会ったんだ、仲良くなって気づいたら惚れ惚れしてたんだ。そうして関係が発展していったんだ。
これは分岐点だ、幻が俺の彼女になるか否かのな。
答えはもちろんノーだ。
幻が生きている喜び、そしてもう彼女として扱えない悲しみ。右往左往で心が忙しい。
やめろ、思い出すな。幻との思い出が蘇る…!!耐えろ、思い留めろ!!
「……大丈夫?」
彼女に声をかけられた。入り混じった曖昧な感情が俺を取り巻く。
「え……あ……」
「下向いてて辛そうにしてたから」
「ああ、俺らしくないよな」
俺は顔をあげる。
「…どうしたの、なんで泣いてるの?」
「大丈夫だ、なんでもねぇから……」
「……もしかして、彼女さんと別れた?」
「…ああ、とっても大事な恋人とね」
「そっか……それは、ご愁傷様。でも、そういう時こそ前を向かなきゃ」
「そうだな、助かったよ」
「何もしてないけどね」
「ああ……君に言われたから、頑張れるよ」
「…………ん? それって……」
「じゃあな」
彼女に前を向けと言われたから、俺は前を向く。
でも、話せて良かった。話せたから俺は前を向けているんだ。
だから……
「さようなら、俺の大好きな人」
この涙は決して恥ではない、そして俺はこれを乗り越えて新たなスタートを踏み出すのだ。
誰しも、やり直したいことはあると思う。もし、戻れたとしてもひとつだけ聞いてほしい。
過去と今はまったく別物ってことだ。
過去ばかり囚われてちゃいけない、前を向かなきゃならないんだ。
もう俺の隣に彼女はいない。でも、俺は君が幸せに生きているのならそれでいい、それが俺の幸せだ。
だから…さようなら、幻。俺は君が幸せに生きていくことを、心から願っているよ。