番外編1(前編)
ミュゼットがエルリックに拉致される前の話です。前、中、後の三話で終わります。
「ミュゼット、急ですけれど明日我が家に遊びに来ませんこと?」
「ふえ?」
お手製サンドイッチをほおばりながらミュゼットは、思いもよらない誘いに目を輝かせた。
「ひく!ひふぃまふ!」
「食べ終わってからお話なさいよ」
マナー違反だ、とアンジェラは怒ることはしない。馬車の中で腹を割って(割ったのはミュゼットだけだった気もするが)話して以来、ミュゼットと行動を共にする時間が増えた。その中でマナーや貴族特有の決まりのようなものを教えるようになったのだが、思った以上にミュゼットは吸収が早かった。
早かったのだが、必要にかられないとそれを発揮しない悪癖というか、ずる賢いような部分もあった。アンジェラと二人きりならマナーなどはお構いなし、美味しそうに口いっぱいにサンドイッチをほおばるし、食べたまま会話してしまうし、口の端っこにソースをぺったりつけることもある。今もチーズソースを口の端に垂らしている。他の令嬢がいるならそうではないのだが、アンジェラがいるとどうもミュゼットは甘えているようだし、アンジェラもそれがわかっていて可愛いと思わず許してしまうのだ。
アンジェラはそれをナプキンで拭いてやり、ミュゼットは嬉しそうになされるがまま。この二人はどうも姉妹の様だと周りはひそひそ噂している。しかし爵位があまりにも違う上、少し前まではエルリックを挟んだ三角関係だったと噂されているし、今でもこっそりエルリックがミュゼットの後をつけていることくらい学園生なら誰でも知っている、というか目にしたことがある日常風景だ。
そんな二人が仲良くしている様子は、始めのうちパフォーマンスでは?とささやかれたが今となってはそんな噂一つもない。ミュゼットがエルリックたちに囲まれている時の完全なる”無”の表情と、アンジェラと話している時の満面の笑みを比べれば、当事者と直接かかわりのない人たちだって状況が良く分かった。わかってないのはエルリックをはじめとしたミュゼットの尻を追いかけまわしている男たちだけだ。
「実はね、あなたのことを話したらぜひ遊びに来てもらいなさいと言われたの」
「え、誰に?」
「お父様とお母様、それに弟がね……いえ、わたくしもミュゼットにはぜひ遊びに来てもらいたいと思っていたのだけど」
そう言って唇を少しとがらせるアンジェラは赤薔薇姫と呼ばれる美しさよりも、年相応の少女らしい可愛さが勝っていた。
「アンジェラにそう言ってもらえて嬉しい」
にへ~っと笑うミュゼットを見てアンジェラは子犬の様だなと思わずふふっと笑った。ぶんぶん振られるしっぽが見えたような気がした。
「ふふふ……こほん。ええとね、ミュゼットをお茶会に招くのもいいけれど、気楽に過ごして欲しいと思って来客予定のない日にお誘いしようと思ったのだけど、明日しかなかったの。だから急なのだけど、来てくれる?」
「もちろん!!絶対に行きます!」
「ありがとう。家族も喜ぶわ」
「あ!!」
ミュゼットはさっきまでの笑顔から一瞬で顔色を失った。
「着て行く服が……」
「あら、いつも通りで構わないわよ。普段着でいいもの。でも気になるなら制服でいらっしゃいな。学生の正装として認められていますもの」
「はっ!!そっか!その手があった!!」
「ふふふ、そうね。既婚者になると服装は気を使うわよね」
「一応、あるにはあるんだけど……ね」
この国の貴族女性の装いとして、未婚の場合に使えるドレスの色合いと既婚後に使える色合いが決められている。厳格な決まりというわけではないが皆が従っている慣習だ。鮮やかで明るい色、原色に近いようなはっきりした色合いは未婚女性向け、落ち着いていて暗い色、黒やグレーなど無彩色と言われる色合いが既婚女性向けだ。
十五歳で結婚したミュゼットはあまり既婚女性向けの服を持っていない。似合わない……それはもうものすごく、似合わない。絶望的に似合わない。学園の制服が薄いグレーでそれはまだ似合っていると言える範囲なのだが、ドレスとして既婚者が着るには明るすぎると言われる。だがこれ以上暗い色を着ると病人のように見えるのだ。
辛うじてギリギリ、似合ってないけど絶望的ではないと言える紺色のドレスを昼用、夜用共に数着作っているのだが、似合わないのでアンジェラの前では着たくない!とミュゼットは思っていた。
「そう言えばあなた家ではどうしているの?お店に泊まってるのでしょう?」
「服のことなら、最近は父のおさがりのシャツに弟のおさがりのズボンがお気に入りかな」
「……それはなかなか、斬新ね」
「作業するとどうしても汚れるから、洗いやすいのと破れても心が痛まないのがいいの」
二年前父親が男爵位を貰うときにはもうおさがりを着たおす生活をしなくても良くなっていたが、それでもミュゼットは新しい服を買うのにまだ抵抗がある。
それに二年前に買った未婚女性用のドレスを、二年も経たないうちに着られなくなってしまった。全て売り払ったとはいえ高いお金を出して作ったのに……と悔やんでいる。
ミュゼットの父が会長を務めるベンジャミン商会は、布の取り扱いはしていても縫製を行う部門を持っていない。だから昔から服と言えば売れ残ったりサンプルでもらった布を使って作るか、近所の人のおさがりを貰うもので、その頃の生活がまだしっかりと染みついていた。
そのことをアンジェラはなんとなくだが聞いて知っている。服装に興味がないことも、一緒に過ごしていれば良く分かった。だからこそ、ほんの少しの申し訳なさを感じている。
(明日きっと大変でしょうけど……許してねミュゼット。悪い様にはならないもの)
アンジェラは喜ぶミュゼットの頭を撫でながら、心の中でミュゼットに謝った。
中編は今日の18時公開です